見出し画像

人間は考える膜である          未知なものへのポリリズム・対話

河童の皿から飛び出す。

私が、全国各地の小中学校で行ってきた授業では、はじめに必ず登場する生き物がいる。河童である。わたしはいつも教室に入ると、やおら黒板に河童の絵を描き始める。私が描いた河童の頭の皿からは、竜やトンボ、蛙、クワガタ、魚が次々と飛び出して来る。教室は騒然となる。
何だこれ?という表情の生徒たちに向かって、「今日はこれからこのような授業をやります」と描いたばかりの絵を指差しながら話し始める。いったい、どんな授業が始まるんだろう?生徒たちがあっけに取られている間に、生き物とお話する方法の授業が始まっている。

授業では、生き物の体のつくりと住処と暮しの関係を学び、最後に河童の皿の話をする。河童は頭にある皿で水を飲むんだ。つまり、この皿は、膜で出来ていて、ここから水が体内に浸み込むようになっているんだ。河童は、人間のように口で水を飲むのではなく、皿で水を飲む暮らしをしているんだよ。子ども達は、真面目な顔をして河童の話をしている私を、こんな授業もあるのかな、いや、こんな大人もいるんだなあと呆れた様子で見ている。

モヤモヤが対話を豊かにする。

授業をしながら、私にはいつも河童の皿について、何か言い足りないもどかしさが付きまとう。というのも、河童の皿にある膜では、もっと何かが起きている。そんなイメージがあるだからだ。その出来事について話したいのだが、未知のものだから難しい、毎回うまく話せない。
ところが、うまく話せないモヤモヤしたことを胸の内に抱え込みながら話をしていくと、かえって生徒との対話が深まり、いい授業ができたりすることがあるから面白い。
人は人前でうまく話せないことや、表現しきれないことがあると、抱え込んだイメージを相手に伝えようと、新しい言葉や概念を探し始め、創意工夫を始めて無心になる。無心になることで、かえって、対話の中で生じた不図した出来事にも気付けるようになったりする。私がここで出来事と言うのは、モヤモヤの中で、言葉や概念が自由に動き出し、思いも寄らない出会いや連鎖が起きることだ。私は、そのような出来事を共有する場が対話ではないかと思っている。

ただ、出来事はいつも起きるわけではない。むしろ、稀にしか起きない。出来事は自分の立場や自分が依存する枠組みを忘れ、人前でも無心になれなければ起きないからだ。無心になるということは、自分を出来事が起きる場として開くということだ。自分を開くことができた時に、自分の中のイメージが開放され、不意に発せられた言葉が誰かを触発し、様々に変容しながら共有され、良き出会いの連鎖を生み出していく。それは、大人の対話では稀だが、子ども達との対話では頻繁に起きる。

一瞬の出来事を見逃さない心の瞬発力。

人々の間に良き出会いの連鎖が起き、新しい言葉や概念が生まれて来る体験は感動的であり祝祭的だ。それは、イメージを通して対話する人と人、つまり「自分を場として開くことができた人」の間にしか起きえない出来事だ。
今この時。それは、いつも不意に到来する。出来事は生き物だから、浮上して来たその時その瞬間をやり過ごすと見失ってしてしまう。出来事は自分にも、子ども達にもいつ起きるかわからない。だから、教師の仕事は、教えることではなく、子ども一人一人の中に起きた出来事を見逃さずに瞬時に掬い上げることだと思う。それには、鋭い感性と心の瞬発力が不可欠だ。
心の瞬発力を生かして、話をしているその場で感じた事や思い付いた事を、浮かんで来たイメージに乗って、そのまま言葉にしてみると、言いたかった事がこれまで以上によく伝わった。誰にも、そのような経験があるのではないか。

「ある」から「なる」へ自分を開く。

対話は、自分の見解を互いに述べ合い、理解を求め合う場ではない。そのような「対話」にどんな意味があるのか、其処から何が生まれて来るのか。何が変わるのか。対話は、交渉や説得とは違う。自分はこうで「ある」ということを相手に認めさせる場ではない。対話に、鎖で繋がれた言葉はいらない。
対話とは、対話する相手と自分との間に生まれる新しい何か、到来する何か、潜在する何かに気付くための場だ。それは、その何かに気付き、触れるために、今「ある」自分から、新しい自分に「なる」ための場でもある。対話する相手と共に「何かに成る」からこそ、困難な問題や課題を解決へと導く潜在的な可能性(展望)に気付くことができるのだ。
何かに成るということは、自分が出来事に成るということでもある。困難な問題ほど、互いが変わらなければ解決は望めない。だから、相互理解や和解の実現には、出来事を伴う真の対話が必要になる。このような対話の中に、政治の可能性もある。
そのような対話の実現に不可欠なこと、それは感じること。分かろうとする以前に、感じることだ。人と人の間に生まれて来た、まだ虚ろな、生成しつつある何かを感じ取ろうと、そのイメージの中に一緒に飛び込み、イメージの中に棲息する生き物に成ることで、新しい言葉や概念を見付けようとする。手探りの協働作業が、生きた対話である。

膜の思想・和して同ぜず

とはいっても、対話の目的は、最終的に人と人がひとつの言葉や概念や思想を共有し、ひとつに溶け合うことではない。多様性が失われ、むしろ危険だ。国や民族、人種、宗教、イデオロギーなどの同質さを求める共同体意識に、人々が飲み込まれ、皆同じひとつであるという共同体幻想によって、かつて何が起きたか。人類が繰り返し経験した悲惨な出来事を思い返してみれば充分だろう。
それらは、異質なものへの排除の論理によって、国や民族を選別する分離壁を築いたに過ぎない。現代はさらに、複雑さを増しているようだ。近代が作り上げた国民国家などの共同体の神話が崩れ始め、宗教や民族などの原理主義がその空白を埋めようとしている。壁の中では、みんな仲間だ!みんな一緒だ!と共同体のために犠牲が捧げられている。
人間は、無意識に差異を抜き取り同質化を求めてしまう傾向のある生き物だ。全体主義、排他主義、ファシズムは常に、私達の中に潜んでいることを、忘れてはならない。
壁の中で、融合する。気持ちが悪い。
壁の起源はどこにあるのだろうか。壁の多くは、もともと仕切りだったのではないかと思う。器官や細胞、細菌にも仕切りはある。しかし、それらは、生命活動を生み出す膜として機能している。膜とは、働きを持った仕切り作用を産出する距離であり、コミュニケーションを生成し続ける隔たりである。人と人の間にも、これらの生きた距離や隔たりが必要だ。孔子は曰く「和して同ぜず」と、これはまさに膜の思想だ。

21世紀に必要なのは、膜の思想ではないか。

膜が硬化して壁になった?

本来は 、膜であった仕切りを、立場で生きる人達が硬化させ、壁に替えてしまったのかもしれない。そして、縦割りの壁だらけの世の中になってしまった。ところが、社会の縦割り化が進み壁が分厚くなると、それぞれ組織の論理が優先され、現実から遊離してしまい、本来果たすべき機能が失われていく。社会が至る所で機能不全を起こす。
すると今度は、壁をぶっ壊せ!と扇動する反動的な運動や政治が台頭し始める。民衆の不満や不安を背景に共通の敵を探し出し、強力な指導者を祭り上げ、ひとつにまとめようとする力に翻弄されていく。
私は、残念ながら今の世界が上記のような短絡的かつ危険な方向に向かっているように思えてならない。壁を壊せとか取っ払えというネガティヴな衝動によって、社会を良い方向に変えることはできない。それらの衝動には、壁が宿っているからだ。
社会を変えるのに必要なのは、破壊ではなく変化であり、変えたいと思う本人を含む創造的な変容、つまり対話である。

壁を溶かし膜に変える生の政治

壁の思考様式「破壊➡︎構築➡︎破壊➡︎構築の繰り返し」からは、変革は実現しない。破壊をする主体には、自らが不動の基点に成りたいという欲望の遠近法が必ず潜んでいる。壊すという発想自体に壁は宿っているからだ。
壁は、溶かし膜に替えない限り、無くならない。必要なのは、破壊や暴力ではなく対話だ。縦割り社会や組織を支えている分厚い壁を、対話によって創造的に溶かし、膜に変えていく地道な作業、それは生の営みとしての政治、私たちが生きるために必要な政治だ。

河童の皿に映る世界・未知なものへのポリリズム

私は、授業のはじめに生徒達の緊張をほぐし想像力を刺激しようと、方々の学校で河童を描いてきた。河童は授業中教室を動きまわり、生徒達の中の壁を溶かし膜に変え、イメージによる対話を促すメタファー役を演じくれた。イメージの中で違いや隔たりが息づき対話を活気づける。子ども達との対話は、未知なものへのポリリズムだ。
捉え所のない河童は一人一人の子ども達の中で自由に生成変化することができる。私がこれまで全国各地の子ども達と実り豊かな対話を行うことができたのは、まさに河童のお蔭だと思っている。河童さん、ありがとう!

河童の頭にある皿は、世界と自分との間に対話を生む膜である。それは、頭に露出した考える膜だ。たっぷりと水を含んだ皿には、世界が映っている。河童の皿は、私にとって対話を実現する膜の象徴である。

世界から分離され独立した個など何処にもいない。それは、壁の中で生じた幻想に過ぎない。
自己は、世界との絶え間ない対話の中から生成され、変化し続けるものだ。多様性の只中でたえず対話を生じさせる膜に成ること。境界にあって出来事として生きること。
だから、人間とは、多様性が蠢く世界の只中を生きる、考える膜である。

                            2013年12月1日
                               飯島 博


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?