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美術館で笑いをこらえる事で知性を感じた話

ヒンドゥー教の神々展というイベントが、とある美術館で催された。
インド神話が・・と言うより、神話が大好きなので、一人でそのイベントに赴いてしまった話をしたい。

ヒンドゥー教の神々と聞くと、何を想像されるだろうか。
ギリシャ神話や日本の神話に比べると、日本人には知名度が低いので、もしかしたら何も思いつかない方もいるかもしれない。

ヒンドゥー教の神々の事として問われるとそうなるかもしれないが、
それでは「シヴァ」や「ガルーダ」という名前を聞いた事がないかと問われると、ゲームや小説で聞いたことがあると答えるが多いだろう。
ヒンドゥー教の神々が日本の創作文化に浸透している証拠である。

神話というのは、とにかく奇想天外な話が多く、派手な物が多いので聞く者の耳を引く。もちろん、そのように意図的に作られているわけであるから当たり前ではあるのだが、それでも永劫回帰僕たちは常にこの神話という物語に心を惹かれている。

そんな心惹かれる物語の美術展示イベントに心を躍らせ、目を楽しませて気づいた事を感想として残したい。
今回強くお伝えしたいのは、「予備知識があることで、美術館は高尚な楽しみ方が出来る」という点である。

先述した通り、神話というのは派手で奇想天外なストーリーが多い。
その神話という物語が一枚絵になって展示されている美術品を見て回るのだが、それが笑いをこらえるほど面白い。
別にこらえる必要もないのだが、他の来場者が誰も笑っていないのに一人だけ声を上げて笑うのも不審者とみなされかねないので、笑いをこらえているのである。

例えば、神話の中でも有名な「ガネーシャ」という神様がいる。
この神様の大きな特徴として、頭は「象」で身体は「人間」という部分が挙げられる。その時点で少し面白いのだが、どうしてそうなったかというストーリーがさらに奇想天外で、もうどうしようもなくなってしまう。

ある日ガネーシャは、母に申し付けられて、お風呂の番をしていた。
彼の母親は、美の女神とも言われており、覗きの対処に苦慮していたのだ。
だから母は「誰も通してはいけないよ」とガネーシャに申し付けた。

まだ子供であったガネーシャは言いつけを忠実に守った。
そこへ、彼の父親が帰ってきた。ちなみに彼の父親は、絶大な力を誇る破壊の神「シヴァ」である。(シヴァは一本矢を放つだけで都市を3つ破壊すると言われている)
シヴァはもちろん自分の家であるから当然の様に家にあがったのだが、ガネーシャは母の言いつけどおり、シヴァに対して「入ってはいけません」と言ってしまった。絶大な力を誇る破壊の神は激怒してしまい、ガネーシャの首を刎ね、遠くへ投げ飛ばしてしまったのだ。

母親が上機嫌でお風呂から出てくると、夫がくつろぐ側で、息子が首なし死体となって倒れているという状態であり、とんでもないエピソードである。

話はそれで終わらない。
今度はそれに激怒した母親が「息子を生き返らせなさい!!」とシヴァを怒鳴りつけた。無理難題である。

シヴァは遠くへ投げ飛ばしてしまった息子の首を探す旅に出たが、見つからず、旅の途中で見つけた象の首を代わりにガネーシャの身体にくっつけて事なきを得た。というのが、「頭が象」の神様誕生秘話である。

そのシーンが、美術館に一枚絵となって展示されていた。
子供の身体であるガネーシャに象の首が取り付けられ、母親は「良かったわねガネーシャ」とでも言わんばかりに、息子に愛玩の目を向け、ガネーシャは「パパありがとう!動けるようになったよ!」と言わんばかりに喜んでいるように描かれている。
このストーリーを予備知識において、この美術作品を笑わずに見ろというのもまた無理難題である。

また、ハヌマーンという神様の美術作品展示においては、
ハヌマーン屈指の名シーンが作品に描かれているのだが、これにも笑いが止まらない。

ハヌマーンは猿をモチーフにした神様で、猿神と言われている。
ハヌマーンは、巨大化するという特技を持っており、仲間が大怪我を負うという大ピンチのシーンにおいて、巨大化をして仲間を救うのである。

どんな怪我をもたちどころに治してしまうという薬草がヒマラヤ山脈の頂上に生えるという情報を得たハヌマーンは、仲間を怪我から救うにはこれしかないと考え、急いでヒマラヤ山脈に飛んでいく。
しかし、薬草の詳細情報を聞いていなかった彼は、どれがその薬草か全くわからなかったので、巨大化して山頂ごと切り取って持ち運ぶという発想でこの局面を乗り切る!という冒険活劇として最高のシーンが美術作品として一枚絵で描かれていた。

その作品では、切り取った山を側において、心配そうに仲間を覗き込むハヌマーンと、薬草を飲ませる仲間達が描かれているのだが、ハヌマーンと切り取った山の山頂と倒れている仲間、薬を飲ませる仲間達がすべて同じ比率で描かれている。
とすると、ヒマラヤ山脈の山頂とはミニチュアだったのだろうか。
それとも仲間達も同じく巨大化するという特技を持っており、治療に興奮してつい巨大化してしまったのだろうか。

他の来場者の方々が、真面目な表情でまじまじとこの作品を見れば見るほど、笑いがこみ上げてくる。

しかし、この感想文において、一番伝えたいのは、この「一人で笑いをこらえているという行為が、非常に高等な楽しみ方であり、ある種の優越感を感じる事が出来た」という点なのである。

例えば、もし、この来場者の中に、インド神話の予備知識を持つ者が自分だけだったとしたら、この面白さを感じることが出来るのは会場の中で唯一人ということになるのである。それはなんと贅沢な楽しみ方であろうか。

この事から鑑みるに、物事を楽しむという事象において、「知識」を持っておくということが必要である事に気付かされたわけだが、だとすると逆説的には、知識を持っていれば持っているほど、日常で面白いという事象が増えていくという事でもあるのではないかという大発見である。

まさか、ヒンドゥー教の神々展というイベントに赴く事で、
「これからもっと勉強をして、世の中を楽しんで生きていこう」と誓う事になろうとは思わなかったので、貴重な発見をさせて頂いた事に感謝したい。



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