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ぎっちょぶきっちょ の ぎっちょ話②

【第10回】

全4回の予定。今回を入れてあと3回続きます。

確認してみたところ、1回目の「ぎっちょ話」が、6月2日に投稿されていました。ということは中2日しか空いてないのか。思った以上に間隔が短いな・・・。

このテーマで記事を書く時は「あ、バタバタして十分な時間を取れなかったんだな」と思って貰えたら間違いないです。有り体に言えば「手抜き記事」です。言葉を選ばず言えば「記事ネタを考えたり練ったりする時間ねえわ」です。悪しからず。

土曜日(日曜日の早朝)に使いがちかもしれない。むしろそこを定位置にして消化していった方が、ウィンウィンかもしれない。そうしようかな。一案として持っておきます。

ウィンウィンって、俺はいいとして、誰がウィンなんだろう・・・。
まあ、いいや。本題に入っていこう。とりあえず。

それでは、どうぞよろしく。

左利きあるある20選(外部サイト引用)

(6)手帳型のスマホケースは使いづらい

うん?
そうかい?

むしろ、だいぶ前から、手帳型のスマホケースしか使っていないが。
全然、支障ないけどな。使いづらくないよ。
周りの左利きさんも使いにくいと愚痴ってた覚えないよ。

ていうかさ・・・。

手帳型のスマホケース自体、使っている人の割合、それほど多くなくね?

いや、これだと「左利きあるある」の趣旨から逸れるか。
でもこのお題だと「そんなことないわ」の一言で一蹴してしまう。
だったらどうする。お題に関連した話題を出した方がいいんじゃないか。

(脳内会議)

ちょっと書きましょう。せっかくなのでね。
「共感出来なかったら一言で終了」という前例を作ってはならない。
それだと、何にも共感出来なかったら一瞬で終わりかねないからね。

コホン。

手帳型のスマホケースを使っている人、あんまり居ないと思いますね。僕の身の回りの話ですけど。大体、後ろ側だけカバーがついているやつ。アレですよ。僕は使った覚えがほぼないんですけども。

手帳型は邪魔なのかな?

僕的には、ちょっとしたカードケース的な役割も兼務してくれる手帳型のスマホケース、好きですけどね。改札とかはそれでピッとやってね。財布を出すよりも出しやすいじゃないですか。いやそれは個人差が有るのか。

で、僕が手帳型に変えることになったキッカケは、スマホを落として画面がバリィッていっちゃったから。もしも手帳型だったら、キチンと閉じていれば、ある程度の衝撃なら耐えてくれるよねっていう。

ただ言ってしまうと、手帳をキッチリと閉じて置いておくことってほとんどないので、実質、手帳型の意味が無い状態で使っている。あれだと、いざ落っことした時に何の役にも立たないんじゃないか・・・。

そんな懸念も抱きつつ、やはり、カバーを閉じずに使っていくのだろう。もっと痛い目を見ないと学ぶ気が無さそうだから、コイツは。俺は。

(7)レストランではカトラリーを並べ直す

※カトラリー:「右手側にナイフ、左手側にフォーク」みたいな置き方作法

これ、あれですね。

前回「食事の時に隣の人と肘が当たる」という左利きあるあるの話に関連して、こんなことあったんですよ~って、もう話しちゃったね(笑)

さあ参ったぞ。
カトラリーという響きで大喜利するわけにもいかないし。
加藤茶さんがラリーカーに乗ってはしゃいでる絵は思い浮かんだけども。

えっとね・・・。

あ、そうだ。
この話をしよう。

僕、学生時代、居酒屋でアルバイトやってたんですよ。
で、予約の席に、「カトラリー」っていうのかい?、食器やお箸とかを事前に並べておくんですよ。人数分。

あの時にね、左利きあるあるが発動したかもしれない。

「何も考えずに席準備をしていると左利き用の置き方になりがち」

これはありましたね。
自分でハッとなって、一人でせっせと直しましたけどね(笑)

「頭で分かっていても体が上手く反応出来ない」みたいな感覚ってあるんですよ。「逆をやる」ってのは、仕組みとしては理解出来たとしても、それを実践するとなると、案外難しいものだ。

(8)ハサミは「左利き用」じゃないと使えない

これはねえ、どうだろ、「慣れ」の側面も強い気がするけれど・・・。

ハサミだけじゃなく、なんでもそうかなって思うんだけど、「左利き用で慣れちゃうとまずいな」ってやつ、結構あるんじゃないかと思っていて。

モノによりますけど、左利き用ってのは、大体高いんですよ。

それでも、左利きさんからの一定の需要は確保しているから、売れたりする。「値段には糸目を付けないからとりあえず欲しい!」って人も多そうだし。

で、僕が思うのは「左利き用という安心安全な場所に逃げると、いつまでも右利き用を扱うことは出来ないじゃないか」ということ。

肌身離さず「マイバサミ」を持ち歩いているならまだしも、ちょっとしたことでハサミが欲しいなってなった時に、おいそれと借りるのが難しくなるじゃないですか。

それを考えると、ある程度のモノは「右利きで慣れる」こともまた、必要な考え方な気がしますねえ、左利きさんは。

そういうこともあってなのか「両利きの人は元々左利きの人が多い」みたいなことも言われたりしますね。

ちなみに僕は「ほぼ100%左利き」の「オール左属性」を持っているので、両利きとは程遠い存在です。申し訳ない。

バスケをやっていた頃、右手でのドリブルが壊滅的なレベルで出来なくて、毎日地道にコツコツと右手でドリブルする練習を繰り返した結果、最終的には左手でのドリブルよりもコントロール出来るようになった。

・・・という、プチエピソードも添えておきます。

(9)回すタイプのドアノブは困る

これね、全然、共感できない(笑)

それと「回すタイプのドアノブは困る」という表現、たまに見かけて、「うわ~ハズレだわ~」って落ち込むような温度感で書いてあるけどさ。メチャクチャあるでしょ、回すタイプのドアノブ。

記事本文では「レバータイプのドアノブ」に関しても言及していて、やっぱり左手には使いづらいって書かれてあるんだけどさ。実際、どうなんですかね?不便さ感じている人って多いの?

ドアノブはねえ、右手で開ければいいんじゃないかなって思うけど・・・。

(捻り出そうと思考する)

一応、捻りだそうとしてみたんですけど、特筆すべきこともなかったので。このテーマからはバイバイします。失敬。

(10)「右側にサイドテーブルの付いた椅子」の使えなさは異常

あ~~~~!

これは分かる。
メチャクチャ分かるわ。

たまにあるんだよね。
大学の講義室とかでさ。
ちょっといいところの、ちょっと小綺麗な講義室ね。
普段はあんま使わないようなとこに置いてありがち。

ちょっと良い匂いしたりもするよね。
なんか、自然を感じられるような、木の香りみたいな。
人工的につくられた匂いじゃない感じがするんですよ。

わかるわ・・・。
今日の大トリに相応しいテーマだわ・・・。

あれね、取り外せないからね。
完全にセットになってる感じだよね、椅子と。

それを見て、皆さん、こう思わなかったですか?

「この椅子を作った人、絶対、右利きなんだろうな・・・」
「この椅子を作った人、左利きのことどう思ってんだろ・・・」
「この椅子を作った人、周りに左利きの人いないのかな・・・」

・・・そんなことを、まるで因縁の相手に呪詛を唱えるかのように、心の中でブツブツと呟きながら講義を受けていた過去の自分を、ふと思い出してしまいました。いやあ、懐かしいね。若いね。青いね。

まあ、シンプルな話、少数派の左利きの人に向けて製品をつくっていたら、労力の割に儲けが悪い、みたいな事態が起きちゃうんでしょうね、おそらく。僕は良く分からないけれど。そういうことにしておきます。

今日はこんなところで勘弁してやろう

はい。

やっぱ、実際に自分が感じていたことを、そのまま出された時に、「うおおおお・・・!」って、熱い血潮が体中を駆け巡っていきますね。

左利きあるあるに限らず、あるあるネタって、大体そうだけどね(笑)

「世間一般的に『あるある』だと認知されている」ことよりも「自分自身が『あるある』だと思っている」ことの方が100万倍大事だからね、あるあるネタってのは(笑)

はい。

一応、ここで予告しておくと、「ぎっちょ話」が終了したら「ぶきっちょ話」に移行したいなと思っています。おんなじスタイルでね。あるある記事を引用して、僕が経験からモノを語るという。

とっても楽チンな記事ネタ発掘を見つけられて良かったです。


<今日のサムネイル>

”習字は絶対無理”

誇張抜きで絶対無理。

敢えて序列を付けるとするならば、大きい筆なら書けないことはない。左手で書きたい欲求を必死で抑圧させなければならないという精神的負担のかかるミッションも担わなければならないけれど。

「120%無理だ!」と断言出来るのは小筆。あれはダメ。利き手ではない手に求めるレベルをはるかに超えている。「学校の授業の一環として書道をやっています」という人には、そもそも要求するもんじゃない。と、思う。

もちろん、僕が書道家を志しているのなら乗り越えるべき壁かもしれない。だけど僕は違う。学校の授業以外では書道を行わない。だったらいいじゃない。別に左手で書いちゃっても。そう思っちゃいます。出来栄えを見比べても、あんま変わんねえなって感じるし。

ダメなんですかねぇ。

「習字は右手で書きましょう」って、なんかの法律とかに明文化されているんですかね。考えてみれば、全然根拠分からないわ。ただ単に「習字は右手が原則、左手で書いたらダメ」としか教えられなかった気がする。

「  所詮子ども、されど子ども。」

同じ子どもであっても、その人によって感じ方や受け取り方は180度変わってくるものなので、大人である教師側も「〇〇しなさい」だけではなくて「なぜ△△をしてはいけないのか?」という話もしてもらいたい。切に願うね、そのことを。

じゃ、今日はこんな感じで・・・。

(4003字)

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