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古文・漢文は必須派

古文・漢文より、お金の貯め方や、社会保障の取り方、PCスキルなどを必須科目にするほうがよい派です的な、有名人のツイートが炎上、といよりもむしろ賛成多数でバズっていたようで、それに関しては私も最近思うことあったので、いまの自分の感想を書きます。

約250年前、1770年の9月に、日本中でオーロラが出現するという驚くべき事件が起こりまして、たくさん記録が残っているのですが、その多くの原文は、いわゆるくずし字や漢文(日本の知識人は漢文で日記を書いてきた)で書かれており、私は原文を読みたくても、なかなか読めませんでした。しかし、同じ1770年の9月、クック船長の船に乗っていたバンクスさんの日記は、英語の筆記体で、赤い柱が海から突き出して〜だとかスラスラと書いてありまして、英語の筆記体は学校で習っていたし、普段も目にするので、私でも原文が読めましたし、まあたぶん普通に誰にでも読めそうです。

こんなことがありまして、そこで私の感じた願いというか、自分の生まれた国の文字くらいは満足に読みたいな、読めるように育ちたかったな、と思いました。

そういうわけで、まあ誰もが日本で生き残りやすくするための必須科目というのもあれば、誰もが日本の独自の文化を知りやすくするための必須科目というのもある、というふうな意味合いで、古文漢文の基礎的な教育は、今後も大いにやっていってもらいたい派、です。私は。

それに、かなり限られた人だけが、日本の過去の知恵の原点にアクセスして正しく読めて、それを、原文が読めない大多数の国民に現代の言葉で教えてあげます、みたいなことを、あまりエスカレートさせないほうが、よいと思う。本当のことを教えてもらったか、信じるのではなく、普通に誰もが検証できるように、しておいたほうが、よいと思う。

古文や漢文の知識はゼロではなく、習ったよね、ということとして、誰もが、日本の古来からの文化に正しくアクセスしたいときに、そうできるための引き出しを作ってもらっていたことは、結局、日本人のための教育としては譲らないほうがよい、ユニークな、知的な武器になるようなことでもあった、ということではないかと思っています。

そして、以下に少し紹介するように、たぶん今まで通りの古文や漢文の教え方を、ただ単に続けるという必要はなくて、やり方を変えて大きく発展できるチャンスが、いまはテクノロジーのおかげで、できつつあるような気がします。誰もが「当たり前に」原文を読みきっていくような新しい教育手法すら考えられそうな気がしています。

まず、かなり多くの古い本がデジタル化、つまり写真データベースになっており、ものすごい勢いで増え続けています。すべては公開され、タブレットで、どこでも誰でもアクセスできる。くずし字すぎて読めないではないか、というと、実はそうでもなくて、優秀な機械学習のアプリが、スマホをかざせば活字にしてくれたり、必要なら現代語に翻訳してくれたり、ということも普通にできる技術があります。

デジタルネイティブの今の子供たちが、大量の原文を当たり前に見て読んで、当たり前に1500年分くらいの日本の知恵を吸収していて、その上で世界の様々な問題にもオープンに向き合い活躍している、という未来が、すぐそこまで来ているように思うのです。





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