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2023.07.21 金曜日


今日はしゃっくりに悩まされ続ける一日となった。

皆さんは、しゃっくりとどうお付き合いしているだろうか。これはあくまでも、キッチリと統計データを取ったわけではなく、僕が知り合ってきた人たちの話を抽出して行く中で感じたこと、つまりは経験則に基づいた所感、になるのだけれども、僕は、わりかし、しゃっくりに悩まされてきた人間だと思っている。

「これまでの人生でしゃっくりに悩まされた経験はありますか?」という質問だと、おそらく大多数の方が「はい」と回答すると思うのだけど、この質問文に「頻繁に」をプラスすると、さてどうなるか。僕の予想では、パーセンテージで表すならば、99%から、2~3%ぐらいまで、グッと落ち込むのではないかと考える。

それぐらい「僕(私)、頻繁にしゃっくりが出るタイプなんだよね~」という人と出会う機会は少ない。「なんかまた『ヒッ、ヒッ』なってるね(笑)」などと、他人事、と書くと、やや角が立つ表現になるが、というかそもそも、他人事なのだから何も問題ないのだが、ホトホト悩まされている身からすると、ムッ、と感じてしまう物言いに遭遇するケースの方が多い印象だ。まぁこれも、僕の器の狭さであったりが、根本原因なわけだけれども・・・。

それはさておき。

今日のしゃっくりのポイントは、一言で申せば「ノックに始まり、ノックに終わる」といった具合だった。至極単純な表現をするならば「ノックの音が契機となり、しゃっくりが始まったかと思えば、次のノックの音が再び契機となり、しゃっくりがおさまった」そんな印象を覚えた。厳密に言えばそこまでキッチリ動作していたわけではないのだが、そう形容しても差し支えないぐらいには、ある種のスイッチになっていたようだ。

この現象から思い当たるのは「しゃっくりは『驚き』の感情が働くことで、始まったり、止まったりする」というヤツだ。実際に、しゃっくりに悩まされている人を見かけた時に、いきなり背中を「ドンッ!」と押すなど、その人を驚かせるような動作を取ったおかげで、しゃっくりが止まって、めでたしめでたし、という現場に立ち会ったこともある。ゆえに、一定の信憑性はあるのではないかと思われるし、認知度もかなり高いと言えよう。

ただ、そこで僕は疑問に感じることがある。そもそも僕は、ノックの音に「ビクッ!」となったわけではないのだ。少なくとも自分の中では驚いた感覚は皆無だった。だが、事実として、ノックの音、それも「ドンドン!」といった風に、けたたましい音が鳴り響いたわけではなく、「トントンッ」といった風に、まぁ普通の音量だよね、というノックの音だったにもかかわらず、僕は、その音が鳴った直後ぐらいから「ヒッ、ヒッ」と、しゃっくりが出始めたわけだ。

その一部始終をうかがい知る周囲の人物からすると「ノックの音で驚いたことが原因となってしゃっくりが出始めたんだな」と考えても、何らおかしくはないだろう。というか、逆の立場であれば、十中八九、僕も、そう考えたはずだ。しかし、当の本人、つまり僕自身は、ノックの音に驚いた自覚は全くないわけで・・・。

こうなると、なかなかに厄介だ。まず、ノックの音を鳴らした人からすると「あ、なんか、申し訳ないな…。」と感じさせてしまったことだろう。別に誰が悪いわけでもない。あと、自分で言うのもおかしな話なのだけど、しゃっくりが出るのも、生理現象なのだから致し方ない話だ。だけど、しゃっくりが出始めたトリガーを引いてしまったと、罪悪感を覚えてしまう気持ちも分かる。これまた、逆の立場であれば、僕も申し訳なさを覚えることだろう。

そう。つまるところ、二重で厄介だったわけだ。第一に、これは当たり前だけど、しゃっくりそのもの。シンプルにしんどい。何分も継続して出ていると。だが、個人的には、しゃっくりには長年悩まされていることもあって、しゃっくり自体のしんどさは、ある程度、耐性がついているとも思う。ゆえに、今回に関しては、それほど問題視はしていない。

今回、何がしんどかったかって、繰り返し述べているように「ノックの音」という、他者の行動が絡んだと思われる事象が介在していることが、一番しんどかったのだ。言葉にすると変な感じになるのだけど、”ノックの音を鳴らした人が僕に対して申し訳なさを覚えていることに申し訳なさを感じる”、そんな、モヤモヤする状況が続いてしまった。これが本当にしんどかった・・・。

どうせしゃっくりが出るのであれば、誰も居ないところで「ヒッ、ヒッ」と言い始めて、誰も居ないところで「ピタッ」と止まって欲しかった。ただまぁ、これも繰り返しにはなるが、やはり生理現象なので「今は出ないで!」とか「今ならいいよ!」とか、自分でコントロール出来るものではないわけで、叶わぬ望みであるのも、また事実なのである。

しゃっくりに限らず、何事に関しても同じことが言えるのかな、とも思ったのだけど、物理的・肉体的な痛みよりも、精神的な痛みの方が、尾を引く、というのか、勝手に自分の中で思考が駆け巡った結果、実際よりも痛みを増幅させてしまう、というのか、まぁなんだろう、面倒臭いなぁ、と感じた、そんな一日だったように思われる。

うん、明日は、いいこと、あるといいなぁ・・・。(遠い目)

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