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免許返納大作戦


今年になり、母の介護がはじまり
両親と一緒に暮らしはじめてから、

父の車の運転について
度々、母から不安の声があがっていた。

私自身も、
そろそろ運転は危ないな、と感じることが多くなって父に相談してみる

「みんな高齢になってくると、免許の自主返納をするみたいだよ、その代わりにタクシーの補助がでるみたいっ、タクシーもラクだよ
他の運転は私がやるからさ」と。
 
すると父は

「まだまだ乗れる。  

乗れなくなったらどこにも行けなくなる、
もし、車に乗れなくなったら友達とのテニスも全部やめる。」と。

すこし拗ねたような言い方をした。
テニスは週一回
この日を楽しみに通っている同級生たちの集まり。

父の言葉も私も考え込む。

でも、それはそうだよな、
とも正直思った。

父は運転がすき。

助手席に母を乗せては
あちこちドライブしていた。

海に行ったり、山に行ったり
旅行にいったり、

母の実家の東京へ行ったり。
 
私が子ども時代には

高速道路をぶいぶい走らせ
スピードが100キロを超えて、
車の(警告音の)ピンポンがなると

「怖いから速度落としてー」と後部座席で私が騒いでいたのを覚えている。

そんな父が運転を辞めるわけないよな。  

きっと人生が終わったような、 
そんな感覚になるのだろう、と。

父に
印籠を渡す。

そんなことできない。と
私自身も感じていた

けれど、

運転ばかりは、誰かを巻き込んだりしたらそれこそ、大変なことになる。
 
父の人生の終わりに、
後悔はきっと浮かぶだろうな、と。

家族で話し合って、

車のメンテナンスをお願いしてる
親しい車屋さんや、

近所の交番のお巡りさん、

病院の先生にも協力をしてもらって

父に、運転を辞めることを
うながしてもらう作戦に。

特に、
親しくしていた車屋さんはとても
親身になって、  

父に寄り添いながら話をしてくれた。

車ずき同士だからこそ
父の気持ちを深くくんでくれながら
それとなく、うながしてくれた。

私との間では、
親子ならではの小競り合いもあり、

家族で
押したり、引いたり、
まかせたり、あきらめたり、を繰り返し

そんな悪戦苦闘の日々をこえながら
ある日突然父が言ってきた。

「今日から車をやめる。

テニスが明日あるから、

そこで、みんなにも伝える」と。

正直、なかば諦めていた頃だったので
びっくりした。

そして、

テニスでの同級生に伝える時になぜか、
私も来て。という話になり、ついていくことに。
 

次の日。
テニスコートで父の隣りに私も並び

仲間たちに私を紹介し、
父が言葉を放った。

「オレ、運転やめることになったから。」

「これからは、家族に運転してもらってここまで来るので、よろしくな。」と頭を下げた。

横で私もちいさく頭を下げる。

その後、父に対するなんとも言えない
罪悪感の気持ちにさいなまれた。

「お父さんはもう歳なんだから
自分が思ってる以上に歳取ってるんだから
無理なんだよ」
かつてそう言ってしまったことに、傷つけてしまったという罪悪感でいっぱいになった。

母に相談をすると、
 
相変わらずの不動の母は
「大丈夫よ」とさらりと伝えてくれた。

それから1ヶ月後に
2人で警察署にいって免許を返納。

その時、お巡りさんから
ちょっとした気持ちです、と

ちいさな赤い交通安全のお守りを手渡してくれた。

粋なことしてくれるな、と子ども心にも嬉しくなった。

父はそのお守りをバッグにさっそくつける
まるで、今までの思い出を身につけるように。

帰り道、
わたしの助手席に座る。

なんとも言えない気持ちで
私はハンドルを握った。

それから1ヶ月ほどで母は旅立ち
父と2人暮らし(平日は私。週末は兄夫婦)

免許返納。
あれからだいぶ時間が経った。

今日はふと
お世話になった車屋さんへ
ご報告と挨拶をしに行こうと思い立った。

バタバタしていたなか
顔を出すことできずに
ずっと気になっていた。

コンビニで冷えたビールとつまみを買って車屋さんに顔を出す。

工場の入り口に立って、

「こんにちはー!!」

すると暗闇から屈託のない笑顔で顔をだしてくれた。

「おぉー親父さん元気かい?」

「本人はようやく車のない生活にも慣れてきて落ち着いてきました。

あの頃は罪悪感でいっぱいでしたが、助けていただいて、ありがとうございました」

「いやー、親父さん、運転が好きだったからなー。

でも、良かったと思うよ!
また車、何かあったらいつでも来なよ!」

そう声をかけてもらい
なんとなく、ほっとした。

「良かったと思うよ。」
この言葉になにか救われた気がした。

25年ぶりの、親との同居

本当に、いろんなことをみせられてるな、と感じる。

自分自身の未熟なところもたくさん出てくるし、小さな頃のわだかまりも感情として浮上する、

それでも

たった今の家族のかたち、として
今日も生きている

いい日もわるい日も、
今の家族のかたちを生きている。


お父さんまだまだいけるゾ!
ファイティン!

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