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本の森散歩4 『北欧こじらせ日記』 作:週末北欧部 chika (世界文化社)

最近、ツイッターで気になる文章を見た。独立研究者の山口周さんが5月6日にツイートしたものである。

順番が大事なんです。人生では、前半は打率はどうでも良く、とにかく一発の場外ホームランが必要。場外ホームランが出れば、後半は打率を維持できれば一生勝てる。順番を逆にして、前半で打率を上げて、後半でホームランを打とうとしている人があまりにも多い。逆です。

Twitterより

これ、40代になった自分を顧みると思い当たる節が非常に多い。年齢を重ねるごとにトライ&エラーに伴うリスクとリターンの配分は変わっていく。年をとればとるほどリスクは高まり、その後の人生の残り時間が少ない分だけリターンは減る。加齢による気力の減退も見過ごせない。
私の小学生の頃のあだ名は評論家で、シャーロック・ホームズの変人ぶりに憧れる典型的な頭でっかちだった。幸いなことに私は天才ではなく、犯罪界のナポレオンを追いかけるような難事とは無縁だったのだが、過剰な自意識だけは残り、すくすくと純粋培養されたそれは20代の私の胸にしっかりと根を張った。現実とのギャップを恐れた私は外に出ることを恐れ、自分で自分の世界を狭くしていった。
とにかく若い頃には自信がなかった。経験が少ないのだから当たり前なのだが、安定した打率を求めていた。ホームランよりも日々のヒットが大事、打率も3割はいらない、2割台前半で充分、それで首になることはないのだから。そのために必要なのは事前の準備と確信を持てること。確信を持てるまでは打席にも立たない。その間にもボールは投げこまれ続け、どんどん回は進んでいくのだが、バッターボックスにすら立たないので試合が進行していることにすら気づかない。
40代というのは、野球で言えば何回くらいなのだろうか? まだ4回? それとも、もう7回まできてしまっているのか? 

本書『北欧こじらせ日記』はフィンランドを愛してやまない週末北欧部を自称するchikaさんが、フィンランドで寿司職人になることを目指す姿を描いたコミックエッセイだ。
フィンランドで寿司職人? 何じゃ、そりゃ? というのが帯を巻いてある本書を本屋で見つけた時の第一印象だった。頭の中でフィンランドと寿司がまったく結びつかなかった。
が、本書を読み終えた今だと、すとんと胸に落ちて納得する。
というか応援してしまう。
著者のchikaさんは学生時代に通っていた英会話スクールでサンタクロースに手紙を書いたことをきっかけにフィンランドに興味を持つ。それから旅行で実際にフィンランドを訪れてみて、いつかここに移住したい! と夢を持つ。そこからは、チャットで知り合った現地のフィンランド人と友人になる、北欧系企業に就職、フィンランドの音楽イベントを担当、と順調にフィンランドに近づいていくのだが、この北欧系企業が入社2年目で無くなってしまい、大きな壁にぶつかることになる。
ここまででも自分の学生だった頃とは比べるべくもないアクティブさである。この時点で移住の夢をあきらめ、やっぱり夢は夢のままなんだな、と日本での会社員としての生活を選んだとしても、充分よくやったと私は思う。
ところがchikaさんはあきらめない。その道筋は直線的ではない。本書の79ページにキャリアには「山登り型(ゴールを目指して一直線)」と「川下り型(流れに身を任せてキャリアを形成していく)」の2種類があると記されているのだが、chikaさんは明らかに後者だ。
次に入った会社はばりばりの営業職で、一日百件の電話ノルマがある。でも、できることが増えれば視界が広くなり選択肢も増える、と果敢に取り組んでいく(それで全国の新人賞に選ばれたりしているのだから、この人、ただ者ではない)。その間にやっぱりフィンランドが好きだと自覚し、週末はカフェでバイト修行をする。さらにフィンランドで働く道を探し、日本人優遇の寿司職人の求人に行き着く。そうして今の仕事を続けながら寿司の専門学校に通う段取りまでつけるのだが……。
肝心の寿司学校の募集コースが中止になってしまう。またもや壁である。chikaさんは落ちこむのだが、そこに中国に赴任中の先輩社員から海外勤務の選抜試験の案内がやってくる。ここまでフィンランドに移住するという夢を掲げ、やるべきことばかりを積み上げてきたchikaさんは、一度夢を白紙に戻し、夢のモラトリアム期間として中国行きを決断する。
と、ここまで書いてみて、改めてすごい人だなあ、と感心してしまう。
chikaさんのキャリアの道筋は決して一本道ではない。
フィンランドに住むという夢は掲げているが、そこまでの道も分岐ばかりだ。
でも、その都度、chikaさんは立ち止まらない。迷うけれど一歩を踏み出す。悩んだまま立ち止まることはない。
つどつどフィンランドを訪れ、現地や日本のフィンランド好き仲間と交流して、サウナを満喫し、湖畔のコテージで一人の時間を慈しむ。
……ああ、こういう生き方っていいなあ、と思う。
つい応援したくなってしまう。
chikaさんは稀な人だと思う。
その場その場での集中力がはんぱない。優秀な人でなくては、こうはいかない。でも、それを差し引いたとしてもこの人は魅力的な人だと思う。結果的に寿司職人になってフィンランドに移住できなかったとしても、この人の魅力は損なわれることはなく、その生き方を周りの人は応援してしまうのではないだろうか?
必死さとは違う。
自然体でもない。
生きていくことに素直で、ひたむきなのだと思う。

冒頭の山口周さんのツイートについて、私は本書を読んだ後に目にしている。だから素直に飲み下すことができた。でも、もし読んでいなかったどうだったのだろうか? 頭でっかちにキャリアについて考え、何やら屁理屈を捻り出していたかもしれない。
個人的にはホームランを打ちたいとは思わない。いや、打てるものなら打ってみたいのだが、その後の打率を維持するのも大変そうだし……(と、しばし妄想に耽る)。
それよりも打席に入る人間でありたい。
chikaさんは感謝する人だ。人に、場所に、機会に、感謝する。
夢を掲げながら、時に見失いながらも、現在を生きている。
その姿を見て、40代のおっさんは、人生まだまだ楽しめることがいっぱいあるんじゃないか? と励まされてしまったのだ。

本書『北欧こじらせ日記』には続編がある。『移住決定篇』である。そう、今まさにこの瞬間、chikaさんはフィンランドの空の下で寿司職人として生きているのだ。
すげえなあ、と素直に感心してしまう。
同時に、自分もいつかフィンランドに行ってみたいと思うようになった。そして、自分の好きな場所を見つけて、そこに住むこともできるんじゃないか? と思っている。
その本を読んで良書であったかどうかの判断基準の一つが、その後の自分の行動が変わったかどうか、だと思う。
私は今、40代だ。でも、心は20代より自由だったりする。
知れば知るほど、経験すれば経験しただけ、世界は広がり、楽しみも増える。

好きなもの、こじらせていこう!

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