【政治とは命の選別。そして民主主義社会において、全ての有権者は、「代表を選ぶという役割」を担っている政治家にほかならないため、命の選別に関わっているという自覚を持つのが筋であるという持論】

【政治とは常に間接的かつ結果論的に「命の選別」をしています。だからこそ大切なのです。選ばれなかった人々の不幸をいかに最小化するか?それも政治でしか出来ないことですから。その「命の選別による不幸の最小化」こそ、政治家が命を削ってまで思考すべき最重要課題の1つでしょうし。私達有権者はその問題に対して真摯である政治家を選び、彼らを叱咤激励、必要なら罷免する責任を持つのです。政治家であるのに「政治が命の選別をしてはならない」などと、キラキラしたノリで安直に仰る方には、正直吐き気がする。政治家はもちろん、有権者においても自覚すべきでは?選挙権を持つということは、立場に関わらず例外抜きで「命の選別」に関わっている。そういう自覚こそが大切なのではないでしょうか?】


これが元々のタイトルです。

長すぎて受け付けてもらえませんでした。

自分史上最長になりました。

タイトルですから。。

なるべく簡略化したかったのですが、これが限界です。

人の命に関わるような問題を、これ以上、短くまとめるなど、私の能力では出来ない。

そして、中身をこれから書こうと思ったのですが、

メンタル的にキツイのでまた今度にします。
涙と反吐が溢れて、今はもうキツイのです。
明日、早番やし。

私が経験したり、見聞きした「命の選別」についてはまた、ちゃんと近いうちに書きます。

変わりに、この件に関する私の考えに、近い考えを持っている人の記事のリンクを出します。

https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20200724/

良かったら、熟読してください。

熟考してください。

「命の選別」の結果、切り捨てられた立場になったことを想像して、

心身喪失して「一家心中」という選択肢を頭にちらつかせることを想像しながら、

読んでみて下さい。

私が近いうちにこのテーマで再掲する時は。

私が経験したこと、私が大切に思っていた親友一家が「選別」を受けた結果についてをお伝えします。

カンのいい人は、なんとなく想像できて、気持ち悪いでしょう。

ごめんなさい。

でも、その感性は多分この先の世界においては大切だと思いますので。

辛いとは思いますが、その感性、大切にしてください。

私は残りの200年の時間を使って、私塾を開き、政治家を輩出しようと画策しています。

必要であれば、私も政治家になります。

向いてないので、なるべくは避けたいです。

政治に関わっている限り、

いや、

人として、文明の中に生き、何かを判断しているのであれば、

私達は、大なり小なり「命の選別」に関わっている。

この現実から逃げるな。

辛いけど直視しろ。

現実だからといってあきらめるな。

少しでも悲しみを最小化すべく自分に出来る努力をしよう。

それが、

政治というものでしょう。

キツイことですが、
 
身近なものなんです。

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