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なんとなく大人になってしまった僕達へ

25歳は果たして大人なのであろうか。
大学を卒業し、一般企業で約3年間働いた。
社会から見ればまだまだ大人ではないのかもしれない。
けれども、少なくとも僕はティーンエイジャーではないし、どんな音楽だって、もう僕の感情を代弁してはくれないと感じることが増えた。
大多数に向けて歌った音楽に代弁されるほど単純じゃない感情を抱くことはそれなりにある。
やはり僕は大人になった、と思う。

京都で過ごした大学4年間、卒業に近づくにつれ、ぼんやりと将来のことを考える時間が増えた。
ぼんやりと考えたところで答えなんて出ないし、考えすぎて良いことなんてあまりないと今では思う。とはいえ、モラトリアムは永遠ではないし、自身の中で納得感の高い答えを出さなければいけない。
京都という街が醸成する形容し難い雰囲気や、その時働いていたスターバックスの影響、さらに、大学進学時に高校教員を目指していたこともあり、漠然と「人にサードプレイス的な居場所を提供できる人間になりたい」「人の価値観を広げることができる人間になりたい」と考えるようになった。そして、居場所を提供したり、人の価値観を広げるということをするのであれば、教育だけではなく、自身の好きなものを手段とすることもできるのではないか?とも考えるようになった。
幸か不幸か、京都で出会った素敵なお兄様、お姉様方の影響で、好きになったものはたくさんあった。20歳前後なんて一番色々なものを吸収できるし、えてして人からの影響を受けやすい年頃だ。「将来はサードウェーブコーヒーを軸に、自身がセレクトした酒や服を置き、人が集えるような空間を作りたい」3回生頃からそう周りに話していた。

同時期に、2YL創業メンバーと急速に仲を深めた。
丁度、よく遊んでもらっていた先輩たちが次々に京都を卒業していってしまった頃だった。
カーシェアの激安ナイトパックで琵琶湖までドライブしたり、季節問わず鴨川に飛び込んでみたり、祇園にあるかき氷店に毎月通ったり、一乗寺でラーメンを食べたり、狂ったように銭湯に通ったり(京都は入浴料を払うだけでサウナにも入れる、最高)、恵文社で買った本を植物園で読んだりと、京都の大学生がしそうなことは大体3人のうちの誰かとした。
ありふれた経験だったかもしれないけれども、同学年の友達が多くなかった僕にとってはかけがえのない経験で、こんな日常がずっと続けばいいのにと強く願っていた。現実的に考えれば、親のお金で大学まで通わせてもらっていて、そんな生活をいつまでも続けることはできないとは分かっていたが、卒業が近づくにつれ、4人でいられなくなることが本気で悲しくなってしまっていた。
いつしか僕にとって、陳腐な言葉ではあるが、「自身が何をして生きていくか」以上に、「誰と一緒に生きていくか」が大切になっていた。
3人のうちの1人とはいつからか、27歳までに1階部分にカフェがあるホテルを作ろうと話していたため、どうにかして残り2人を誘おうと思った。
4人で行った卒業旅行の九州。福岡の屋台でアルコールの力を借りながら3人に、「必ず4人で一緒にホテルをやるんだ」と語った。3人は酔っ払いの戯言だと思って本気にしていなかったみたいだけれど、僕は本気だったし、それには人生を賭ける価値があると確信していた。
けれども、大人と子どもの狭間である学生で、何者でもなかった僕は、卒業後すぐにそれを現実にできる力も覚悟もなく、京都を出て就職した。

就職してから1年が経った頃から少しずつ準備を始めた。
まずは元々ホテルを作ろうと言っていたメンバーと2人で計画を練った。その後、1人ずつメンバーを口説き、場所を決め、熱海と東京を普通列車で往復して、銀行や役所に通った。
本当に色々なことがあった。
結果として、初年度は僕以外の3人が熱海で住み込みで働き、僕は東京に残った。順調なことばかりではなく、ここには書ききれない、絶望やすれ違い、悔しい思いもあった。
そして、様々な人との縁に恵まれ、2023年6月に2YLを熱海にオープンすることができた。安定した人生を手放して会社を立ち上げたメンバー3人は当たり前だが(内1人は本当に簡単に手放しすぎてびっくりした)、生活を支えてくれた彼女も、一緒にカタンをしながら話を聞いてくれたあなたも、可愛いわんこを連れてきてくれたあなたも、朝まで酒を飲みながら話を聞いてくれたあなたも、住み込みで働いてくれたあなたも、お祝いのメッセージを送ってくれたあなたも、他にも関わってくれた方々、誰1人欠けても実現することはできなかったと思う。
本当に、本当にありがとうございます。
また、想定していた27歳よりも3年早くスタートできてよかった。
これが27歳だったら、今以上に他にも大切なものがたくさん増えてしまって、きっと一歩を踏み出せなかったはずだ(24歳でぎりぎりだった、と思う)。

大学生活最後の秋に富山の氷見へ一人旅をした。
その時に泊まったHOUSEHOLDという小さな宿で見つけた、とある建築家の大好きな言葉がある。

ほしいものはかたちではない。

ほしいものは静かな光で満たされた、ゆったりとした時間。
ほしいものは自然と人の営みとの調和のとれた関係。
ほしいものは、「ここに居ることができる」と感じられる状態。

どれもかたちではない。

堀部安嗣「堀部安嗣の建築」

僕が求めているものはきっとこれなんだと思う。
ほしいものはどれもかたちではないんだ。

正直、前ほどカフェをやりたいという熱い想いはもうない。
もちろん今でもコーヒーは好きだし(なんなら学生の時よりもコーヒーを飲んでいる)、いつかできたらそれは素敵だなと思う。
ただ、やっぱり何をやるかよりも誰とやるかが自分にとっては大切で、重要で、その考えは一般企業での勤務を経て、さらに強くなった。
元々感傷的になりすぎるきらいがあるけれど、涙を流して、あんなにも別れを惜しんだ大切な人たちと、1年に1回、5年に1回、10年に1回と会う頻度が少なくなっていき、それが当たり前になっていってしまうことは、やっぱり耐えられない。
「手に入れられなかった」という不幸せに浸って満足するような大人にはなりたくない。

ベスト盤はアーティストの墓場だ、なんて言っていたロックバンドだってベスト盤を出す。
僕たちはきっとなんだかすべて忘れてしまうんだ。
だから柄にもなく、noteも書いてみた。
2YLのオープンから約1年が経ち、 21歳のときにあれだけ強く望んだ未来は現実になった。

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