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祖父のこと

私には血の繋がらない祖父がいる。いや、いた。

祖母に離婚歴があり、父は祖母の連れ子だった。少しの間、幼かった父は実家に預けられ、祖母と新しい祖父は二人だけの時間を過ごしたという。

祖父は国鉄を早期退職し、千葉の山奥の別荘地に建てたログハウスに移り住んだ。悠々自適なセカンドライフの始まりだ。大きなジープに乗って、釣りをしたり、サーフィンもしていたのだろうか。

初孫もできた。私だ。多分、可愛かったろう。家の中を荒らすから、腹も立ったかも。女児のよく分からない遊びによく付き合ってくれた。ハム太郎のキャラの名前が全然読めてなかった。背が高くてかっこよかった。そこら辺のおじいさんとは一味も二味も違った。

でも初孫から7年くらい経った頃、祖父は白血病で死んでしまった。ふさふさで真っ白で後ろで束ねていた髪も抜けてしまってたし、さいごのさいごはただ唸ってるだけだった。冬のことだった。

お葬式はログハウスで、祖父が好きだったジャズをかけながら行われた。遺体にお花を添えて、棺桶の釘を順番に打った。よく晴れた明るい日で、人がたくさんきたのでパーティーのようだった。

焼き場で立ち登る煙を見て、あ、今おじいちゃんの形になったね、なんて母と話をした。父は少し泣いた。闘病で弱っていたのかお骨は粉々で、幼い私はちょっと安心した。

祖父と血が繋がってないことを知るのは、このずっと後のことだった。びっくりはしたけど、別にどうでもいいことだった。

祖父が亡くなって20年になる。祖母は今も一人であのログハウスに暮らしている。森の中だったログハウスは、森がどんどん開発され、住宅地の中のログハウスになってしまった。でもご近所付き合いもあって楽しそうにみえる。お酒は飲むしタバコも吸う。最近、特大サイズの冷蔵庫を買ったそうだ。

父がお墓に刻んだ文字は「遊」一文字だった。遊び好きな祖父をよく表している素敵なお墓だと思う。

時々、祖父が生きていたら、と思う。サーフィンを教えてくれただろうか。一緒に釣りに行って、坊主で笑って帰ってきただろうか。それとももっと楽しい遊びを見せてくれただろうか。

かっこいい大人だなと幼いながらに憧れた祖父は、大人になった私と何を話してくれるのだろうか。真空管アンプを買ったと言ったら聴きに来てくれるかもしれない。

いや、もう来てるかも。

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