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空を見ていた ⑦奇跡

自分の抱えている問題について、誰にも何も相談したことはなかった。
離婚の行く末も生活状態も回復見込みのない体も、すべて自分で背負い込んでいた。
自分の置かれている状況を伝える「声」が喪失状態にあったから。
重荷を負って、ボロボロの体を引きずって、『みことばに聴きに行く』ことが、私が出来る精一杯のことだった。

1999年2月。

私以外の人は、皆声を合わせて賛美歌を歌い、主の祈りを捧げていた。
私はくちびるだけ動かしていた。
・・・一緒に自分の声で歌ってみたいな・・・
ふと、そう思った。

ある日、聖書を読んでいたら、『口の利けない人がものを言い始めた』(マタイ9:33)という箇所が目に止まった。
とっさに、「イエスさまならお出来になる!」と思った。
失声症になって、すでに数ヶ月過ぎていた。
もう、声を必要としていなかった。 絵本を読んであげたり、愛していると伝える娘がいないからだ。
でも、どうしても、賛美歌と主の祈りを自分の声で神さまに捧げたいと思った。

・・・イエスさま、あなたは何でもお出来になるお方です。
   私にまだ声が必要でしたら、どうか声を与えてください。
   もう必要ないのでしたら、あなたのみこころのままになさってください。  
   どういう結果であっても、あなたが私にしてくださることは、すべてよいことです。 
   みこころを受け止める力を与えてください・・・
そう祈った。

ため息の”音”は出せる。これを何とか手がかりに出来ないだろうか?
”音”を出して聖書を読んでみよう。
マタイ9:33に取り掛かった。
数ヶ月間、まったく動かなくなっていた声帯は、そう簡単には働かないものだ。
意識して”音”を出すのは、至難の業だった。
筋肉痛と似たような痛みがのどを襲った。
全身がくたくたになる。
どうやって声を出すのか、自分はどんな声だったのか、どんな話し方をする人だったのかもすっかり忘れていた。
それでも、毎日毎日同じお祈りをしてから発声にチャレンジしていた。

1999年3月。

何週間目だったろう。
ある日、小さなささやきが聞こえた気がした。
ぎょっとして、あたりを見渡した。
誰もいない・・・。
気を取り直して、また”音”を出して聖書を読んだ。
またささやきが聞こえた。
・・・・?
もう一度、”音”を出そうとしたと同時に、そのささやきはこう言った。

「口の利けない人がものを言い始めた」

声だ! 私の声だ!!
まさしく、私の口がそう語っていた。
それは、小さな小さなささやき声で、とてもゆっくりゆっくりとして、たどたどしかった。
涙が溢れ出した。止めようがなかった。

・・・イエスさま、ありがとう・・・

木曜日の夕方、B先生のもとを訪れて声を出して挨拶したら、B先生は文字通り躍り上がって喜んでくださった。
日曜日に皆さんに声を出して挨拶したら、すごく驚かれて、そして喜んでくださった。
あ者の私しか知らなかったので、本当に心から喜んでくださった。
私の知らないところで、皆さんが祈っていてくださったのだ。
だから私も、お相手の方が「もう大丈夫」と言うまでは、祈るのをやめない。