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4は40分

父のお友達との約束の日。
午後1時に待ち合わせで、私が送っていくことになっている。

朝ご飯をすませお皿を洗っていると、
後ろのソファーでテレビをみていた父が家を出る時間を確認してきた。 
どうやら遅刻をしたくないそうだ。

「12時40分には家を出ないとな。」

目的地は家から30分はかかる場所。

「いや、お父さん、30分前に家を出ないと間に合わないと思うよ。12時30分には家を出ようっ」

「いや、12時30分じゃ間に合わないよ、時間に余裕を持って12時40分にしないと間に合わないよ。」

「ん!?」

自信満々な物言いに私が間違えているのかな、と洗いかけのお皿を置いてリビングの掛け時計に目を向ける。 

もう一度父は言う。

「遅刻したくないから
12時40分にはでよう!」

2人で掛け時計をジッとみつめる。

しばらくしてようやくわかった。

「あぁ〜っ」

思わず声に出る。

なるほど。
そういうこと!?

時計まで駆け寄り、背伸びして指差してみる。

「この数字の4のところだよね、お父さんが出たい時間は!?」

父は即答する
「そうそう、40分にでよう!」と。

なるほど〜。

「わかった!40分(20分)にでよう!」

父もようやく伝わった、とホッとした顔。

それでも、子ども心には
一瞬ドキッとした。

初めてのことだったので
なんとも言えない気持ちになった。

けれど、改めて考えてみた。
時計って不思議だなと思う。

デジタルとアナログとで違う。
当たり前に慣れていたけど

自分がまだ
この世の法則を知らない幼子であったとしたら

4の数字をみて40分を連想するのは
もっともなことだよな。

そもそも4の数字を「20分」って
誰が決めたのだろう。
そっちのほうが不思議な気もしてきた。

掛け時計をみつめて
当たり前すぎることを再確認。

1が5
2が10
3が15
4が20

これは、難しすぎる、、、。

とりあえず
40分(20分)出発で話は落ち着き
帰ってきた後、時計に付箋で分数を貼っておいた。

父は年相応の物忘れがでてきている。
そしてそれは、母の旅立ちの日を境に季節の流れとともに進んでいる気がする。

ともすると、世間的には「病気」とレッテルが貼られるかもしれない。(病院での診断は受けてますが)

けれど、
父の変化はある意味自然だな、ともかんじている。 
年を重ねることは病気ではないから。

 

安心して年を重ねていい。
安心して忘れていっていい。

安心して還っていっていい。

そう思いたいし、
そう思うようにしようとしてる自分がいる。

きっといずれ来る自分の最期の在り方も
父との時間に確認しようとしてるのかもしれない。

こんな子ども心をわかるはずもなく
いや、わかってるからなのか

次の日、寝坊して起きてきた私に
父は、いつものソファーに深く座りながらこう言った。

「おそよ〜」

突然のことでびっくりした。

「え!?お父さん今なんて言った!?」

「おそよ〜」

屈託のない笑顔がひろがる。

思わず父とハイタッチ。

「おそよ〜!」

まだまだイケるぞ、
まるでそう言ってくれてるみたいだった。 

そうそう、まだまだイケる!
まだまだイケる!!



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