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考える行為の認識。そして考えれないとき。

私は考えている時に、自分がどのような状態かという認識について、他の人と違うのではないかと思っている。

私は考えている時、頭の中でひたすら独り言を言っていることが多い。
思ったことを頭の中で連ねてどんどん深掘りをしていく。
場合によっては、対談者がいて、その人の反応を勝手に推測して追加しながら、思考をさらに続けている時もある。
対談者は今生きている知っている方である場合もあれば既に亡くなった人であることも多い。
その人が本当にそう反応するかは関係はない。
何と言うか、自身の考えを深めるための触媒のようなものとして、勝手に使わせていただいている。

ただ、そんな風に考えることができない時がある。
それは人と話している時。あるいは、人が話すのを聴き続けている時である。
例えば、講演会で講演者の話を聞いているときは、ひたすらに頭の中を真っ白にして、講演者が語っている内容を頭の中に書き繋げていったり、自分の声で言ったことを反復しながら、頭の中にしみつけていることが多い。
もしその間に考える状態になってしまうと話している内容が全く入ってこなくなる。
なので、講演会がすべて終わるまで、内容を染みつけながら頭は真っ白なままだ。
そんなわけで講演会が終わってすぐに、「質問がありますか」と聞かれても答えられない場合が多い。
聞いているモードから質問を考えモードに移行するために時間がかかってしまうからだ。
大体の場合、講演の前に自分で質問を考えているが、自分は力不足のため講演の中でその問が答えられてしまうことが多い。

対面でディベートを行っている場合も同じような状態だ。そこからすぐに、考える状態へ移行することは難しい。
だから対面で話している時、大抵は「自分は直感で話している」と認識している。
直感で出てくるのは自身が今まで考えたことや、見聞きしたものの中で自身の考えに最も合っていると選んだものである場合が多い。
だから時間があるときに考え続けなければならない。
あるいは知り続けなければならない。話をするためには。

大抵の場合時間があれば、自然に考えるモードになってしまうので、考えているストックは一応あるつもりだ。だが、それが出てくるまで時間が掛かってしまうことが多い。

自身が今できることは、すぐに考えるモードに入って、すぐにモードから出ることができるように訓練すること。
あるいは、考え続けてひたすらに試行錯誤を続けるしかない。それで慣れるしかない。
奥の手としては今書いているような文章を書くことに慣れて、考える時間を取りながらそれをすぐに反映できるようにして、文字コミュニケーションの価値を上げていくしかないだろう。


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