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【 命ある限り 】

僕達は
ゆっくりゆっくり歩いてきた...

僕の右ひじにそっと手を触れ
半歩遅れて歩く癖は
この10年間変わりはない
あたりの様子を伝える声に
ふっと表情が和らいで
僕を超える視線に変わりはない

雨降る日に
傘をかざし雨から守る僕を
気遣うその優しさに変わりはない

少しの段差の前で声をかけ
止まるとき
半歩遅れて歩いていた君が
白杖の先で確かめるしぐさに変わりはない

僕達が知り合ったのは
もう30年も前だったね
妻を亡くして
男手一つで子ども達を育てていた僕に
貧しい小料理屋の君は
いつも食事の心配をしてくれてた
子ども達もどんなに君に助けてもらっただろう

子どもはいつまでも子どもではないものだ
それぞれ独立して
もう大丈夫だと思っていたのに
僕は父親以外の何者にもなれなかった
子ども達の反対を押し切ってまで
第2の人生を歩む決心が出来なかった
孫たちまで君にお世話になったのに
僕は...

借金だけ残して
行方をくらました夫の代わりに
貧しい小料理屋を細々続けていた君
夕方 薄暗い狭い店内で
古ぼけたカウンターにもたれて
泣いていた

僕に気がつき 振り向いた君は
僕の立っている位置がわからなかった

・・・見えないの・・・

・・・どこにいらっしゃるの?・・・

空を切る君の手が
僕を探していた

網膜色素変性症
遺伝性のものだった

僕に何が出来る?
僕に何が出来る?
ああ 僕が苦しいときに
ずっと陰で支えてくれた君に
僕は何が出来る?

僕は身の回りのわずかなものだけを持って
君の住むアパートの近くに引越した
一緒に住むのは
きっと簡単なことだったろう
もう子ども達も独立したのに
僕はやはり父親以外の
何者にもなれなかった

60でなんとかガイドヘルパー資格を取った
様々な学習と実技に悪戦苦闘しながら

これで何とか外出介助が出来る
”仕事”としてなら
君も僕と一緒にいることに
心責められることはないだろう

僕達は距離を保ちながら
それでもやっと
ふたりだけの時間を持つことが出来た
30年の時を経て

70歳でヘルパー契約は打ち切りになる
僕以外のヘルパー専属を望まない君は
おのずと利用支給時間を減らされてしまう
そして僕は
もうすぐ70を迎える

見えない君が
僕を必要としてくれてるだけではなく
僕自身が 君という人を必要としてるんだ...

長い長い間
どうにもならない状況を
文句も言わずにただひっそりと待っていた君
妻を亡くして途方にくれていた
僕のために
子ども達のために
孫達のために
ただひたすら尽くしてくれた
君の包むような暖かさは
どんなときにも変わりはしなかった

・・・生涯に
心通わせられる人がひとりいてくれたら
それだけで十分なの・・・

ずいぶん昔
そうポツンとつぶやいた
あの横顔の美しさは
今でも変わりはしない

僕達は
ゆっくりゆっくり歩いてきた
そしてこれからも
命ある限り
ゆっくりゆっくり歩いていこう

僕は
君より半日だけ長く生きれるように
がんばるよ
君を残しては逝けない
君より半日だけ長く生きて
ちゃんと見送ってから
僕も君のいる所に行こう

それまでは
命ある限り
ゆっくりゆっくり歩いていこう
君とふたりで