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全体主義も冤罪も群衆が作り出す~当事者から聞くピーチ強制降機事件に学ぶ~

マスパセさんこと奥野淳也さんの講演会が2023年6月24日に大阪で行われ、参加した。

2020年9月にこの事件が大きく報道されたときに私もネットニュースで知ったが、当初より私は、この事件の異様さに日本が狂い始めたと感じていた。
これまでも動画やTwitterスペースでご本人の話を見たり聞いたりしてはいたが、お会いするのは初めてである。実際にご本人の口から生々しい事件の経緯を聞き、恐ろしさに吐き気がした。

そして私は最初からこの事件は冤罪だと思っていたが、その思いをさらに強くした。
恐るべき全体主義が生み出した冤罪だ。

不合理で理不尽な扱いに正当な拒否・抗議の意思を示した者が異端者としてコミュニティから排除されたり、ときに犯罪者に仕立て上げられたりする。
この3年半で日本はこんな社会に成り果ててしまったのだ。

だが、こんな狂った社会に声を挙げる人はいる。
折しも同じタイミングの6月25日、「鼻出しマスク」で対局を反則負けとされ、さらに3か月の出場停止処分を受けた棋士の日浦八段が将棋連盟を提訴したと報道された。
代理人の桜井康統弁護士がインタビューに応じている。桜井弁護士は、同様にマスク不着用でJALを強制降機させられ、JALに対して訴訟中である。

話を戻して、強制降機事件について、個人的に当時の状況を振り返る。
当時のネットニュースでは、彼が機内でCAに対していかに横暴な態度であったかという報道が流れ、ヤフコメは彼への罵詈雑言で溢れた。

これはおかしい。私の感覚はまさに恐怖であった。
マスクをしないだけで犯罪者扱いか?緊急着陸など尋常ではない。
私はANAユーザーであったため、久しぶりにANAのホームページを確認したところ、「お客様同士の不安解消のために」マスクを「お願い」と書いてあるではないか。

ANAに、「マスクを強要するのか?感染対策ではなく『不安解消』を前面に押し出すのはおかしいのではないか?」と問い合わせメールを送ったが、数日後、ANAから来たのは、
「ANAではお客様同士の不安解消のため、機内では必ずマスクの着用をお願いしております」と言う、こちらの質問に全く答えないテンプレートであった。
絶句した。

以後、「お互いの不安解消のため」は市民にマスクを強要するための決まり文句となり、各種企業や商業施設にマスク強要に関する問い合わせメールを送ると、無視するか、同じようなテンプレートを送りつけてくる、と言うことを何度も経験した。

こうしてマスク全体主義が形成され、この事件後、定期航空協会がガイドラインを作成し、飛行機における異常なまでのマスク強要が本格的となっていった。

そして逮捕、裁判。
ネットニュースを見るたびに背後から暗い影に飲まれるような感覚に襲われた。
緊急着陸してしまった事実に帳尻を合わせ、企業の対面を保つため、結論ありきでそこから遡って、暴力が捏造される。
マスクは義務ではないため、「マスクをしなかったから降ろした」では戦えないことが分かっているからそれ以外の事実をでっちあげる必要があるのだ。
企業はここまで市民を追い詰めることができるのだ。
だが、企業が単独でここまでできたわけではないだろう。
現場の暴走、群集の喝采、抑止力の不在。この3つが相まって、一市民の社会的生命は簡単に奪われたのだ。

そしてこのような事件が何度も繰り返された。
桜井康統弁護士の事件もそうであるし、日浦八段や、谷本誠一元呉市議の強制降機もそうだ。
事件を報じるネット記事に彼らに対する罵詈雑言が溢れていること、のちの裁判で事実が歪曲されていくことも全く同じ構図なのだ。

桜井弁護士は、JAL強制降機のみならずウェスティンホテル東京でもマスク不着用を理由に宿泊拒否され、これら2社に対して訴訟を提起しているが、
ウエスティンは、「桜井氏が自主的に帰った」
JALは「往路では桜井氏はマスクを着用していた」
等の驚愕の答弁書を作成している。

また谷本氏のAIRDO事件も最初から異常としか思えないが、第3回口頭弁論では裁判官1名が更迭されたうえ、審議はわずか6分で終了、即結審。原告が要請した証人尋問と証拠採用を拒否するという裁判のやり方が繰り返すが異常事態である。

彼らのように訴訟を提起しないまでも日本中のあらゆる場所で、空気による、市民による市民の弾圧が繰り返された。

私自身も、強制降機にこそなっていないが、昨年(2022年11月)、ANAを利用した際に考えられないようなマスクハラスメントを受けた。

もちろん裁判はいずれも継続中であるが、奥野さんの一審では、司法が企業におもねる判決が出されてしまったから衝撃はさらに深かった。

何故このような無茶苦茶が罷り通るのか。マスク不着用者を弾圧し排除しようとする市民の空気がなければ企業側は到底このような暴挙には出られなかっただろう。
富岳のシミュレーション画像に洗脳された群衆の空気による集団ヒステリーに企業が乗っかったのだ。そして司法は機能せず、ただ追認するのみ。

こんなことが繰り返されてよいはずがない。

群衆心理について触れておく。
群衆は、思考無き人間の群れだ。今回のマスクカルトでは国民の大半が群衆と化した。
群衆は、感情だけで動く。そしてその感情は何かの刺激ですぐに入れ替わる。何百万頭ものヌーの大群と同じだ。
『群集心理 ギュスターヴ・ル・ボン著』に書かれている。
群衆に加わると人間としての意識的個性は消滅し、野蛮人、さらに言うなら原始人になると。

それどころか、家畜だと私は思う。
家畜は、自分が家畜であることすら分からない。檻に入れられても檻の中から「ルールに従え!」「ルールに従わないヤツを追い出せ!」と吠えるのだ。

恐ろしいのは、凶暴化した家畜(ヌーは家畜ではないが)の大群は誰にも止めることはできないし、こちら側が無残に抹殺されることだ。
身を守る為には、暴徒と化した群衆からは一旦は逃げるしかない。

だが、ただ黙って逃げ続けてはいけないのだ。

2023年7月、玉音放送無き敗戦から2か月の今だからこそ、あの頃の異常な空気を検証しなければならない。
「あの頃は仕方なかった」で終わらせてはいけないのだ。

市民の空気を忖度した企業が暴走し、今度は企業の暴走を市民が喝采する。そして抑止力でなければならないはずの国は見て見ぬふりを続けたという構図が、明らかに存在した。

これはマスクにとどまらない。
マスクをしない奴を追い出せ!と吠えた群衆は、自らが加担した全体主義の先に超管理型社会主義国家が既に構築されつつあることを知る由もないだろう。次に弾圧されるのは己であることも知らず、吠え続ける

だからこそ、どんなに少数派であっても、人間である我々は自らの尊厳を守り続けなければならない。
これ以上全体主義を進ませてはならない。

~おわり~

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