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うえすぎくんの そういうところ Season.7 青春の内側編 『第92話 カオスな空間』

第92話 カオスな空間


「この場で破門を言い渡されたくなかったら、道の精神に則り真剣に立ち会ってください。不要な手加減や無気力が見られた際には容赦なく止めます」

かなり厳しい条件を提示しているけれど、このままでは友情にまでヒビが入りかねないと判断しての決断であり、両者ともに恐らく互いの本気を知らないであろう危険を回避するための立ち合いでもある。とはいえコハクは明らかに体格で劣るし本来階級も違うのだから思いっきりぶつかれば良いし、たくみ君はその体格を生かして寝技に持ち込んでしまえばそう易々と抜け出せないだろう。

「立ち合いは三本行うこととします。これは稽古の一環ですから双方くれぐれも怪我に注意すること」

仲良し四人組の二人がこれから忖度無しの本気で向き合おうとしているのをこの立場で見るのは正直複雑な心境だ。コハクがバドミントンではなく柔道を選び、たくみ君はこれから全日本を目指し、そして何より二人の関係性が些細なことで壊れてしまわない為にも避けては通れない道だ。

「あら、面白そうなことをやっているじゃない?」

母上の声と共に父上、甲村師範の三人が道場に姿を現した。こちら側全員が正座をして師範達に頭を下げ、指導者のみなさんは我々に正対して座した。

「遅かれ早かれいずれは通らなければならない道だろうと思っていたけれど、タイミングが良いわね。柚子葉、そんなにざわついた心では見えるものも見えないわよ? 公平公正に我々三人が審議したいと思うのだけれど、お二人はいかがかしら?」

「ああ、構わないよ」

「ワシもじゃ、琥珀の成長を見てみたいでの。はーん」

二人の背中を押して気持ちを通い合わせる目的の立ち合いがとんでもない大ごとになってしまった。両師範に加えて甲村師範まで加わるとなれば、自分の出番などあるはずもなく

「恐縮です。どうぞよろしくお願いします」

素直に頭を下げるしかなかった。同時にこれから組み合う二人は極度の緊張と闘うことになると思うけれど、互いの師匠が見られるのだから雑念を捨てて本気で向き合わなければ全てが水泡と化す可能性だってある。とはいえ賽は投げられたわけだし、私は見守るしかない状態。

「三本っていう話だったわね。それでは両先生には対角線上に立っていただいて、主審は私が務めさせていただきます」

母上が二人の前に立った。

こんなに贅沢な審判員、全日本大会でも見たことが無い。対して大会であれば闘志を燃やして集中できるけれど、自分が知る限り思いを寄せ合っている二人なのだから動揺や迷いが生まれても仕方がない状況。

「互いに礼。はじめ!」

母上の号令にびっくりした私とは対照的に動き出した二人。たくみ君の表情には迷いや戸惑いがあるのに対し、コハクには微塵も感じられない。低い姿勢から胸元に飛び込まれて驚いた表情が見られたのも一瞬、自身の体ごと丸め巻き込むような彼女の鮮やかな背負い投げ。師範三人の手が一気に上がり

「一本!」

母の声が高らかに上がった。

まるでタックルでもしそうな勢いで帯よりも低く懐に入り、飛び跳ねるように立ち上がって相手のバランスを崩しながら旋毛風のような背負い投げはコハクの得意技であり、あっという間の出来事だった。

双方定位置に戻って一礼し、そのまま二本目へ。先程とは打って変わってなかなか進まない攻防に何度か『待て』が入り、互いに二つ消極的指導が言い渡される。これを受けて強引に突っ込み大外刈りに行こうとしたコハクの力に押し返そうとする彼の力を利用して、自身の体ごと倒すように逆に引き付けてからの小外刈りに三人の手が一斉に上がる。

「一本!」

(体格差を利用したとてもうまい戦法だわ。一本目は奇襲、二本目は警戒させてからの返し投げ。さあ、三本目はどうなる? それにしてもここまで気持ちの乗ったコハクは今まで見たことが無い)

「はじめ!」

三本目は空気一変、たくみ君が力でねじ伏せようと彼女を振り回すような展開。力で押し倒すようにして『技あり』のポイントを奪うも、そこからコハクの反撃。畳を味方につけて抑え込みに入り、中途半端に掛かりかけた横四方固めを捨てて、崩れ縦四方固めでガッチリ抑え込み。体を反らせたり捻じったりと必死で抵抗するもここまでしっかり固められたら逃れる術はなく、抑え込み一本で彼の三連敗。

互いに向き合って礼を行うもコハクの顔に歓喜の色はなく、対するたくみ君は目に涙をいっぱい溜めて拳を握り歯を食いしばっている。

「先生方、ありがとうございました。あとはこちらで指導いたします」

この言葉に察してくれた母上は両師範を連れて何も言葉を残さず母屋に戻っていった。

残されたのは不気味なほど静まりかえった畳の空間と、何とも形容しがたいどんよりとした空気。勝ち負けくらいはわかるものの何と声を掛けていいのかわからない表情のりゅうくんを横目に見ながら、私自身もどちらに何を言えばいいのか困惑していると

「ぷっ! あっははは! たくみんさ、リハビリ期間だって大目に見ても弱すぎでしょ」

しゃがみこんでお腹を抱え、淀んだ空気を切り裂くようなコハクの笑い声が静かな道場に響く。それはまるで予兆のない落雷が如く、予想すらできない状態で身構えることも許されず、突然撃ち付けられたと形容するしかないものだった。

自分たち傍観者二人は辛うじて『驚く』で済ませられるけれど、三連敗した当事者の彼はそれを脳天にまともに食らったのだから狼狽なんて生易しいものではない。

「なにが可笑しい……」

今にも爆発しそうな感情を必死で押し殺しながら渋りだした低い声に、下を向いてしゃがんだまま答えない彼女。

『ちょっと、コハク!』なんて言えばドラマチックなのだろうけれど、実際そんな気の利いた言葉も出てこないくらいのカオスな空間の中で、ただ二人を視界に捉えることしかできなかった。肩を震わせて笑っている彼女を極地の氷に例えるのならば、立って拳を握っている彼はまるで噴火しかけの活火山。

「なにが可笑しいのかって聞いてるんだ」

溶岩はジワジワと溢れ始め、周囲の木々を巻き込みながら延焼範囲を一段と広げており、溜まった爆発のエネルギーを噴火に変えるタイミングのカウントダウンが始まっている。

万が一『暴力』という形で注がれた場合を想定して飛び掛かる体制を作りながらも傍観者である私が未だ沈黙を貫いているのは、彼女の心の中が全く想像できないから。愛おしそうにぬいぐるみを抱いた姿を見たり、彼に対する純な乙女心を聞いてきた自分の脳では目の前で起きている事象をどう処理して良いのか皆目見当もつかない。

そして遂に火山は噴火した。

「おい、いい加減にしろ! 何を笑っていやがるんだって聞いて……」

高い位置から上半身を屈めて胸ぐらを掴み、怒りの力で持ち上げた彼女の顔は涙に濡れていて火山の轟音を詰まらせた。

「あたし、たくみんにガッカリされないように全力で頑張ったよ」

溶岩が凍った。

#創作大賞2024#漫画原作部門

重度のうつ病を経験し、立ち直った今発信できることがあります。サポートして戴けましたら子供達の育成に使わせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。