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失うということ。

俳優の三浦春馬さんの訃報。
当然、えっ?!と思った。うそでしょ。と。
連日、ニュースで取り上げられている。流れている内容はそう大きく変わるわけではないけれど、つい見入ってしまう。

特段、ファンだったわけではない。でも名前はもちろん「14歳の母」あたりから知っていたのでドラマに出ていれば観たりもするし、出演するバラエティー番組なんかも観ていた。私の中では好青年のイケメン俳優、という位置づけだった。
ここ数日、電子書籍で「君に届け」を読んでいたし、タイムリー過ぎて正直、言葉を失った。

この訃報を聞いて、一つ思い出したことがあった。
次男を出産する時、体調にトラブルがあって私は2カ月半前から入院していた。名前を考える時間はいくらでもあったはずなのに、結局名前の届けを出す締め切り2週間ギリギリの当日朝まで夫と悩んだ。たくさん挙げた名前の候補の中で、夫の一押しは「春馬」という名前だった。しかし、三浦春馬の熱狂的ファンだから付けたみたいにならないかと思い、却下になった。その時すでに三浦春馬さんは名前を聞けば、あぁ!とわかるほど有名になっていたのだった。

今回のニュースは自分が思っていた以上にショックだったので、彼はどんな気持ちだったのだろうとつい、思いを馳せた。余計な詮索だとわかっている。ファンというほどではなかったけど私の頭の片隅にいた勝手に「知っている人」だったのでいろいろ考えてしまう。


私も過去に一度だけ、死にたいな。と思ったことがある。あの頃、失ったものがあった。間違いなく心が病んでいた。日常生活もやっと、な感じだった。体調が悪くて内科にかかり、悩んでいることなんか一言も話さなかったのに「心療内科を紹介しますよ。」と言われて予約をし、たくさんたくさん悩んで、ある時ふっと吹っ切れた。心療内科?私、心療内科を紹介されるまでにボロボロだったんだ、もう悩むのはやめよう!となぜか思えて浮上した。

私は普段から悩みや心配事があった時に人に相談したり、話を聞いてもらってすっきりしたりするタイプでは、ない。それにその時の落ち込みの原因は、他人に話してどうにかなる内容ではなかった。
でも、私みたいに自己完結型は何かあったときに一番危ないのかな、とは思う。あの時があったからこそこれ以上悩んだら私はヤバい、というラインがなんとなくわかるようになった。

失うということ。失ったことで何かしら感じたり得るものがあるなら少しは救われるだろうか。失ってすっきりして前に進める事柄ならそれでいい。でも、今回三浦春馬さんをこの世界から失って、彼を知っている人たちは皆、衝撃を受け喪失感を感じただろう。演技力はもちろん、人柄もとても良さそうに感じていたから、あの人がなぜ。と。
もう彼の活躍は見ることはできない。
ただ、悲しい。彼が選んだ道だから何も言えないけれど、彼が素晴らしい作品を残してくれたことに感謝はしたいと思った。

御冥福をお祈りいたします。

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