【文系教科の大切さ〜経済も避難も「生きるための活動」そのものなのに〜】

教養の目的は「未知なるモノに対する恐怖」に負けずに、思考を巡らせ、勇気を持って行動する力を養うことだと思います。

なので、

「この人、勇気があるなー」

と思う人に対しては、同時にだいたい、

「この人、教養あるなー」

と、思います。

これは正直、学歴は関係ないですね。

高学歴者は一見、教養を得やすい立場にいるように見えますが。

今の時代、別に教養は機関に属していなくても得れます。

高学歴であろうと無かろうと、教養のある人はあるし。教養のない人はない。

よく、

コロナについて取り上げるメディアで取り沙汰される言葉で、

「経済を優先するか?生命を優先するか?」

というものがありますが。

私はこのような認識が、極めて危険なのだと思っています。

経済とは生きるための活動

ということが分かっていない。

としか、おもえないのです。

だから簡単に、

「生命を優先するためには経済を犠牲にするのもやむを得ない」

などという言葉が簡単に扱われてしまうのだと。

結局、

このコロナ禍における不条理は、

国語と社会という、戦後、いや、明治時代から軽視されている教育分野の低レベル化が招いたものだと、

私は思います。

経済停滞と人の死をサクッと結び付けられないのは、

明らかに国語力と社会科教養の壊滅的な不足だと思うのです。

無知は、

たしかに絶対悪ではありませんが、

無知故に、結果論的に生命を軽視するような行いをし、

結果、人を死に追いやるということは多々あるのです。

さて、

記事を1つ引用します。

台風迫るも…避難所には人数制限 鹿児島・枕崎市
https://news.yahoo.co.jp/articles/6810852185ad829aef64f94030a608ba5b52f311

ここで描かれるのはは完全に新型コロナウイルスが撒き散らした「未知なるモノに対する恐怖」が生み出したパニックにおける、思考停止した人々の姿です。

愛する家族を連れて命からがら辿り着いた避難所から追い出される。

「せめて、娘だけでも!」

「申し訳ございません」

ということが起きたということが想像できます。

同じことが、

日本各地で起きる事も

ありえます。

本当にそれでいいのでしょうか?

しかし、ことの是非は置いておいて。

おそらくこうなるでしょう。

コロナが始まってから、ずっとこうで、

こうなってしまった。

そう、

驚くべき思考停止ですが、

驚くべきことに、

このようなことが起きたところで、

驚くべきことでもない。

驚くべきことに、

そんな世の中になってしまっている。

「今すぐそこにある命の危機からの回避」

よりも、

「コロナ防御を100%に近づける」

を優先する。

災害時に避難してきた人々をコロナ対策を理由に締め出す。

今に始まったことではありません。

同じことをずっとやってきたのです。

この国はロクな補償も保証もなしに、「コロナ対策」を理由に経済活動を制限してきました。
今も続けています。

もはや多くの人にとって、この「自粛強要ムード」は「今すぐそこにある命の危機」となっています。

しかし、


「今すぐそこにある命の危機からの回避」

よりも、

「コロナ防御を100%に近づける」

を優先しているのです。

店をやって食い扶持稼いでいる人に営業自粛を強要するのは、

災害時に避難してきた人々を締め出すのと、

本質的には同じなのです。

この、真に恐怖すべき事態を生み出したものは何か?

私は、

恐怖が生み出したパニックにおける思考停止、

と、

それ以上に、それらに打ち克つための教養の決定的な不足だと思います。

特に、

明治維新期と戦後という、

早期の経済成長が求められ、そのために効果的である理系、実学系の教科が尊ばれた時期を、

近代以降、2度も経験したこの日本という国は、

相対的に、

文系教科が軽視され続けて来たかのように思います。

同じく文明の根幹であるにも関わらず、即効性に乏しいが故に。


当時の社会情勢を鑑みて実学の大切さを説いた福沢諭吉著の『学問ノススメ』は、「当時の社会情勢」において間違いなく日本を切り開いた書でしたが。

注意深く読めば、

実学偏重というアンバランスは、

あくまで西洋列強による植民地化という悪夢に直面した非常事態下における、

あくまでも必要悪的な異端的手法であり、

全時代に普遍的な、正統手法ではないと読み取れると思います。

が、

この国は、短絡的にあの書を、まるで聖書のようにしてしまった。

結果として文系教養は軽視され、夏目漱石等の奮闘虚しく、実学偏重路線を中道に是正しなかった日本人は、皮肉にも「現実を生きている」つもりで、政府軍部のみならず国民全体が虚栄に囚われ、無謀戦争への道を歩んだ。
 
そして、戦後の焼け野原において、

まるでタイムスリップしたかのように同じことを繰り返し、実学偏重により高度経済成長、奇跡の復興、そして教養の中道是正をせずに虚栄に囚われて、バブル崩壊から始まる停滞の時代を経て、今、コロナパニックにおいて、生命の大切ささえも見失うくらいの、

恐るべき思考停止の時代に直面している。

私は、

そういうふうに幕末期から2020年までの歴史を

読んでいます。

大切なのは。

教育、勉学。

特に足りないのは、

大人の勉学だと思っています。
 
子供が学校に行くことは、不要不急出ないとされていますが、

大人が勉強のために行くセミナーは不要不急扱い。

このことが「大人にとっての教養」に対する日本という国に住む人々の認識を如実に表しているように思います。

そして、私は、

あらゆる手段を持ってして、

そこを変えるのです。

全ては、

自分と自分にとって大切な全ての人々が笑顔で幸せに生きていくのをみて、

私自身が笑顔で幸せに生きていくため。

なのです。

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