自分のルーツ
8月12日(月)の夜から8月16日(金)の夕方まで、淡路島の実家に帰っておりました。
築100年は優に超えている家で、私の祖父、曾祖父、高祖父の時代のものと思われる食器(瀬戸物、木製のお椀)などを整理しております。
物の整理を今年の3月から始めていますが、なかなか、はかどりません。
今日は、木造の母屋の奥の部屋の2階のものおき部屋にあった座布団30枚、大きな蚊帳4式などを引っ張り出してきて、整理しました。
亡くなった父から、片山の本家から分家して片山の新宅として僕で9代目になるらしいということを聞いておりました。
父が1997年に片山家の過去帳を、菩提寺の本福寺の過去帳から転記したようで、それによると、最初に記載されているのは
寛政8年(1796年) 12月12日
寒月道庵信士 霊
和太次 父親
とあります。
つぎに記載されているのは
文化5年(1808年) 8月12日
寂光妙音信女 霊
和太次 母親 行幸(享年)80歳
とあります。
どうも 和太次という人が 片山の新宅の最初の方のようです。
今年で67歳になりますが、実家のリフォームをするため、実家のご先祖の遺品を整理する過程で、自分のルーツに興味がわいてきました。
しかし、いまとなっては、父親の兄弟もすべて亡くなっており、自分の祖父、曾祖父のことを聞ける人がおりません。
父親の遺品に、平成12年(2000年)に編纂された本文1180ページ、付録42ページにおよぶ「東浦町史」[2]があります。
私が生まれた楠本は、南北朝時代の楠木正成とゆかりがあります[1]。東浦町史 第二編 歴史,第二章 古代・中世,第四節 南北朝の分立,二 南朝と北朝(pp.296-299)に、以下の記載があることを見つけました。
松帆神社の記録によると、楠木正成が足利軍と戦った湊川の戦いで、楠木正成の命を受けて、淡路島の楠本村付近に落ち延びた吉川弥六が、明徳四年(1393年)、浦村に宅を構え、片山要見(楠木正成の医師)の娘を嫁としたという記載がある。
もしかして、片山要美は、片山の本家のルーツかも知れない。実は、片山の本家で、私の大叔父である片山理一(私の祖母 片山きよの の弟)は、京都大学の医学部を卒業し、浦で開業医(内科、皮膚科)をしていたのです。
これらを明らかにするには、片山本家のルーツも探らなければなりません。
いずれにせよ、これらの郷土史をたよりに、自分のルーツを探求していきたいと思っています。
[1] 淡路島 楠本の由来
[2] 東浦町史編集委員会:東浦町史,東浦町,第1法規出版株式会社,2000.3.31