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真面目な球児ほど悩みを言えず苦悩 必要な覚悟…一番いい“高校野球の終わり方”

「自分のために頑張ろうと思うことって、限界があると思います。一番いい高校野球の終わり方は、甲子園に出ることだけではないんです。僕は『おかげ』を『ために』に変えることができるようになることが一番いいと思います」
「高校野球最後の夏は全部『おかげ』を『ために』に変えるんです。親の『ために』、仲間の『ために』、先生や監督の『ために』頑張る……。もちろん、自分のために頑張るのですが、自分のために頑張るよりは、誰かのために頑張った方が力って絶対もらえると思います」

▶ 「自分のために頑張ろうと思うことって、限界があると思います。

これに関しては同義。だけど、一つだけ付け加えさせてもらいたい。「自分のために頑張る期間も大事」と、僕は言いたい。

特に、最近の子どもたちは、若い時期から夢を描かない子が増えてきたように思う。

例えば、中高生の人に「将来の夢は?」と聞くと「比較的、将来が安泰している公務員になりたい」と言ったり「人を助けたり支えたりする介護職に就きたい」と言ったりする。そんな子が多い印象が強い。


もちろん、それ自体はとても殊勝なこと。

だけど、僕はこう思う。「その夢は自分自身で描いたものなの?」って。「大人の教えに従った結果生まれた夢じゃない?」って。

もしそうだったら考え直して欲しい。「アナタがホントになってみたい、やりたいことは何なの?」って問い掛けたい。

その方が、人生を長い目で見たときに、必ず、と言い切っても良い、自分が幸せに近づくために必要なことだから。


「子どもが将来就きたい仕事ランキング」と「大人が将来子どもに就いて欲しくない仕事ランキング」の両方にランクインしているのが「ユーチューバー」という話を耳にしたことがある。

双方の意見は理解しているつもり。あくまでもつもりだけど。その上で僕はこう思う。「親の言いなりになって半ば無理矢理捻り出した夢には何の価値もないよ」って。

それだったら、自発的に思い描いた「ユーチューバーになりたい!」って夢の方が、よっぽど健全的だと思うし、よっぽど夢実現に向けた活力が湧いてくると思う。

それに、最初は「ユーチューバーになりたい!」って思いから走り出したとしても、その過程で、紆余曲折の中、自分の将来像が変化することなんていっぱいある。

そう考えたら「流行り・廃りが激しい世界だからやめなさい」だとか「不安定な職業よりも堅実さを求めた方が将来を考えれば安心」だとか、不毛でしかないと思う。少なくとも僕は。


好き勝手に殴り書きしたけど、改めて断っておく。僕は、年中夢球さんの考えに反対のスタンスをとっていない。ただ、物事には順序があるよね、という話をしているだけ。

子どもだったら、子どもらしく、自己中心的に生きたっていいじゃない。言ってしまえば、それが許されるのだから。「若いなあ」と、笑って見守ってくれる時期を活かさない手はない。

そうやって、自分がやりたいように突っ走っていって、壁にブチ当たったりしながら、自ら、利他的な精神が芽生えてくる。

自然なカタチで「〜のおかげで」を認識して、感謝の念を持つ。そしてまた、自然なカタチで「〜のために」と、自分の行動の原動力に変えていく。

それこそが在るべきカタチだと僕は思う。

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