絶対はなくても、限りなく近似させることはできるでしょ?

生涯交流を続ける友達は一体何人いるのだろう。

僕の場合は、3,4人といったところ。極めて少ない。そもそも僕の場合は、よっ友だったり、上辺だけの友達付き合いがあまり好きではないのかもしれない。僕は人の顔は覚えられても、名前が覚えられない。そもそもよっ友のような薄っぺらい関係性だと、相手の名前が忘却の海に静かに沈んでいく。

僕が生涯交流を続けたい友達は3,4人しかいない。違う言い方をすると、""絶対に""交流を絶やしたくない絶対防衛ラインが3,4人ということ。

僕の同期は先月にみんな卒業したので、院進する1人以外は全員就職した。うち1人の、親友──彼の言い方を用いるなら──盟友Sに、僕は次のようなことを伝えた。

「絶対に交流を断ちたくない譲れない人は極めて少ない。Sはその1人。だから、どうか友達で居続けてほしい」

すると、盟友Sは、「よろしく」と答えた上で、僕に次のような助言をした。

──この世に絶対的な価値は存在しない。いぬから彼女への愛も、彼女からいぬへの愛も絶対ではない。もし何かあった時に、相対化する力を持っていないと人は苦労する。
例えば、第1志望の進路があって、そこに行けなかったとする。でも他にも良いところはあるし、別に良いか、みたいに、ある種の居直りを発揮するだろう。何事においてもそのようにある。
ただ、交遊関係や恋愛の場合は、別離において衝撃が多いことは理解してる。勿論選択肢はあるよ。復縁することもあり得るし、一つレベルの低い人間関係落ち着くことも有り得る。
ただどうしても別離が避けられず、孤独に陥ったときは、また出逢いがあるさ、と思って立ち直らなきゃいけないし、或いは、お一人様のように、自分の生の様式(自分らしさのような)を大切にする生活初めても良いと思う。無論これらも一例だけどね。
絶対的なものへの拘りを捨てなければ、万が一時には生きづらいよ。逆に言えば、絶対的なものへの従順の良いところは、普段凄く生きやすいことだね。
まあ俺もこのように言うけど、実際のところ絶対的に信じているものがきっとあるだろうな。自覚してないだけで。
決して彼女と適当に付き合えと言っている訳ではないです!

と、長くなってしまったが、このようなことを言われた。僕の恋愛観と、僕の友達観を重ねて、彼が思ったこと感じたことを伝えたのだろう。

「絶対的なものはないけど、愛情と執着、どちらもあるから大切なことで、執着は拘りとも言える。その執着・拘りの部分に絶対的な何かを信じるような感覚があるのかもしれない」

これは、恋愛観についての僕の言葉だ。それを踏まえて、僕は彼に言った。

「ただねえ。もちろん、Sも僕も今後の人生で価値観が修正されたり、大きく変わる可能性もあるからさ。お互いに、お互いのことを価値感じなくなることもあると思う。ただ、""今のところは""Sと一生涯の友達付き合いしてたいな笑笑。所信表明ってところだ」

すると、彼は、

「今の気分は大切にしよう。かけがえのないものだから」

と返してくれた。


この世に「絶対」は存在しない。それは間違いのないことだろう。人生何が起きるか分からない。友達付き合いも、結婚生活も、恋も愛も、家族愛ですら、絶対なんて存在しない。そんなことは分かってる。盟友S、彼の言うとおりだ。(恋愛に関して言えば、絶対的な愛が存在するなら、いくら浮気とか不倫とかクソみたいなムーブをかましても、無制限に相手の罪を水に流すことになってしまう。そういったことは普通ありえない。不倫されたり浮気されたら、千年の恋も絶対零度まで冷えきってカチコチになってしまう、当然の話だ。絶対的な愛は存在しない。逆に絶対的な愛があった方が不自然だし、怖いかもしれない)
ただ、「若いんだから諦観しないで、青臭さがあってもいいと思う」というのも以前の彼の言葉だ。
諦観で、斜に構えて、なんていうのは、つまらないように感じる。別に熱血漢が好きなわけじゃないけど、何でもかんでもわかりきって諦めるというのは、無味乾燥とした虚無虚無プリンだ。美味しくない。

絶対的な愛は存在しない。けれど、世界一幸せなカップルになりたいとか、「真実の愛」的な絶対愛を夢見てしまうのは、いけないことではないし、むしろ若いんだからそれくらい熱量があった方がいいと思う。
愛情と執着。このふたつがあるから恋愛がある。執着は無限大だということを僕は知っているし(苦笑)。執着が膨れ上がって束縛してしまう人が本当に存在することを僕はよく知っている。昔の僕がその1人だったからだ。逆に言えば、その時点だけを切り取れば絶対的な執着は存在していた、ということだ。

連続する時間の中で──過去から未来へと流れる1本の時間軸・直線を見て──絶対的な愛は存在しないけれど、""今""だったり、""過去""の1点を切り取れば、""絶対的な愛""は瞬間的に存在する。屁理屈だとは思う(笑)。ただ、こういうポジティブシンキングは嫌いじゃない。

要は、思い出だ。その時間における思い出をいかに残せるか。そこが大事だと思う。
僕は彼女と、長い人生の中で、たくさんの思い出をつくって、記録して、保存したい。その積み重ねが""瞬間的""だけでなく、""連続する時間の上での""絶対的な愛に限りなく近づくと、僕は信じている。

だから、僕はこれから先、いろんなところに出かけたり、食べたり飲んだり、見たり聴いたりして、思い出を彼女とつくっていこうと思った。

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