アンジョーヤリーナの世界観
今日、2021年10月6日(水)はダブトラツアー発売日。自担であるアンジョーヤリーナの記念すべきマルチアングルが世に放たれるというこの日を、Twitterを見るまで忘れていた。「なぜ人はアンジョーヤリーナに魅了されるのか」というテーマで、様々なブログ・発信を目にするけど、自分もいい加減便乗したいと思う。紙幅足りるかな。
この曲の総論、それは「徹底的に、背景と、歌詞と、音が合っている」こと。それに尽きるんだと思う。園田先生がどれくらいの労力をかけて作り上げたのか、想像するだけセンスも能力もないけど、途方もない「何か」が隠れてることは言うまでもないと思う。そこに加わるのは本当に恐縮でしかないけど、とうとう言語化の切れ端が散乱し始めたので少しだけ(?)書き込んでいく。
アンジョーヤリーナがニ長調であるということ
いきなりで本当に申し訳ないんだけど、まずは調号の話をしないといけない。わかる人は飛ばしてね。
楽曲には必ず「キー」という概念がある。12個ある白黒鍵盤の中で、スタートの音からたった7個の音を選び、選ばれた音たちでなんとか曲を構成しなければならないという決まり。誰が決めたかよくわからないこの不文律、(最近ではサビの中で2~3回転調するバンドが東京でリベンジしながらタイムスリップしているようだけど)、人は音楽を聴くときには必ず、キーからも曲の印象を受けている。ドから始まるハ長調なら無難・安定、♭系は落ち着き・まろやかさ、#系は明るさ・高揚感といったもの。
例えば、ええじゃないかを半音下げてみてほしい。原曲はミから始まる「ホ長調(#4つ)」なので金ピカの太陽のような明るさ(という印象を持ってる)、だけど半音下げるとミ♭から始まる「変ホ長調(♭3つ)」になる。変ホ長調は途端に淡くて丸い黄色、もしくは明るいグレーやパステルカラーのような重すぎないやわらかな印象になるように感じる(ド主観)。この点、音感の有無にかかわらず聞き比べることで受ける印象を変えることができるので、波形編集ソフトやカラオケ(コロナ禍で開いてる都道府県にお住みの方)で試してみてほしい。ここまで余談。
アンジョーヤリーナはレから始まるDメジャー。「なぜ園田先生はDメジャーを設定したのか」「5周年記念シングルだよ?」「アンジョーヤリーナと5周年を関連付けるなら、5番目の音、ト長調じゃないのはなぜ?」って思ってた。最初は。
まずはDメジャーの特徴を抑えていく。「この曲はレを中心として、♯は2個使いましょう」「ドとファは黒鍵を使いましょう」というルール。つまり、この曲は、レ・ミ・ファ#・ソ・ラ・シ・ド♯・レの音で構成されている。
「普通」の象徴であるドと、ヘ長調(=ファを中心としたキー)という「丸み・ピンク色の温かさ」の象徴であるファを共に潰しにかかっている。「明るくて、ファとドだけがシャープ」であることが、1つ目のポイント。
「明るさを追求するんだったら、#ならなんでもいいんじゃない?」という指摘。たしかにこの指摘も当たるには当たる。だけど、例えば「ファドソ」を#にする「Aメジャー」といった、「単純に#を増やす」という選択をしていない。あえて「唯一無二のテーマ設定たるDメジャー」を選択されている。ソ以降#を付けないことが、2つ目のポイント。
その理由こそ「5周年だから」。思い出してほしい。この曲は(なぜか)(不本意ではあるが)カップリング曲。このCD、1曲目は「アメノチハレ」。5周年記念シングル。そしてこのシングルにおいて、「5」はかなり大事に扱われている。例えばアメノチハレ、ト長調。ト長調ってソから始まるメジャーキーなんですけど、「ソって5番目の音じゃん…!!!!!」。なんで気付かなかったの。(気づいてた人教えてよ)
そして、その背景から、大事な5番目の音、ソを#にすることはどうしても避けなければならない。(自分何言ってんだろう)
いくら明るい曲を作ろうとしても、シャープを増やすのも「ファドソレラミシ」の順番というルールがある。♯1個ならファを♯にするト長調、#4個ならファドソレを♯にするホ長調といった感じ。この曲のメッセージ「普通という概念を明るく受け入れつつ、5周年という隠れたメッセージ」を出すためには、曲の趣旨にも、ソを守るという魂胆にも沿って、ファとドだけを#にするDメジャー・ニ長調一択で採用するしかない。この選択はアーティストにも、ファンにも敬意と強い愛情を持ってなされた園田先生の英断としか思えない。ありがとう園田先生。本当に何言ってんだろう。
さらにアメハレ関連でいうと、なぜト長調の次にニ長調が続くのか。
音はそれ自体で印象を持っているんだけど、音に言語が乗ることでさらに強いインパクトを与えることができる。歌詞と具体物の一致はよく使われる手法で、多くの人にとって「ドはドーナツのド」だし「ソは空」と覚えているはずなんだけど、実は歌詞だけではなく、少なからず「ド・ソという音と具体物」との関連付けも行われている。
絶対音感側の人間にとってレモンはレだし、ソはG、ドはハ。レ、Dメジャー、ニ長調、に。
虹の“ニ”。
1曲目、ソは青い空。雨のち晴れ。晴れ空に続く虹。レはレモンなんかじゃない。レは虹のニ。5周年を記念する5番目の音「ソ」に、第2クールを表す虹色の2番目の音「レ」。このシングルはまさにカップリング、2つで1つのメッセージをなしている。そうとしか思えない。すごいね。
臨時記号を使うということ
ちなみに例外として、臨時記号を使うことで7音以外の音も使うことができる。例えば、Aメロ「普通自体が難“しい”」「じだ“い”に」 サビ終わり「“ア”ン“ジョー”ヤリーナ」はそれぞれ♭、♮が使われている。
Aメロ部分「難しい」「じだいに」は、メロディーが「レド#ラシ♭」「レレシ♭ラ」、コードがGm/Dになっている。本来ならここはソシレ、つまりGという「明るさの象徴コード」なのに、3音のシに♭を付けることによって不安定な印象、つまりマイナーコードに華麗な変貌を遂げている。ここからすでに、園田先生の細かいテクニックオンパレードが始まっているんだけど、これはもう少し後の話。もうなんかサビまで意識が飛んでしまったので、曲に入りたい。それではイントロからスタート。(すでに泣きそう)
イントロ
「D号泣するくらいのGm/D感動を、D→A/C#→Bm一生一度のA冒険を」
これは世界史に刻まれるメロディですが、美しすぎてなぜ重岡から始まるか(赤が虹の一番上の色)忘れそうになる。
サビがイントロのパターンは数多使われるけど、この曲はピアノ伴奏から広がるパターン。かみしげが繋ぎ、スネアが3連符、ストリングス、ギター、ピアノが盛り上げる。某海賊王アニメみたいな王道アニソンパターン。このサビをかみしげが歌った采配、誰が決めたのか知らんけどのちのDメロで生きてくる。早速泣いてる。
「愛せ君の人生、アンジョーヤリーナ(ファソファーレミーレ)」
2Em→3F#m→4G→5A→5.5B♭→6.5C
ここ、なんか歌詞もいいんだけど。コードは右肩上がりに進んでいく。ルート音の臨時記号は、シ・ドにそれぞれ♭、♮がついている。それにより、メロディ「アンジョーヤリーナ」は白鍵だけで弾ける、つまり「ハ長調感がある」。最初に書いたように、この曲において「ド」と「ハ長調感があるもの」は「普通である自分の象徴」として取り扱われている。例えば、この部分ではベースに「ド」があることで安定した自分を、上のメロディの白鍵で「あんじょうやりな」と応援することで俯瞰からみた自分を。そう捉えたとき、曲と歌詞の一体感を感じ取らざるを得なくなる。本当に泣きそうになってくる。
イントロ。なんといっても主旋律ストリングスとピロピロ言ってるピアノの高音掛け合い合戦。頭出しがG、主旋律F#という7thでぶつけてくるのも、キレイに見えてこれから何かが起こるというざわざわ感を醸し出している。
Aメロ
Aメロの出だし。「ふつう」が2カウント早く入ることによって「普通(=当たり前)ってなんだろう?」と言語野に対して問題提起をさせ、さらにAメロ1小節目にDコードを当てることで「普通でも明るいよね、いいよね」という、誰が考えても明るいメッセージを予感させる。
ところが、ここに続くのは「難しい」という歌詞に、イレギュラーなマイナーコードGm(ソシ♭レ)。このインパクト。早速当ててきたシの♭。
「普通自体が難しい時代」って歌詞は仮にまだ書けるとしても、ここに難しさを表すコード・メロディーを当てる難しさ・裏切り劇。こうした微細なメッセージから始まるこの曲、狙ってるとしたら全然あんじょーやってない確信犯だし、天性でやってるとしたらもう何?(しかも絶対偶然なんだけど、しとシがかぶってるのも運命としか)
ここの楽器はギターのアルペジオに、ピアノが和音を挟んでくるシステム。歌詞が暗くモヤモヤしたものと対照的に、楽器が代わりとなってライトに見守っている感じ、好き。
Bメロ
クレッシェンドとデクレッシェンドを多用したところ。コードとしてはGとAの行ったり来たりが続き、「言おうかな…言わんとこかな…」で悩む様子丸出し。ストリングスも「イケイケ!」「やめとけ!」「うんうん、そうそう」と言わんとばかりに小刻みに茶々を入れてくる。
ところが、後半になってはじめて一人称「僕たち」が登場してくる。そして初めて願望系「歌いたい」が出てきた瞬間、コードはC(なぜC)と一気にトンネル期から抜け出して進もうとする。
ただし、このあとコードは不安定に下がっていく。おもっきし前向きになったわけでも、まだ明かりが見えたわけでもないような印象。それでも「嘘じゃない、本当の気持ち」と念押しした途端、ピアノとストリングスが不安定和音を使って空から降りてくる。これまでドラムが刻んだビートから、少しゆるやかな一時停止モードに切り替わる。
ただただ、「聞いてくれますか」という(泣きそうな照史くんの歌声、死ぬ)すがるような、手を伸ばしかけた、動かずとも少しだけ何かを変えようとポジティブな行動がでてきた場面。転んで泣きながら「僕」が手を伸ばそうとした瞬間、全楽器がそろって止まる。僕にとっての「君」へと、場面が転換する。
サビ
まず毎回下ハモを請け負ってくれる人に感謝。
主客を「君」として捉えたときに、ストリングスを「僕」と考えると、後追い副旋律に納得ができる。
「日常は そんなに ド 派手じゃない」
Vo:レミソーファ#ファ#ー ミミーレレ ラ ファ#ソファ#ミ
St: ソーーーーファ#ーー ミーーレー ド#ーファ#ミファ#ソファ#レミ
「ルーティンワークは間違いなわけじゃない」
「まだ頭にも入ってこない、ただただ言ってることを聞き流している」
「けれど微かに響くところはあって、各フレーズの最後にはメロディから離れた独自の旋律を紡いでいる」 そんな状態。
その証拠かのように、「君の毎日に、君の日常に」と、「(僕にとっての)君」が「(君にとっての君である)君」に話しかけている場面では、ストリングスがメロディをなぞらえつつも独自の動きを醸し出している。そして、要所要所でメロディと息を合わせている。
D→F#→Bm→A、Em→A→F#m→Bm
コードとしては王道進行の王道アレンジパターン。
楽器隊としては、悩んでるAメロと違って、サビはドラム・バッキングのリズムが一定で安定している感じ。静観。
ところが「影が差したら」で、本当に影が差している。
コードが「影Emが差F#mしたG♭ら」になっていて、シ♭の再来。
ただ、ここは泣けるストーリーになっている。
すぐにピアノが高いソレラのアルペジオを奏で、「呼んでおくれよ」と助けを保証したうえで8ビートからの大展開が始まる。どれだけ人の心に寄り添った歌なの。
サビ後半
メロディはいいとして、ここはリズム隊が大暴れしている。
いかに「普通」を表現することが難しいか。
それは「僕」にとっての普通やそれ以上の特別な日々は、あくまで普通の延長線上にあるもので、何か苦痛やハプニングなど予見不可能なものが伴うものではないということ。「ぱっと見普通だけど、自分にとっては変化があるもの」 そうした、「普通でしかない毎日」へのリフレーミングがこの曲通したメッセージだと、自分は受け止めている。
だから、ドラムは一定のテンポながら16分という駆け足、ベースはあっちゃこっちゃしてる。空からピアノが降ってきて。けど結局コード構成音の範囲内に収まっているし、メロディはユニゾン、ストリングスは1-5の連続。
普通の中で暴れまわっているリズム隊。こうした想像を駈り立たせるような作品を世に放たれた先生には敬意しかない。泣きそう。
さんざん「彩られた普通」を味わった後、各楽器は平穏すぎる日常に戻ってくる。そして重岡の決め台詞「愛せ、君の人生」。わくわくするような4分のリズムから、1回目のギターソロへと移ろっていく。
Cメロ
「Em愛せ君のF#m人生 G→A→B♭アンジョーCヤリーナ」
→G→G→F#m→E、Em→F#m→Gm→C→A
サビで気持ちがすこし晴れたとはいえども、曲は半分も終わってない。「アンジョーヤリーナ」のあと、コードはGへとつながり、少しずつ下がっていく。そして4小節目、ギターのひずみとともに少し冷静になり、また頭がぞわぞわしてくるかのようにスネアの16分へと続いていく。
ギターソロ最後は「上がろうとして下がり、
引きずりおろされてもほんの少しだけ最高到達点を超えていく」形になっている。その最高到達点が「シ♭・ド♮・レ」と、「不安から普通へ」のメッセージを孕んでいるのも泣きそうになってくる。
だってついさっき、いつでも助けてくれる人が見つかって、今の自分も愛そうぜ!って言われたんだよ?そうした途端、手を伸ばしかけてた人(がサビの終わりのCコードで君から僕に場面が変わった、いまは僕がギターに乗り移ってる)が、ついに「上に、前に、進もう」と明確な意思と動きを共に出してきたこと。この短い、たった8小節のギターソロからは、そうした「そばにいる“だけ”で」という人間の強さを考えてしまう。
(ちなみに、2A直前のギターソロ最後、コードは「Gm→C♮→A」と進んでいる。ベースがド♮を扱う場面は、サビ終わり「アンジョーヤリーナ」も同じ。ドの♮には、ただ「普通」である「僕」を表すことに限らず、「君」主題だったものから普通をあらわす「自分(=僕)」に主題が戻るという、そうしたメッセージを感じるのは考えすぎか)
2A前半
1番、2番ともにAメロは同じメロディーが使われているが、若干の変化がある。1番は「もがき続ける僕ら一体何なんだ」から「余裕で笑える人は別世界」というように、「自分から他人」と続くところ。
2番は少し変わって「自分から自分」になり、本音を伝えたところでまだ前に進めない理由を探し始めている。「後ろ向きが得意なわけじゃない」ここはさっきと同じく「わけじゃない」でB♭が使われているけど、「まだ暗澹たる気持ちはあるけれど、少しだけ自分を見つめなおそうとしている」という「頭ではわかる、気持ちがついていかない」様子に変化している。
いったそばから、上の方で切れ味のいいストリングスが少し光をさしている。でもまだ前は見えてない。ストリングスは忘れ去られたかのように、ロングトーンに形を変えて高いところから見守っている。1番と大きく違うのはベースの存在。さっきはどうしようもなく聞こえなかったけれど、2番は8分のリズムで地に鳴り響き続けている。自分の鼓動が聞こえてきた、地に足がついてきたかのように「前に何も見えないだけなんだ」と吐露することができている。
意地
「(だけEmどそんなA僕にGも)F#m意地がF#/B♭あるBm」
ルート音(=ベース)がFm#→B♭→Bmと続く。ここで思い出してほしいのが「シに何かついているとき、それは不安やネガティブさを表す」というメッセージ。ベースは「意地がある」ところで「ファ#→シ♭→シ」となっていて、「この意地はまだ意地でしかなくて、前を向きたいけど重くのしかかってる」くらいの意味だと思ってた。もう1か所、シに何かついているのを見つけるまで。
この曲には「僕(たち)」「君」「第3者の“普通”な人」など様々な人格が登場してくる。僕と君が誰なのかわからないけど、曲が一瞬止まって「君」が登場し、シャープがとれたファとドによる「アンジョーヤリーナ」という掛け声でまた「僕」に戻るという構図になっている。まるで曲自身が意思を持っているかのように。
「意地(いじ)」 「イ-ジ」
もともと「僕」は「現状こうありたい、こうなりたい」という「意思」を持った人格であるにもかかわらず、不安がのしかかることで意思が「意地」になって見えなくなってしまっている。そして意地も意思も、死すらも「あんじょうやりな」 その一言で、雨間から光がのぞき込み、虹がかかって2曲の物語が完成する。「意地がある」のコードにB♭を差し込んだのは偶然だろうか、それとも。
2A最後~間奏
このあと曲は「誰にも負けない何かをずっと探してるんだ」と続いていく。やっと言えたね、僕。コード進行としては2E→3F#m→4G→5Aと駆け上がっていき、順当であれば1Dに戻ってくる王道の右肩上がりコード。このあと元鞘かと思いきや、思い返してほしい。
言語化したら認めてしまうことになる言葉、分かっているけど伝えられなかった言葉。それを言ったとき、本当に「スッキリ」だけの感情にはならない。
(「私、君のことずっと前から好きでした。」と言って「ああ、やっと言えた!」となるのはsupercellの世界くらいなもんで、)
たいていは恥ずかしさとか、現実を見ざるを得なくなった絶望や後悔とか、「負の走馬灯」が襲ってくるはず。(だって直後「あーーーーーーー!!!!!」って叫ぶんだよ。悪い二人組ですらそろって(ハモって)慙愧に堪えない後悔と前進にさいなまれるんだから、)「僕」がどれだけの揺らぎを感じてることか。
「探してるんだ」と言い終わりかけた時点でスネアの心拍数が急上昇し、舞台は再びギターソロへ。前半8小節は、全楽器がバトンを繋ぎながら苦悩を表しまくってる。切ない。ここだけで無限リピできる。以下、ギターソロのカオス具合をパートごとに実況する。
Aまで駆け上がってきたコードのバトンはGに後退
ギターは3度のハモリをもちながら上がり下がりの一進一退の攻防。
鳴りを潜めてたピアノまでスケールを駆け上がり、
ピアノからバトンを受け取ったストリングスがサゲの蓋をするも、
ばどが「あーーーーーー」と叫びだし、
その裏ではギターソロが3連符というカオス。
ベースラインなんか「F#/B♭」のアルペジオを上がって下がって
何とか「ファ#ーレード#レド#ラ」ストリングスが穏やかに風を収める。
突然、ドラムが走り始める。
「あれでもない、これでもない」
「見つからないのはどうやら自分のせいだった」
世界一美しい4小節が始まる。
Dメロ
「美」ことスーパーかみしげタイムの構成は以下の通り。
Aあれでも Emない、これでもない
A見つか Gらないの F#はどうやら自分の Bせいだった
「Em余裕で笑え Aる G人はF#m別世 F#/B♭界 Bmで」と類似しているが、最後が違う。自分に対してマイナーコードもシに何かつけるのもやめて、ただただ前に進もうとしている。ギターは低音コードと高音35カッティングを入れて、歌(=主人公)と周波数がかぶるピアノは黒子(バッキング)に徹する。この曲1番の名脇役こと副旋律ストリングスさんはなんで泣けるか分からない。というか考えるに値しない。「シーーソラシラーレミッシッラー」と聞くだけで涙がとまらない。なぜ。
かみしげタイムは「せいだった」のリズムにメロディ楽器が同調する。受容でも共感でもなく、ただ「僕」に傾聴しているかのように。
そしてベース隊が下でうごめき、スーパー濵田タイムが始まる。
「Em振り向か F#mず進め」→ G → A → D
紫、虹の最後。
もはやこのセリフ、僕なのか君なのかがわからなくなっている。
この直前「せいだった」で一瞬トメがあるから「君になった?」と思うけど、ベース隊はある一定の継続性を持って動き続けていた。にもかかわらず「(ふ)りーむーかーずすすめ」の2小節、全楽器がそろって4分を鳴らす。
WEST史上もっとも大きい上がり幅で、進む。
「ここで僕と君、そろった?」
「もとから同じところにいた?」
「君も僕だった」
という文学的な考察も見かけた。バッキングからみても、ここは明らかに「何かが、すべてカチッとはまった」瞬間。
落ちサビ
イントロを思い出す。冒頭のピアノ、未来への幕開け、壮大なストーリーを予告させるピアノ。さんざん「愛せ君の人生」と言っておきながら、唯一の「僕」側の歌割が、最高に葛藤し苦しみ「自分のせいだった」と気づく場面という重岡。たどり着いたのはその2つの調和。
「日常は、そんなにド派手じゃない」
「ルーティンワークは、間違いなわけじゃない」
ライブでは、「け」をファ♮で歌ってた。これは偶然かもしれないけど、何かを「調和」させたというメッセージを孕む結果になってる。泣いた。
ラスサビ
やっときた神山上ハモリ。「旅立ちの日に」でいう終盤の男声パート。虹の一番上、赤色と共にイントロで夢を見て、Dメロで挫折から立ち上がった人が、「僕・君」のシンボルとして掛け合いに応じている。なんの臨時記号もない、まっすぐな上ハモ。
最後にアンジョーヤリーナを2回繰り返す。これまで一方的に言われた「アンジョーヤリーナ」というメッセージ。聞いたところで「普通」にこだわり、後ろ向きになっていたそのメッセージを持って、ついにルート音「D」に向かう。あるいは、誰かが呼んだのかもしれない。少しだけ見方が変わった「普通」の完成。混じり気のない、純粋なレで、曲が終わる。
おわりに
この時点で9038字。耳だけの情報で端折りながら書いたから、ソロアングルみたら死ぬんじゃないか。もうなんか一周回って人を不安にさせる曲かと思ってきた。
まだ言い足りないので、箇条書きで書いていく
・初ユニゾン「愛せ君の人生」
・イントロストリングスとピアノの掛け合い
・ピアノのレー、レラソファレ
・をーおおおをーおおおーの3度ハモの裏で流れるストリングス(泣)
・1A全般のピアノ
・「一体何なんだ」で飛び出す上ハモ
・「パリピ」「リア充」「やかましい」「黙ってくれ」とジャニーズに歌わせた園田先生
・「だからこそ僕たちは」のピアノとギター
・「ほんとの気持ち」直後のストリングスしんどい
・7人のお願いなら聞く「聞いてくれますか」
・「ま」で怒鳴る桐山?
・ここで静寂!!!!!!
・サビの「れーしーどれみふぁーみーそーふぁーみーらーそーふぁーふぁーふぁー」というストリングスで死んだ
・影が差したらの「ら」のハモリが絶妙な純正調
・ダブトラ以降原曲聞いても離れない「いくぞおおおおおお!」空耳(ここ?)
・「号泣するくらいの感動を」このへんのベースライン死ぬ。何弦使ってる?
・神山さん「いっーーーーーしよ”ぉぉぉぉ」
・この直後ピアノ「レドラーミーレ―ドーラ」が一番好きなピアノかも
・ぼう「けんを」の降り方が個性豊か(んを発音するか問題)
・「探してるんだ」で「る⤴ん」となる桐山
・ギターソロライドシンバル(呪文)
・ギターソロはツインギター?エフェクター?オクターブ奏法?
・ピアノ駆け上がりすぎ
・かみしげ、まさかの重岡ハモリ
・ここの高音カッティングギター好き
・振り向かず進んだ直後のベース下がり方
・「呼んでおくれよ」のドラムフィルイン
・実はラスサビだけピアノバッキングが全面アレンジされてる件
・最後一番低いレ
ざっとこれくらい。
少し高いけど、今日からやっと布教できる。
毎日しんどいし、仕事行きたくないし、針路も全く見えないだけど、それでも何とか生きてられるのはこの曲と出会ったから。冗談抜きで、この曲を聴くまではとっとと退場するつもりだった。この曲を初めて聞いた時から、朝早く起きれるのも、休まず仕事に行けるのも、ちょっとだけ先のことを考えられるのも、園田先生が吹き込んだ作品の魂を少しだけお借りしているから。本気でそう思わせてくれる、特別な曲。園田先生にリプ返頂いたときにはスクショして方々に送りつけてしまった。
初披露がオンラインだったのは少し残念だけど、いつかこの曲を生で、できればバンド体制で見たい。それまでは、ちょっとだけ頑張れそう。
うまくやろう。
アンジョーヤリーナ
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