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製造現場訪問記:伊藤鉄工株式会社

こんにちは!中小製造業応援団のたつみです。

先日、山形県鶴岡市にある伊藤鉄工株式会社を訪問しました。ここはめっちゃくちゃ歴史のある会社で、創業はなんと文治5年!

「っていつ?」と私も聞いてしまいました笑
今度こそ、なんと鎌倉幕府前の1189年!源義経が亡くなった年だそうです。最後に少し歴史についても触れますので読んでみてください。

作ってるものがでかい!

伊藤鉄工さんでは巨大なバルブなど大型の設備部品を作っています。

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この写真はだいたい2.5mぐらいの径の部品を溶接しているところです。

伊藤鉄工さんでは最大φ4000(直径4m)までの加工に対応しています。道路法では車両の高さが4.1mまでと定められていて、普通に道路で運べる最大の大きさに対応されています。

ちなみに私は火力や原子力の発電所にも行ったことがあり、そこではもっと大きなボイラーなどがあります。そういった超巨大なものは海沿いで作って船で運ぶのが一般的です。

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これは削っているところです。直径1m強ぐらいで、小さい方ですね。

設備と人がすごい!

社員数が20数名に対して設備は40ちょっとの種類!人の数より設備の数の方が多いんです。

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広いスペースのいたるところに様々な設備があります。先ほど紹介した加工・溶接や検査の設備をいくつも使いこなしておられます。

ここが伊藤鉄工さんの強みですね。

一般的に大きな非鉄金属の加工をする会社は、機械加工だけをやる会社、溶接だけをやる会社、機械加工でも設備がある程度決まっている会社など、専門分野で会社が違うことが多いです。それぞれに技術技能が必要で、大物を色々やるにはスペースが必要で、設備投資も当然必要なので、簡単とは言えないんですよね。

また、伊藤鉄工さんのお客さんはわかりませんが、一般的には元請けの技術力が低下や人員削減により、使い勝手がいい会社が求められるようになっています。それがいいかは別ですが・・・。

なので色んな設備があり、色んな加工ができ、調達・加工・溶接・検査を一手に引き受けることができる伊藤鉄工さんは重宝されるのでしょう。

40年ほど前の設備も残っています。最新の微細な加工となると対応できませんが、大型の加工ならそこまでの精度は求められませんので、まだまだ現役で使える場面があります。それだけではなく、そういう設備を使っていると金属のことや設備の仕組みがよくわかります。技能を身につけるにもいいんですね。当たり前ですが減価償却はとっくに終わっていて、電力もほぼ使わないのでコストは安くなります。

古い設備や設備そのものを多く持つことのマイナス面もあります。が強みになっているのがすごいですね。

「なるほどザ・ワールド」にも出た歴史の長さ

最初にも書きましたが、文治5年(笑)と聞いたときには笑うというか笑顔が出ちゃいました。

昔「なるほどザ・ワールド」という番組が大流行していました。日本全国老舗ベストテンでなんと第4位!その後、色んな古い企業が見つかって順位は落ちていますが、それでも鎌倉幕府開設前から続けられていることには、最大の敬意を表します。

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パンフを撮影させてもらったものです。ちなみにこんなパンフです。

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とりあえず会社のパンフではないですね(笑)

元々は「鋳物師」で、出羽三山の一つ羽黒山の山頂付近にある大鐘は伊藤鉄工さんの元祖となる鋳物師・伊藤助右衛門さんが作られたそうです。その後も庄内から秋田地域の鋳物師として青銅の鋳物を作り続けます。歴史の中で藩主などが変わっても鋳物師として代々活躍され、藩命で松前藩(北海道)のお寺の鐘を作られるなど、東日本の様々な場所の鋳物を作られていました。

昭和の時代に鋳物では食べていくことが難しくなり鉄工所を作られ、平成元年に苦渋の決断で伊藤鉄工有限会社と正式に鉄工業となりました。事業は変わりましたが、金属とずっと付き合って来られていることが重要と思います。

今回の気づき

使い勝手の良さを実現できる人と技能を持つことが、今の日本では重要で、伊藤鉄工さんは実践されていると感じました。元請けが日本からなくならない限りは重要で、伊藤鉄工さんはインフラ系の仕事が多いので比較的安心でだと思いました。設計開発からの使い勝手(フレキシビリティ)は日本の製造業の得意とするところです。

また、平成元年の鉄工所への転換はすごいことだと思いました。転換をやり切るまできっとかなりの苦労があり、時間がかかったのだと想像します。ここまで大胆ではなくても、大きな戦略上の決断は、今の時代はすぐに求められます一度決断して変わると、変わる土壌ができるので素晴らしいことですね。

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