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【高齢者の愛と若者の甘え】【短くまとまった伝わりやすい文章の弊害について】

今回は2本立てです。あえて一緒にしたのには理由がありますが、その理由を明確に書くことは、あえてしません。

さて、まず母親が私達3人の息子に新型コロナ騒ぎに関して良くまとまっている情報をシェアしてくれましたので、シェアします

https://osekonoriko.com/corona/

「打つつもり満々で予約もしたけど。もう少し情報を集めて判断するわ。分かったことはどの情報媒体も安易に信用してはいけないということやね。あんたらは特にまだまだ余生が長いから、しっかり調べてしっかり判断しーや」

とのこと。

新型コロナに限らず、世代間の分断が囁かれて久しい昨今。しかし、改めて気付くのは多くの高齢者が若者たちを愛し、そしてその未来を案じている。もちろん、全ての高齢者がそうとは限りませんが。それでも、少なくとも私は自分の親からそういうものを感じて余りあるのでこの文章を書いている。。

一方で、若者は自分たちの投票率が低すぎるという自らの無責任を棚に上げて、必然的に高齢者優遇にならざるを得ない社会を勝手に嘆き、「シルバーデモクラシー」「老害」などと、高齢者を貶めるような言葉をよく聞きます。これももちろん全ての若者がというものではありません。

が、やはりこのような社会状況の根源は私達若者世代の「甘え」であるということに行き着く気がしてなりません。民主主義国家において有権者が投票をしない自由はあります。が、投票しない方々には投票しないことで起きる弊害は甚大ということをよくよく考え頂きたいなぁ😅 と、率直に思います。

1番の問題は為政者に世相のリアルが実質的に伝わらないということです。「裸の王様」を作っているのは選挙に行かない有権者という視点を持って考えてみることをおすすめします。

以下は、全く別の話題になります

【短くまとまった伝わりやすい文章の弊害について】

さて、上にはあえて回りくどい表現にて文章を綴りました。大切なのは答えを知ることではなく、自分で答えを探すことだと思いますので。

安易に答えを提供する、「伝わりやすい文章」というのは、昨今非常にもてはやされております。「伝え方こそが最重要」と言わんばかりに。

しかし、「伝わりやすい文章」というものは人から考える力を奪うという弊害があります。言葉の操り人形を量産してしまいかねないという弊害があります。情報や言葉というものに対しての自分が持つべき責任というものを見失わせてしまうという弊害があります。

かねてから申し上げている通り、私は新型コロナ騒ぎに限らず、ここ20年くらいの間、世界で起きている問題の源流に、「伝わりやすさ至上主義」と「短文至上主義」があると思っています。

確かに短く分かりやすくまとまった文章というものは便利です。そう便利です。便利であるがゆえにそれ自体が弊害なのです。読むのが簡単な文章は、読み手から思考する機会を奪うのです。運動しないと「ブヨブヨの脂肪の塊」になるのと同じです。平易な短文で溢れた世界において、人々の脳味噌は運動することを忘れた「ブヨブヨの脂肪の塊」になってしまうことはむしろ必然です。

結果、長い情報を目にすると「つまり何?」と条件反射し隅から隅まで目を通すことを非効率と断じて切り捨てる。そして、いわゆる「切り取りニュース」にまんまと引っかかって情報発信源の思惑通りの「世界」を作り出すことに一役買ってしまうのです。

短くまとまった伝わりやすい文章とその有用性に対する認識が広がったことによる恩恵は計り知れないのは事実です。

同時に、短くまとまった伝わりやすい文章とそれに対する礼賛が引き起こした恐るべき弊害もあり、それによって説明できる事象がかなり世の中を蝕んでいるという事に気付く事から始まる可能性にも目を向けていいのではと思い、今回この文書を書きました。

終始、明確な答えを提示することは避けました。

何かを考えるきっかけを作ることが叶ったなら、これにまさる喜びはありません。

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