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空を見ていた ⑤繋がっていたい

クリスマスの海から生還して、気がついたら新しい年を迎えていた。

1999年1月のある朝、突然「教会に行かなければ!」と思った。
なぜそう思ったのかは、未だにわからない。
ある看板が浮かんだ。
強制別居を強いられてからまもなく、ある教会の前を通りかかったことがある。
黄色い看板に教会名が書かれてあるのが印象的だった。
その看板を見た日から、ちょうど1年が経っていた。

・・・あそこに行って、洗礼を授けてもらおう!・・・

こどもの時に、何の本かわからないまま手に取り、読んだ聖書には、こどもにとっても優しく接してらっしゃるイエスさまの様子が書かれていた。
辛いこども時代を送っていた私には、そのイエスさまの優しさは、文字やものがたりではなく、まさしく”事実”以外の何ものでもなかった。
その日から、せっせとひとりで聖書を読んでいた。20年も・・・。
イエスさまご自身が洗礼をお受けになったという記述がある。私もイエスさまと同じことをしたかった。
でも、そのチャンスがないまま、長い月日を送らなければならなかった。

・・・今を逃しては、2度とチャンスはないかもしれない・・・

失声症を治してもらいたくて、教会に行こうと思ったのではない。
もう、私は声を必要としていなかった。
愛する娘と引き離されて、絵本を読んであげることも出来ないのだから。
離婚問題を、教会に解決してもらおうと思ったのではない。
夫と直接(電話も手紙も)話すことさえ拒否されていたのだから。

・・・イエスさまと、つながっていたい・・・
ただその思いだけだった。

普段は10分も歩けば心臓発作に近い状態に襲われるのに、その日だけは違っていた。
アパートから30分もかかる道のりは、私には果てしなく遠く思われたけど、「今しかない」という一心だった。

教会に着いてから、日曜日ではないことに気づいた。
声の出ない私は、前もって電話をして都合のいい日をお伺いすることが出来なかった。
人けは・・・ない。
扉は閉まっていた。
どうしようか、一瞬迷った。
もし、鍵がかかっていたら・・・イエスさまとは縁がなかったと思って、このままただの塵に帰ろう・・・。
心臓が高鳴った。
震える手で、ノブに手をかけてた。
一瞬、目をつぶった。
そして・・・
ドアは開いた。

ああ・・・! イエスさま! イエスさま!!!
イエスさまとつながることができる!!
ほっとしたと同時に、あまりのうれしさに体がガタガタ震えた。

「ドーカ シマシタカ?」

背の高く、サンタクロースのように体格のいい青い目の男性が迎えてくださった。
私には、まるでイエスさまが迎えてくださったように思えた。
失声以来持ち歩いていたメモ帳とペンを取り出し、『私は声は出ませんが、耳は聞こえます。 今日、私に洗礼を授けてください』と書いて渡した。
その男性はメモを読み、「ボクシセンセイハ イマ イマセンネ。 ユウガタ モウ1ド キテクレマスカ?」
夕方、指定された時間にもう一度、教会に行った。
牧師先生と、青い目の男性が待っていてくださった。
私はまたメモ帳に同じことを書いた。
お二人は目を合わせて、そして私を見た。
「それは、出来ないんですよ」
私は、メモ帳の「今日、私に洗礼を授けてください」を指差して、お二人を見た。
困った顔をしてらっしゃる・・・。
「日曜日、礼拝にいらっしゃいませんか?」
がっかりした・・・。
望めば、すぐにでもイエスさまと同じ洗礼が受けられると思っていた。
イエスさまと、つながっていられると思っていた。
でも、それは叶えていただけないことだった。

お部屋でひとりで泣いた。
もうダメなのか・・・。やっぱりダメなのか・・・。
でも、諦めたくない。 これが最後のチャンスかもしれないから。
全内蔵機能低下で、回復の見込みがないと言われていた。
自分の声さえも、もう忘れていた。
自分の体も精神力も、もうあとわずかで燃え尽きてしまうかも知れない。

本当に、諦めていいのか?
目の前にあるイエスさまとちゃんとつながる方法を、こんなに簡単に諦めていいのか?
自分の命がいつ終わるかわからないのに・・・このまま死んでいいのか?
残り少ない命なら、このチャンスを逃してはならない。
死んでからでは遅すぎる。

・・・ほかの誰でもなく、イエスさまとつながっていたい・・・

それだけが、今日一日を生き抜く支えとなった。