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Yielding Embodiment®︎セッションご感想27

Yielding Embodiment® Orchestrationとは「『間合い』と『共鳴』によりクライアントのイールド(能動的に委ねる動き)を引き出すことでクライアントの身体が安心安全を知覚し、再構成や変容が起こす」セッションだそうです。そして「セッションによる直接的な効果・効能を掲げていません」。これらはいずれも、今回私がセッションを受けたごきげんラボのホームページに記載してある言葉です。

この雲をも掴むような説明文で、さらに直接的な効果・効能を掲げていないセッションを、なぜ私は受けてみようと思ったか?それはごきげんラボを運営しておられる流生さんと出会ったときからの感覚に由来します。

流生さんとは、数年前に友人を介してお知り合いになりました。そのときの印象は今でも覚えていて、上手く言語化しきれないものの、"柔軟"、"受容"という要素を基盤に、それでいて私が今まで出会ったことのないような方でした。
そんな流生さんが
・「プラクティショナーとクライアント、双方が心地良い立ち位置を決め」た空間において、
・「『身が動く』ままに最低限の介入(具体的には身体へ軽く触れる)をしたりしなかったり」することで
・「クライアントの身体が安心安全を知覚し、再構成や変容が起こ」るセッション
を始めたと聞きました。何度読み聞きしても理解はできないものの、そのセッションの特徴は、私が流生さんご自身に対して抱いた印象と非常に通ずるものがあるように感じたこと、そして私自身が、このようなセッションを経験したときにどんなことを感じ、どんな変化があるのか非常に興味を持ったことから、イールディングのセッションを受けてみることにしました。

以下、そのようにして受けてみた実際のセッションについて、全体の流れを簡単に、またそのなかで印象に残ったことを交えながら記します。

まず初めに部屋のなかを少し歩いて、「どのような感じがするか」を尋ねられます。この問いかけによって、意識が身体の感覚に集中・収斂していく感じがします。

次に、施術台に仰向けで横たわって目を軽く閉じます。すると、流生さんが室内の色んなところに立って、やはりどんな感じがするかを尋ねます。何度かのポジションチェンジを経て、流生さんがそこに立っているとなぜか「なんとなく落ち着くな」という箇所がありました。後から聞けば、それは私のみならず流生さんにとっても落ち着くスポットだったようです。

場所が定まっていよいよセッション開始。開始といっても流生さんはただそこに立っているだけ。なのになぜか落ち着く。私はどちらかといえば一人で居るほうが落ち着く性分なのですが、一人で居るときよりも、そこに流生さんが居るほうが落ち着くという不思議さを覚えます。

次の瞬間、自らのいびきで目を覚ましました。かつて友人に「工事現場」と称されてしまった私のようないびきかきにとって、仰向けといういびきをかきやすい体勢での睡眠はかなり危険です。にもかかわらず、あまりにもリラックスして眠っていたようです。さらには、このような失態を犯しながら、それでも不思議と「恥ずかしい」という感覚はありませんでした。

やがて流生さんが施術台の傍らに移動し、佇んだり、少し台の周りを歩いてみたり。セッション冒頭のポジションチェンジの際に、「少し緊張するかも」と感じたスポットにも流生さんは立たれましたが、もうこのときの私はずっとリラックスしている状態でした。

イールディングが他のボディワークと決定的に異なるのは、プラクティショナー(施術者)である流生さんが、クライアントである私の身体にほとんど触れないという点です。たまに動きがあったとしても、大方、私の身体ではなく施術台のシーツを撫でるといったことに留まります。しかし、私自身と空間の境界が曖昧になっているのでしょうか?自分の身体を触られていないとは言い切れないような感触を覚え、また、シーツを撫でる音は自分の身体のなかから聴こえるようでもありました。そして、ほんの数回だけ身体に直接触れてもらったときも、いつ手を離したのかわからないぐらい、その質量や熱がずっと触れられた表面に残るような感覚がありました。

やがてセッションが終了し、再び部屋のなかを少し歩いて、どのよう感じがするかを尋ねられます。始まる前よりも身体に重みがありました。しかしそれは疲労による重みではありません。就寝時は夏場であっても布団やブランケットをかけるほうが落ち着く、という方も少なくないと思いますが、そのときの落ち着きに近い、微かな温かさや重さをセッションの後には感じていました。

セッション中、そしてセッション後しばらくの時間、長年連れ添ったパートナーと隣に座り合っているときのような、あるいは本当に信頼できる友人と語り合った後の帰り道のような、はたまた風の気持ち良い日に一人木陰でぼーっとしているときのような、そんな感覚がずっと続きました。セッション中には繰り返し"落ち着き"や"リラックス"を感じていましたが、それこそが「安心・安全」ということなのかもしれません。「安心・安全」は、ごきげんラボ、あるいはYielding Embodiment® Orchestrationの開発者である田畑浩良さんのホームページでも繰り返し登場する言葉です。

直接的な効果・効能を掲げていないイールディングですが、"安心・安全へ積極的に身を委ねるのが可能であると知ること"、その"安心・安全状態になると自分がどう変容するのかの一端を見られること"、そして"安心・安全状態は双方の間合いによって能動的に作れること"を知るというのは、副次的ながら、直接的な効果・効能といえるかもしれません。私たちは苦手な人や、苦手かどうかすらもわからないような人と接さざるを得ない機会を持ちますが、そういう状況でこそ、腹を据え、腹を割ってその相手と話せるかという胆力が重要になってきます。再現性の高い方法論は各々で見つける必要がありそうですが、"安心・安全状態は双方の間合いによって能動的に作れること"を知っているだけでも、居心地の悪い空間を好転させるための糸口を探せそうです。もしかするとこれは、合気道にも通ずる類のものなのかもしれません。

では、「安心・安全」な状態にあると、私たちはどうなるのでしょう?セッションを受けた後の私の場合、これは非常に感覚的なものですが、"生涯を通して辿り着きたい、今の自分から遠くにあるはずのモノ・コトが、すでに自分自身の中、奥のおくに在る"という事実の端緒に触れた感覚がありました。私たちみなが持っている、自身の絶対性と相対性の双方に、自然と意識が向くような感覚だったようにも思います。

もっとも、この感覚はセッションを受けてすぐに立ち顕れたものではなく、数週間経ってから少しずつ気付いてきたものです。これから本当に腹落ちするであろう感覚を前借りして書いている部分も少しばかりあります。ですので、やはり直接的かつ即時的な効果・効能を明快な言語で記すことはできないのかもしれませんが、何かしらの閉塞感が生活にまとわりついているなという方や、自分/他者/あるいはそれらの境界について内省してみたい方には、是非おすすめしたい体験です。啓けた何か、深い何かへ向かう萌芽に、Yielding Embodiment® Orchestrationはなり得ると思います。

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