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大ウケからくる悩みの告白

 OHANA-ROBOTの思想の射程は,《豊かさ》の模索や農耕民の未来のライフスタイル,持続可能な里山づくりや人類の幸福までに及ぶ.故に,「対話可能な選択的機械除草ロボット」というカテゴリーを超越した後に,得体の知れぬ超高次元テンソルの中に浮遊する情報群から統覚して「OHANA-ROBOT」という名称を施したことは大いなる発明であって,「初号機セリカ」や「二号機アスカ」と名付けたこととは話が違うのである.私の人生のテーマは,《豊かさ》の実践的追求であって,農村工学・スマート農業的視点における微分がOHANA-ROBOTである.
 発表が大ウケした話は前回の記事の通りだが,あれほどのウケは私にとってあまりに予想外だった.卓越した倫理観を持つ雲の上の人間によってなされた評価が主観評価を大きく上回ったことは,厄介な問題を孕んでいる.即ち,未踏事業が終わった今,私はOHANA-ROBOTを当然続けるべきだ,という期待感を暗に感じるのである.実際にはそうでは無いだろう.だが,継続しないことが彼らを裏切ることを意味したら? OHANA-ROBOTは私の微分もであるので,継続しない場合は私という人間が存在しなくなってしまうのではないか? 
 《豊かさ》の実践的追求として,OHANA-ROBOT以外にもやりたいことは沢山あるし,まだ知らないことが多すぎる.私は農家でもなければエンジニアとしても未熟で,植物の知識も浅く農村のこともよく知らない.当事者性が足りないのだ.OHANA-ROBOTを起点として豊かさを拡大していくことは意義深い一方で,全く別の道筋を辿ることで,豊かさを模索していくこともまた必要なのだ.ものごとにはタイミングがあって,寝かせて熟成する期間が必要なこともある.無理でも構わず手を動かし続けるのが未踏クリエータかもしれない.だから,やりたいことは今すぐ全部やるのが期待されていて,当然のようにOHANA-ROBOTを続けてくださいね,とSNSのアイコンが訴えかけてくるのだ.
 ここで浅田彰氏の逃走論を援用し,高々と宣言したい.「私は,スキゾでありパラノでもあります! 私はパラノとしてOHANA-ROBOTを熱心に開発してきましたが,どうでしょう? OHANA-ROBOT自体がスキゾチックじゃありませんか! 」 一旦保留して,アンテナだけ張っておいてタイミングを待ち続けたって良いだろう.シラケた方が良いときもある. 
 しかし待つのは怖い.私はもう24歳,大学院生無職ニートだ.研究室とは疎遠になり,将来のことは何も決まっていない.ご縁を大切にして生きたいなど,甘いことが言いづらくなってきた.休学してから半年,実家に帰ってから4ヶ月.帰りたての頃は親から将来の心配をちょくちょくされていた.未踏事業の追い込み時期でもあったので,余裕を持って心配をはね返せた.最近は親が心配する素振りを見せなくなった.事業が一旦落ち着いた今,実家で何も言わずご飯を毎日用意してもらえる奇ッ怪な現実に対して改めて悍ましさを覚えるようになった.横断歩道をきゃっきゃと渡る小学生の笛の音を寝室で聞く私の心情を誰が想像できようか? 間の抜けたフォームで二級河川を泳ぐ鴨に対して立ち止まって挨拶をする自分に辟易している.私は鴨のカモかもしれない.
 みんなは発表を聞いて,ロボットと収穫をしたいと思ったのか? あるいは,あの映像が良かったのか? みんなは私の発表の何に可能性を感じたのだろう? 私に何を期待しているのだろう? パトロンになっても良いと言ってくださった方は,こんなことを言っている私をどう思うのだろう? あるいは,こんな戯言を言っているのは将来への不安由来で,パトロンが沖縄に宿と軽トラと畑を用意してくれて,初任給程度の報酬と年額500万円程度の研究費を2年間約束してくれたらなんて素晴らしいのかとも思ってしてしまう.
 私が心底OHANA-ROBOTを素直に評価できないのは,もう一つある.個人が一年で開発したロボットなんて,たかが知れている.日進月歩のAIやロボティクスの論文を見て引け目を感じるのだ.私は,自己実現に加えてノブレスオブリージュなる使命感を持って開発を進めてきた.だが,これ以上の成果を驚くべき速度で出していくことに無力感しかない.私には,己自身の超克を肉体より欲し新しい価値を創造せんとして,超人への道を目指そうとするツァラトゥストラの孤独感が痛いほど分かる.くそ真面目な精神を持った社会よ,この醜い姿を見るが良い.私はツァラトゥストラであり,ドン・キホーテなのだ.OHANA-ROBOTは動画以上のことは何にもできないし,何より泥臭い.OHANA-ROBOTは「イリイチミンゲイ」なので,産業主義的な国家の補助金とは相性が悪い.そもそも踏み絵的プロジェクトなので,理解されないことが多い.スマート農業のスタートアップは巨額の資金調達をしているが,その望みは薄い.つまり,研究を続けるには良いパトロンと出会うしか無いが,支援する側に高度な文化的教養が求められている.極めつけの泥臭さの例を挙げればキリがない.デモのためにロボットを何度か東京へ運送する必要が生じたが,分解して発送して現地で組み立てて,やっとデモをしたと思ったら,また直ぐに分解して発送して組み立てて,という調子で,丸一日の準備に対して本質は一瞬.さらに輸送費がバカにならない.ミンミンゼミ的世界観であり,日帰り弾丸タイ旅行と肩を並べる馬鹿馬鹿しさだ.自分がロボットを持ってみんなの場所に行くのはもう終わりたい.みんなが来てくれるような畑で開発したい.
 昨年度はAI技術が発展途上で,畑の多様な環境において一農耕民として実用化できることが少なかった.今年は,模倣学習とLLMのロボットへの応用研究が花開いている印象があり,OHANA-ROBOTへの応用可能性として期待をしている.
 しかし,現状のOHANA-ROBOTは実用性が皆無である.実家は平野に位置し,周辺住民には沢山の農耕民が存在している.趣味として自転車に乗って人の畑を観察するが,どの畑においてもユーザの姿がまるで想像できない.実用性のないものを生活に取り入れるほど農耕民は金も時間も無い.農耕民を暇にさせれば良いではないかという発想が前提にあるのがOHANA-ROBOTならば,最初から実用的なものを作りたいのが農業機械メーカやベンチャーの仕事である.私は前者に立って考えたいが,実用性も大事にしたい.とにかく,現状OHANA-ROBOTはプロトタイプなのだ.「農業」をするものではなくて,「自給的暮らしを彩る」ロボットであり,これは未来の農耕民が生き生きと暮らすための一つの道具なのである.彼らが欲するためには時代が早すぎる.
 故に,通常の畑を私のために用意するか,農家が圃場の一画を実験用に提供してくれても,そこはOHANA-ROBOTに向かないかもしれない.敢えていってしまえば,「OHANA-ROBOTちゃんはそのような畑がつまらないと言うかもしれない」.私はもともと雑草との共生を目指していたし,自然農法や共生農法による畑ならOHANA-ROBOTが生きてくると思っている.できれば,沖縄で共生農法を実践したい.そしてそこにOHANA-ROBOTを共生させたい.先日WWOOFに登録したので,これから毎月1週間は異なる自然派農家と交流したい.日本的霊性を研ぎ澄ませつつOHANA-ROBOTという鉄を熱いうちに叩きたい.それには時間がかかる.
 ロボットを圃場で運用する場合,ロボットに合った環境整備や作物の配置が重要だ.また,生育初期が除草ロボットにとって大事なのに,呑気に逃すことをして上手くいくのだろうか.それでも,どこで誰とやるかは見極めたいから,現在進行形でいくつかの町に視察しに行っている.「OHANA-ROBOTが年中実験できるような場所を見つけて,ロボットの走行がしやすいように圃場周りの環境を整備して,作付けする.そうして開発を進めながら,ワークショップを開いたり,農業体験や収穫イベントでも開きながら,順当な道を進んでいけば良いじゃないか?」 と,みんなは思うだろうが,私にとってそれは酷くつまらないかもしれない.普通の農家に行っても理解されない.農家は近代思想に冒されている.誰と組んでどこで開発するのかは大切にしたい.元々縁が無かった地域へ行って,大金はたいてリスクを負ってまでして,わざわざその現地の人達をOHANA-ROBOTで楽しませたいなぞ微塵も思わない.準備も大変だ.畑の近くに住んでいつでも実験できるような環境が理想的だから,その町への引越しとして宿から生活用品,ロボット運搬用の軽トラなどが必要になる.私一人の力ではその準備すらできる自信がない.好きなことだけして生きていくのは持続可能ではないからと言って,地方で就職して適当に仕事をこなして余剰資金で仕事終わりと週末に研究をするというのも一興だが,この潮流には大いに抵抗したい.私には私にしかできないことがある.パトロン制度は,私にしか出来ない活動に価値を見出した人間が余剰資金を投入することで,系全体として持続可能にするシステムだ.経済合理的でないOHANA-ROBOTが経済合理性に到達するために,パトロン制度を利用するというのは理にかなっている.
 実家に帰省して4ヶ月が経てばそろそろ家出したいとも思ってくるが,ご飯は美味しいし,毎日風呂に入り,規則正しい生活や親孝行ができるので,実家を出たいというのは半分嘘かもしれない.家の庭先には昨年地主に返してしまった畑があって,地主も維持に困っている.どこか普通の畑に行くくらいなら,ここで開発をしたい.だが人を呼べそうに無いし,地主や家族や近所の理解が得られそうに無い.
 そんなこんなで無力感で迷走している私を,手探りで何がしたいのかよく分からない私の総体を,理解し協力したい人があれば,そして私の周りに集まったらどんなに心が救われることだろう.OHANA-ROBOTプロジェクトは,今はあなたが思うような形態では進行していないかもしれない.そこには多層にわたってジレンマが複雑に絡み合っている.これが大ウケゆえの悩みの告白である.

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