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令和五年十月六日 晴明神社(せいめいじんじゃ) 京都市上京区

六日、京都、七日、大阪と、連日で仕事とは言えない程度の用事があり、京都に二泊した。チェックイン前のホテルにスーツケースを置かせてもらい、早速、晴明神社に。

晴明神社は、京都に来る機会があるごとに参拝を試みたが、なかなか時間の調整がつかず毎回断念。安倍晴明やドーマンセーマンといった言葉を知ったのは、大学時代に流行った荒俣宏の『帝都物語』だったと記憶している。だからと言って当時、晴明神社に関心を持った訳でもなく、今回が初めての訪問となった。

晴明神社は、平安時代中期の天文学者である安倍晴明公をお祀する神社。
創建は、寛弘四年(1007)。晴明公の偉業を讃えた一条天皇の命により、そのみたまを鎮めるために、晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられた。


先ず目に入る神額を飾る五芒星、晴明桔梗。やはり独特である。

黒に金文字の御由緒書きは綺麗である


鳥居をくぐるとすぐ左に「一條戻橋」と「式神(しきがみ)」の像。
現在の戻橋は、晴明神社から南へ100メートルのところの一条通りにあり、堀川に架かっているが、この欄干親柱は、そこで大正十一年から平成七年まで実際に使用されていたらしい。

戻橋の晴明に関する逸話がある。
家来として扱っていた式神の顔を晴明の妻が怖いというので、普段は戻橋の下に住まわせて、その式神を使って橋占(はしうら)を行っていたという言い伝えである。

インパクトのある顔ではある
参道の右側には一体のみの大きな狛犬


参道を進み、二の鳥居の手前にある「日月柱(にちげつちゅう)」。
公式サイトによると「この柱上にある日月石像は、篤志家によるご奉納で、南に「日」、北に「月」を配し、まさに 陰陽を表している。また石柱は、かつて四神門の門柱として使われていたもので、「明治三十七年九月晴明公九百年祭紀念」と刻まれている。」

二の鳥居の神額には「晴明社」の文字。


鳥居をくぐってすぐの石柱の上に、四神(東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武)が掲げられている「四神門(しじんもん)」。

青龍(右)/朱雀(左)
白虎(右)/玄武(左)


境内の最奥にある、左に「安倍晴明」公像、右に「厄除桃」を構える本殿。この本殿は、明治三十八年に建てられた。

参拝客に触れられ、地が露出した指先


古来、中国また陰陽道では、桃は魔除け・厄除けの果物といわれる。伊耶那岐命が、黄泉国と葺原中国の境を越えた時、妻・伊耶那美命の放った軍勢を撃退したのも3個の桃である。

こちらも同様


本殿の右手には、お稲荷さま(晴明は、お稲荷さまの生まれ変わりとする説がある)と他二柱の神様が祀られるお社「齋稲荷社」。その前には、樹齢三百年の楠の御神木がある。


不覚にも「晴明井」を見逃してしまった・・・


龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 67

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