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空を見ていた ③必死に走った

「生きるのも死ぬのも、親・きょうだいを巻き込むな」という家訓(?)はすでに実行されていました。
誰も頼れる人がいなかったので、完全にイエスさまにしがみつくことが出来ました。

同じ年の子達が中学の卒業式に出ているころ、私は中学を除籍になりました。
小卒で、どうやって生きていけばいいのでしょう?
除籍直後、中卒認定試験があるのがわかって、さっそく受験。そして合格。
県立の通信制過程に進学しました。
月2回のスクーリング。全教科レポート提出。4年制。やってのけちゃいました。やるしかありませんでした。
だって、小学校の卒業式も知らないから、何としても卒業式を経験したかったんですもん。
幸い、両親は食べさせてくれたし住まわせてくれたので、とても助かりました。
お父さん、お母さん、ありがとう。

施設に預けられた時期があるので、福祉に関心を持っていました。
福祉関係の知り合いから、中高生の不登校のこどもたちの話し相手になってとの依頼があったので、アルバイトや学業の合間を見て、ボランティアをしていました。
不登校児だったことが、この時期とても役に立ちました。
通信制高校だということも、思いがけず役に立ちました。
不登校で苦しんでいた人たちが、こういう学校があると知って、のちに私の母校に通いちゃんと卒業出来たのです。

手話や点字との出会いがありました。
アルバイト先に聾者の女性がいて、しかもクリスチャンでした。
手話と筆談で、イエスさまのことを教えてくれました。
私が教会用語の手話を身につけることが出来たのは、このお姉さんのおかげです。
そして、そのお姉さんのお友達のおかげです。
この人は、のちに「聾者による、聾者のための手話聖書」の製作・出演をしました。
そのビデオは、教会で手話通訳をすることになった時に、とても参考になりました。
失声症になった時にも、手話は私を助けてくれました。
2005年から左耳が難聴気味になりましたが(まだ聴力はあります)、「手話がある」というのは、大きな慰めです。
点字もそう。 
2005年、やっと福祉の仕事に就く夢が叶いましたが、その仕事は視覚障害者のための点字事務でした。
そして、現在緑内障で、いずれは失明する私にも、なくてはならないものです。

クリスチャン作家の故三浦綾子さんの本との出会いもありました。
著作に「旧約聖書入門」「新約聖書入門」があることを知って、聖書の理解を助けてくれました。
そしてのちに、初代秘書のM.Yさんとの出会い・綾子さんの夫、光世さんとの出会い、おふたりの著作の中で私という人を紹介していただけたという、とても嬉しいことが待っていました。

イエスさまは、まだクリスチャンではなかった私にも、ちゃんとお世話をしてくださいました。
現状は、その後も厳しくなる一方だったんですけど、どんな状況でも、どんな環境でも生き抜けるように、「待ち望む」という訓練をしてくださいました。
とても長く待たなければなりませんでした。
点が線につながるのは、まだ多くの年月が必要だったのです。