昭和の就職活動

僕が会社に入ったのは、平成元年4月1日!

就職活動をしていたときは、まさに昭和63年。
まさか、年を明けたら、年号が変わるなんて、
思っていませんでした。

当時の就職活動は、今とは、全然違っていました。

そもそも、メールやインターネットがなかった時代・・・

大学4年生になると・・・、どこから調べてきたのか?
家に、百科事典のような荷物が、いくつか、届きました。

あまり覚えてないのですが・・・
おそらく、今で言う、”マイナビ””リクナビ”とか、の
いくつかの就職情報会社から、送られて気のだと思います。

荷物は、ボックスになっていて、電話帳のような本が
業種ごとに、分かれて並んでいました。

その本には、会社の特徴や仕事の内容、有給休暇などの、
条件が書かれていました。

そして、ページの一部に切り取り線が入っていて、
それを切り取ると・・

就職の申し込みのハガキになっていました。

もちろん、料金受取人払いになっていたので、
自分の名前や住所などの連絡先を記入してそのまま
投函できるようになっていました。

昭和63年の就職活動といえば、
金融や証券が花形で、
優秀な人は、銀行や証券会社に行くのが
当たり前という感じでした。
特に証券会社は、優秀な学生は、早めに囲い込みをして、
いわゆる、就職活動の解禁日よりも前に、こっそり学生と会って、
事前に、内定を出すというのが、当たり前の時代でした。

僕は、最初から製造業、いわゆるメーカーしか考えていませんでした。
というのも、ユーザーの声を聞いて、商品を作りたい。という、
今で言うところの、マーケティング的なことをやりたかったんです。
当時は、商品企画は、理系がやるもの、というイメージが強かったですが、
市場調査などをして、求められるものを作る。
というのもメーカーの醍醐味だと思っていました。

そんな就職活動ですが・・・
第一希望の会社以外は、解禁日前に内定をもらって、
ほぼ順調に・・・

でも、どうしても、第一希望に会社だけは、
事前に会うことができなかったんです。

内定をもらった、会社からも、その日にほかの会社の
説明会に行って欲しくないので、
集まるようにとの、連絡が来ました。

僕としては、第一希望の会社にゆきたいともっていたので、
そのことを、素直に相談しました。

内定をもらっているので、行かなければいけないことはわかるけど、
第一希望の会社とは、一度もコンタクトができていないので、
このまま、話を聞かずに就職をしてしまうと悔いが残ってしまうので、
行かなくてもいいですか?って、恐る恐る聞いてみました。

すると・・・電話口の担当者(おそらく、入社2年目か、3年目)が
電話の保留もせずに、
すぐに”わかりました。当日は、その第一希望の会社の説明会に行っていただいて構いません。ただ、説明が終わったら連絡をください。”
と言われたんです。

意外な、反応でしたが、
ラッキーと思い、ありがとうございましたと言って電話を切りました。

電話を切ったあとに・・
でも、あの担当の方が、上司に相談もせずに、”わかりました”と言ったことが
気に掛かりました。

第一希望の会社は、創業100年を超える会社
でも、内定をもらった会社は、30年ぐらいの若い会社・・

もしかしたら、この会社は、若い社員に
仕事をどんどんまかせているのかも?とおもって・・・

5分後には、内定をくれた会社に電話をして・・・
当時は、ゆきますと伝えていました。

結局、第一希望の会社には、一度もゆくこともなく、
今の会社に入社しました。

結果、この会社に、35年以上勤めることになりました。
いま、改めて、35年前の自分に、ナイス判断!って
伝えいたいぐらい、
僕は、今の会社で色々な経験をさせてもらって、感謝をしています。

このへんの話も、おいおい、こちらで、お話ししたいと思います。

ということで、今日はこの辺で・・




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