断捨離のすすめ
断捨離前の自分
常に物が溢れ、床にも乱雑に書類がぶちまけられた部屋で過ごしていました。
このような見通しの悪い部屋で過ごしていると、僕は閉塞感を感じメンタル的にも見通しが悪くなっていきました。
「掃除しなければ」と思いつつも「掃除したって変わらないよ」という諦めの感があり諦めたり、たまに掃除しても、「もったいないから取っておこうか」と物が捨てられず押し入れにしまい込み、結果、物は減らず。このような事を繰り返していました。
こんな現状に嫌気がさし、昨年の3月に断捨離を敢行しました。
断捨離の基準
片付けで有名なこんまり先生が、「ときめく物は取っておき、ときめかない物は捨てる」とおっしゃっていたので、それを判断基準にしつつ直近6ヶ月以内に使っていない物は捨てる事にしました。
一般には取っておくであろう学校の卒業アルバムや最終学歴以外の卒業証書、その他学生時代の思い出の品々も全て廃棄しました。学生時代、特別何かあったわけではないが新卒時代に心を病んだ事があり、療養中も色々な辛い事、思い出したく無い事がありました。
それもあって今までの自分と決別というか過去は忘れ去って、これからを新しい自分として過ごしたかったのかもしれません。
物を捨てる事により即時に何か変わる訳では無いけれど、捨てている最中に「僕はどうなるんだろう」という期待感と不安感が入り混じった感情を覚えました。
廃棄で面倒だった物
デスクトップパソコン
そのままだと不燃ゴミ袋に入らないので分解したが面倒だった。
プリンター2台
粗大ゴミで廃棄したが重く、ゴミ捨て場に持って行くまでが大変だった。
本棚
分解とゴミ捨て場に持って行くまでが大変だった。
廃棄の総量
45リットル可燃ゴミ袋が40袋
20リットル不燃ゴミが20袋
となった。
一度に捨てては迷惑になるので、
数週間に分けて廃棄した。
売った物
併せて、以前は好きだったゲーム類やマンガ類も全て中古屋に持って行きました。確かにゲームは楽しい側面もあるけれど、僕は没頭しがちな性格なので、あるとゲームばかりしてしまっていたが、虚しさも感じていた。「データの為に僕は何してるんだろう」と。
悲しいもので二束三文であったが処分した時の心境は清々しかった。僕は二度とそのような物は買わない。
他の事に楽しさを見出すようにした。
断捨離を終えて
終わった直後は心にぽっかりと穴が空いたような虚無感があった。今までの自分が無くなったような。しかし、無くなったのならまた作れば良い話で邪魔にならないインテリア(僕の場合は狐面やクジラの絵)を飾ったり、長く使っていたカーテンやベッドを更新したりして心と部屋に新しい風が入るようにした。今でも虚無感を感じる時はあるが、以前のような閉塞感は無いのでやって良かったと思う。
僕は長く使っている物に対して愛着よりも以前の自分の負の感情が入っているように思えて何か嫌な気分になる事が分かったので、これからも適宜、無理のない範囲で更新していきたい。
ミニマリストでは無いけど、生活に不便の無い程度に物を少なくするのが自分にとって快適だと思う。
断捨離を通じて思った事
日本の成人の儀式で胎内くぐりという儀式がある。
これは各地の洞窟や割れ目を胎内に見立て、通り抜ける事で一旦死んで生まれ変わるという「擬死再生」の儀式だ。
僕は断捨離に「擬死再生」を感じた。
所有物の大半を捨てる事で死に近付くが如き虚無感を感じると共に、新たな自分を作り上げて行く再生のフェーズが待っているからだ。
もし閉塞感を感じている方々がいらっしゃれば、断捨離をしてみるのも良いかもしれない。
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