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安楽死が合法な国

安楽死についての記事だ。
私はこれについてかなり賛成である。

そもそも、憲法で生存権は保証されているが、なぜ生きていく権利は与えられているのに、死ぬ権利はないのか。
望んで始めたわけではないのに終わらせるのは選べないのはなぜか。
長年の大きな疑問点である。

断っておくが私は今すぐ死にたいわけでも自殺未遂経験者ではない。 家庭環境も比較的恵まれていたし、現在もそれなりに生きていけている。
しかし、それでも強く思っている。

だんだん年を取ってきた。
自分の中では肉体的なピークは完全に超えており、劣化と共に生きていくのがこの先なのだと感じることが増えてきた。

 自分の体が思うように動かなくなってきたら?
 ぼけてきたら?
 自力で日常生活も送れなくなってきたら?
 大好きな趣味を楽しめない状態になったら?
 人に迷惑をかけないと生きれなくなったら?
と思うと先を考えると非常に気が重い。

最近友人の義父が亡くなった。
突然のことでお餅を喉に詰まらせてのことだ。80才半ばだった。
初孫が生まれる前であった。非常に痛ましいことで御冥福をお祈りする。


この話を両親に伝えたときのリアクションが非常に驚きだった。
「うらやましい。その手があったか。」
想定外だった。
彼らは60代だが、私以上に人生の終わりを意識している。
人に迷惑をかけずに長いこと苦しまないで、コストをかけずに逝きたい。
彼らの切実な願いだった。

やはりこれを考えても生きる権利同じくらい終わりを選ぶ権利は必要なんじゃないか。
福祉の一つとして考えていくべき内容だと思うし、希望者が増えているのはそうした人々の意思を表していると思う。
ただし、注意しないといけないのは、刹那的な自死を防ぐべきだということ、そしてあくまで自分で選べる選択肢だということだ。
人に強要されることがあっては絶対にならない。
選択肢としてあるということが大事であるし、生きたい人はなるべく長く生きていければ良いと思うし、終わらせたい人は終わらせられるというのが良い。

記事の中では、大きな考え方として、医療の中では緩和ケアと考えているみたいだ。対応できる専門家も医師だけでなく、上級看護師まで広がっている。ただし大きな課題も抱えている。居住支援を受けられず安楽死を選んだ女性の例だ。福祉サービスを受けるよりも簡単に申請手続きができたとのことだ。政治と医療の狭間に置かれた難しい問題である。
また医師の意見として、支援があれば生きられる人を救うことが医療であるのに、そこに手を尽くさないで安直な手段を取っているとのことだ。

色々述べてきたが、非常にセンシティブな内容である。
ただ、本人がどう思っているか、どうしたいかが一番のポイントである。そこを包括したうえで、刹那的な感情を上手くコントロールできるようなルール作りが行われて、成熟化することを願っている。
この先も困難な道であると思うが、今後も注目していきたい。
何十年後には日本でも選択肢ができていることを願っている。

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