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意識高い"系"と言う人には気をつけた方が良いという話

大学生政治に関心のある人たちを「意識高い系」と揶揄する層がいる。
そいういうニュースを目にした。


だから政治的な発言の機会を伺えなくて悩む学生が多くいるのだとか。
なんとも勿体ないというか馬鹿げた話。

僕も社会人になってから「意識高い系」だと揶揄される機会が多くあるから、このような学生さんたちの心境は良くわかる。
20代後半までは「意識高い系」という言葉を褒め言葉だと思ってたけど、
もれなく意識高い系の言葉と一緒に含み笑いもオプションでついてくることが多いことから、あ、これ、褒めてないなって悟った。
むしろ小馬鹿にされてる感じ。

その時から揶揄の意味で「意識高い系」を発言してくる人の言動パターンを観察してると共通点があることに気づけた。

それは努力を怠る人

おそらく本当は努力したい人間なんだろうけど、可処分時間の消費がどうしても
努力 < 遊び
という構図になっちゃうような人なんだと解釈してる。

現実の自分がついていかず、自分の理想としている人間を目の当たりにしてしまうと自分を正当化したり、自分を保つためにも相手を卑下する言葉として「意識高い系」と言ってしまうのだろう。
この理解は正解でないにしても特徴としては一面を捉えているはず。


反対に、同じ意識高いって言葉を言われても嬉しいケースもある。

飲み会などで話が盛り上がって自分のルーチンを話したときなんかに
「それ、めっちゃ意識高いですね!」
みたいな一言を言われると嬉しかったりする。

ここで、
「意識高い」「意識高い系」
には大きな差があることに触れておく。

「意識高い」は目の前のその人に向けられた総評。
「意識高い"系"」はその人を含めた自分が嫌だと思うカテゴリーに属する人たち、仮想的な集団に向けた揶揄であること。

この差は大きい。

だから僕は意識高い"系"と言ってくるような人間とは距離を置くようにしてる。
そういう人と付き合ってメリットを感じたこともないから。

リスペクトし合う関係性の中では相手のことを意識高い"系"とは揶揄しない。

言葉の端々には人間性が垣間見えることがあるから気をつけた方が良い。

日々の思考は言葉に出る。
逆に言うと言葉が思考を形成していくこともできる。

たまたま見たニュースからではあるけど、
思慮深く、言葉選びは慎重にしたいと改めて感じた。

というわけで、意識高い"系"という人にはちょっと気をつけて、という話でした。


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