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空を見ていた ⑫傷ついた葦を折ることなく

「口座番号を教えてください」

メールには、そう書いてあった。
どう受け止めていいのかわからなかった。
この人は誰だろう? 恐る恐る返信で問い合わせてみた。
2004年に持ったHPに詩を掲載していた。その私の詩の読者の方からだった。
メールフォームを備えていたので、メールが届いたのだ。
神学校に入学したことはHPに書いていた。私生活については世間話程度にとどめていたつもりが、異変を感じ取って、クリスチャンであるその人がメールをくださったのだ。

借金をしたことがない。返済する力がないから。
それに、見ず知らずの方に助けていただくことなんてできない。
どう書いても、お相手の方は諦めてくれない。
どうしていいのかわからず、とにかくすべてを打ち明けた。クリスチャンであるにもかかわらず道を踏み外してしまったこと、これは自分の責任、自分でまいた種。決して私とかかわらないようにと念を押した。
「あなたは生きなければなりません。 みことばをのべ伝える人です。 生きなければなりません。 返済の義務はありません。 これは、神さまに捧げるものです。 それをどう龍舞さんに用いるかは、神さまがお決めになることです。」
それでも、私は承諾しなかった。
「所属教会の牧師ご夫妻に、返済の義務なしの証人になっていただきました。 『命がけで逃れよ 後ろを振り返ってはいけない』(創世記19:17) そこから脱出するのです。 あなたは生きなければなりません。」
そのみことばが、もう一度生きるチャンスを与えてくれた。

1週間で、不思議なほどにすべてが備えられた。
失業中だった私に、視覚障害者専門の介護事業所から連絡が入り、採用が決まったのだ。
学生の時に通信教育で身につけた点字が役に立ち、点字事務のお仕事が与えられた。
同時に、小さなアパートが見つかった。
脱出直前までネットをつなげていた。
”神の人”は、何度もみことばを送ってくれた。
私の詩のほかの読者の方が数人、やはり異変を感じ取って、ネットが切れる直前まで励ましのメールを送ってくれた。
退去期限当日、脱出は成功したのだった。

お風呂なしの6畳一間。ボロボロで、雨露がやっとしのげる程度のアパート。
生活保護を受けていた数年前より、さらに生活水準は落ちていた。
それでも私には大切な『逃れの場』だった。
想い出のゆり椅子、うさぎのぬいぐるみ、娘の写真、聖書、神学校の教材、古い箪笥、わずかな服、本は、こうして守られたのだった。
私の命とともに。

生まれつきの僧帽弁逸脱症候群は、時々血液が逆流する。激しい痛みと動悸とともに、過呼吸が起きる。
もう、10数年、安定剤で症状を和らげる日が続いていた。
全内蔵機能低下でボロボロになった自律神経は、たまに急激な血圧低下や低血糖を招くことがあった。
万が一の時のために、電話をひいた。
”神の人”に前もって連絡先を聞き出していたので、使わせていただいたお金の使い道は、そのつどすべて報告した。
「何のことですか? それは神さまに捧げたものです。 神さまがどのように龍舞さんに用いるかは、神さまがお決めになることです。 私は『右の手のすることを左の手に知らせません』(マタイ6:3)。だから、報告義務はないのです。 元気に生きてください。」
それでも、私は時折生活状況を報告し、元気でいることをお伝えし続けた。 ごくたまにお返事が届いても、みことばしか書かれていなかった。
いただいたみことばを心に留め、神さまに感謝して、厳しい生活を耐え続けた。
結婚報告をした時、「おめでとうございます。 祝福をお祈りします。」との言葉とともに、”神の人”は私の人生から去って行ってしまった。

2005年 7月

脱出から1週間後のある日、私は朗読会に招かれていた。
2004年にネット上で発表した「LOVE STORY」という詩がプロの朗読家の目に止まり、原作者として招待されていたのだ。
ボロボロになっていた私に、その朗読会は潤いを与えてくれた。 久しぶりに嬉し涙が流れた。
朗読会が終わってから、小さな女の子が話しかけてくれた。
「どうしたら、物語が書けるようになりますか?」
困った。 私は物を書くお勉強をしたことがない。文章がとても苦手なので、ポツリポツリとした言葉を並べることしかできない。
それがたまたま”詩”という形になっているだけなのだ。
真剣なその幼いまなざしに、何とか応えなくては・・・。

「お父さん、お母さん、お友達、まわりにいる人に、いつも”ありがとう”という気持ちを持っていましょうね。
美しいもの、すてきなものは、ずっと大切に心に持っていましょうね。
辛いことや悲しいことがあっても、穏やかな気持ちで今日という日を精一杯過ごしましょうね。
そうしたら、いつか、あなたの心から素敵なものが流れ出て、まわりの人と分かち合うことができますからね。
心にいっぱい、素敵なものをたくわえましょうね。」
そして、その子とママと、朗読してくださった人とみんなで手をつないでお祈りしてお別れした。

あの言葉は、自分に言い聞かせた言葉だった。
・・・辛いことや悲しいことがあっても、穏やかな気持ちで今日という日を精一杯過ごす・・・
イエスさまとともに。