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僕はいわゆる「バイセクシュアル」


「俺、どうやら『バイセクシュアル』みたいなんよね。」
そう言って僕は笑った。



これは、今年で22歳を迎える僕の
22年目の告白。


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僕は「パンセクシュアル」みたいだ。
ただ、正確な表現かと言われればわからないこともあったりする。

あえて、わかりやすくいうのなら『LGBTQの中のB(バイセクシュアル)』

けれども、事実はなんとも複雑。


幼いころからそういう予感はしてた。


始まりは小学校の時の先生に対する感情だった。
同性の先生のことを本気で好きになった。
周りが何気なしに口にする「好き」とは違い、ただその先生のことばかりを真剣に考えてしまった。

大学に入り、ゲイだと公言する友達に出会ったときにその頃の感情を思い出し、似ているかもと考えた。

異性と同じくらい同性を好きになり、年齢に縛られることもなく対象が「人」であれば誰にでも恋をした。


いま思えば、気付くキッカケも、自分を認めるタイミングも、これまでに数えきれないほどあった。


それでも、受け入れられずに22年。

男としてのプライドだとか、男らしさだとか、よく耳にする人生観を気にしてばかり。打ち明ければ拒絶され、否定され、差別される、そう思うたびに"普通"であろうとした。


バイセクシュアル(両性愛者)だと言われれば違うと言い切ってきた。
正確にはパンセクシュアル(全性愛者)、男性だから、女性だから、というより「一人の人」だから好きになり、性的欲求を抱くこともある。

Google先生によると、「男女両方愛せる」のではなく「どんな人でも愛せる」というニュアンスになるらしい。



ぼくが初めて自分を「バイセクシュアル/パンセクシュアル」だと認識したのは大学一年の夏。彼女がいながら同性に対して抑えきれないほどの性的欲求を覚えた時だった。

それからは苦痛の日々だった。

誰かを好きになるたび「認めてしまって自由に生きたい自分」と「認めることを許さない自分」が必ず存在した。


誰かと付き合ってしまえばその苦しみは倍になり、誰かを愛するだけ「自分」を愛せない自分に直面した。

自分は永遠に人とは心から通じ合うことはできないのだと考えたこと、
「死」を選んだことなんて本当に数え切れないほどあった。


それでも、「死」を選ばなかったのも「プライド」だった。
「生」も「死」も「プライド」に縛られた自分ほど嫌いなものは他にはなかった。



結局、認識するのに20年。
認めるのに1年半。告白するのに半年。

自分を自分だと認めることにおよそ22年の時を要した。




初めて自分自身を人に話したのは数日前のこと。

彼女もバイセクシュアルで、僕より早く自分を認めれた人で、たまに飲んだりすることもあり彼女にはよく愚痴をこぼしていた。


あの日の僕たちも同じように愚痴をこぼしながら酒を飲んでいた。
なぜだかその時、彼女にならこの話をしても良い気がした。


根拠もなく、自分が認めてもらえるような気がしてた。



結局、この日が人生初のカミングアウトになった。
似たような境遇の彼女に甘えるように、スッと言葉がでてきた。


22年目の告白だった。

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ずっと、怖かった。


認めることももちろんそうだけど、
受け入れてもらえなかったときのことを考えると震えた。


なんでこのタイミングで告白しようと思ったのか、
認めてしまおうと考え始めた頃に彼女と大阪で飲んだから。
そんな理由だと思う。


ただ、自分ひとりで抱えて、向き合って、立ち向かって、挫けて、泣いて。そんな日常から逃げ出したくなった。


「僕はパンセクシュアルです。」


その、たった一言を伝えるためだけに本当に長い時間をかけてしまった。


このnoteを読んで、読んでくれた人がどう思うかわからない。
いまだって、ちゃんと怖い。

体は震え、身を縮め、心が傷つかないようにLINEの通知を切ってみたりもした。


けれど、いい加減認めてしまっても良い気がした。

「ぼく」を伝えてしまっても良い気がした。


だから、今、このタイミングでこの事実を伝え、自分を受け入れ、認めることにした。


これでようやく自分を「自分」として受け入れられる。 

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ぼくはパンセクシュアルだ。

LGBTQで考えるならBに当たるのかもしれない。



これが、僕の22年目の告白。 


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