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7.花の社会人大学院生活

社会人大学院の通学負担

私の通った聖学院大学大学院政治政策学研究科では終了に必要な単位数は2年間の春学期・秋学期で30単位+修士論文だった。30単位のうち8単位は演習(論文指導)で通常の授業は22単位。1科目は2単位なのでつまり2年間に11科目取ればいいことになる。
多くの学生は1年のうちに10科目程度はとってしまい、2年の時は授業1科目と演習のみであとは修士論文執筆に専念する。つまり1年の時は春学期秋学期とも各5科目+演習ということになる。授業回数は1科目半年で15回である。

授業は平日18:00~19:30、19:35~21:05の2コマ、土曜日は9:00~10:30、10:40~12:10、13:00~14:30、14:40~18:30の4コマの枠組みの中に科目が配置されていた。この中で自分が取った授業と演習が行われる曜日と時間に通うのだが、科目の取り方によって毎週土曜日と平日夜2日(×15週)くらい行けばいい。2年になれば週に1日か2日通えば済む。

なんだその程度かと思うかもしれないが、働きながら通う社会人は残業もあれば会議、出張、接待もある。その中で平日の決まった曜日の夜に時間を捻出するのは至難の業である。しかも18時開始の授業に間に合わねばならない。当時勤務地は港区高輪(都営地下鉄泉岳寺)で大学院の最寄り駅は大宮の一つ先の宮原だった。ぎりぎりの時は東京駅から新幹線で大宮駅まで行ったこともある。但し当時の私は部長クラスの室長で周りに上司は誰もいなかったので、部下に「お先に、後は頼むよ」で済ますこともできた(日もある)。
社会人院生の中にはキャリアアップのために仕事を辞めて来ている人も多かったが、私は仕事の傍らの「趣味」なのでそうはいかないのである。

通うことより大変な大学院の授業、でも楽しい

しかし、通う上の苦労など授業の大変さに比べれば何ほどのことはない。何が大変といってほとんどの授業で毎週課題が出るのだ。中邨先生の演習は毎週先生がテーマを出し、それについて1000字程度のレポートにまとめて発表する、というものだった。テーマは例えば「国家」とか「政府」とか「自治」など。そのたびに自分で本を探して読み、それを踏まえて自分の考えをまとめて書く。修士論文を書くための訓練だとおっしゃっていた。それ以外の授業も毎週課題が出てそれについてレポートを書き、発表してディスカッションというものが多かった。また本の輪読もあった。これも自分の担当部分を読んでレジメを作り、発表しなければならない。これらの課題を、仕事をしながらこなさなければならない。睡眠時間を削らなければならなかったし、飲み会はほとんど断った。
しかし一方でこんなに楽しい時間を過ごしたことはなかった。学部時代はろくに勉強しなかった自分にとって学びが楽しいと思ったのはこの時がはじめてだった。仕事と関係のないテーマについて、利害関係のまったくない人たちと議論することは、会社にどっぷりと浸かっていた自分にとって新鮮な驚きだった。何よりも、多くの先生方の知性には(特に指導していただいた中邨先生には)畏敬の念を覚えた。自分が仕えた経営者にはこんな知的な人たちはいなかった。そして何しろ学費が自腹なので「もったいない、元を取ろう」という意識が生まれ、まじめに取り組んだ。
多くの授業では期末に成績をつけるためのレポート提出があった。ある授業の期末レポート課題は「フランス革命の宗教観について考察せよ」。そのものずばりの答えがどこかにころがっているわけではないので、自分で探してフランス革命史の本を2冊ぐらい読んでからルソーを読み、エドマンド・バークの「フランス革命についての省察上下」を読み、自分なりの考えをまとめて8000字のレポートに仕上げた。
また、「埼玉地域政策研究」という授業は埼玉県庁の人が来て県の課題や政策について説明し、期末レポートは埼玉県への政策提言だった。私はドラッグストアなどの小売業やレストランチェーン、古くはユニクロや蔦屋が地方のロードサイドから誕生していることに着目し、国や県の補助制度、道路沿いの用途規制などを調べ、県がロードサイドに創業希望者あるいは本社を誘致する制度を設けることを10000字のレポートで提言した。この授業の点数が100点だったので事務の人に理由を聞くと、その点数は先生と同等とみなす、という意味だろうということだった。会社の仕事で褒められることはめったにないので、レポートや授業の発言で褒められるのは素直にうれしかった。

若い学友に助けられる

社会人大学院の良さは様々な人とフラットな関係で学べることにある。学部を出たばかりの若者からキャリアアップを目指す働き盛りの30代、40代、埼玉県庁の制度で派遣された県内の自治体職員、そして私のような50代まで様々な年代、職業の人が共に学ぶ学友になる。学部でほとんど勉強してこなかった私は本や資料の探し方もわからない。その時に助けてくれたのがアカデミアのキャリアを経てきた若い学友だった。若い人から教えられるというのも50過ぎの自分にとっては得難い経験だった。特に聖学院同期で今は流通経済大学教授の坂野さん、明治大学で中邨先生門下生で当時明大修士課程の学生だった菊池さん(現明治大学経営学部教授)には本当にお世話になった。こういう論文はないか?と聞けばすぐに教えてくれる。研究者を目指すアカデミアの実力はすごいと思った。

社会人大学院は資格取得の専門学校ではない

ここまでお読みいただいてお分かりのように、大学院は資格取得の専門学校ではないし学位は資格ではない。本を読み、レポートを書き、発表し、ディスカッションする、という大学院の学びは三つの価値をもたらす。一つはもちろん対象についての(私の場合は政治・政策学についての)深い知識である。二つ目は、問題を設定し、仮説を立て、検証し、コンセプトを打ち出すという学問の方法である。これは論理的思考を養い、ビジネスにおいても有効である。三つめは教養を身に着ける、ということである。政治政策学にフランス革命が何の関係があるのかと思うかもしれないが、これは民主主義論と言う授業の一環で、現代の政治・政策を深く考える上でその土台となる教養を培うことができる。広く深い教養は現代社会を理解するうえで助けになる。そして大学教員になってわかったのは、授業をするうえで教養は不可欠ということだ。狭い専門知識だけでは1時間半×15回の授業を持たせることはできないのだ。
私は別に大学教員を目指して大学院に行ったわけではない。自分にとって2年間の社会人大学院生活は、会社を離れた教員や学友との交流を含め人生の上で貴重な時間だった。この時の交遊は今も続いている。

社会人大学院についてはよく学び直しということがいわれるが、私にとっては学びはじめだった。

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