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営業日報第3話/親孝行

午前中に仕事をひと段落させたので気分転換に今日も書く。
書きたい事は山ほどあるが、書きたいものだらけでまとめるのが難しい。
引き合いに出すのも烏滸がましいが、キマイラがいつまでも終わらない夢枕獏先生の気持ちが少し分かる気がする。

営業日報第3話/親孝行


当時は今と違い新車販売時の値引き額が大きかった。
各社、各メーカーともに値引き競争へと突入していった時代だ。
車両価格200万円の車に対し値引き額が60万円などというのは当たり前。
私の過去最高値引き額でいえば120万円弱の値引きをした事もある。
メーカー希望価格とは何なのか?と日々思っていた。

値引き競争が過熱していった一因にメーカーの出すインセンティブがあったと感じる。
簡単なイメージを説明するだけなので数字は例えであり、細かい突込みは勘弁してほしい。
販売会社、つまりディーラーは顧客からの注文以外にも、在庫車として毎月ある程度の車を仕入れている。
在庫車を持つ事で納車時期を早めることが出来るし、在庫車は展示車にもなる。
当然売る前提で仕入れるので、人気車種、人気色、人気オプションで発注を掛ける。
そこにメーカーが年に何度かインセンティブを乗せる時がある。
例えば毎月400台の発注を掛けている販社に対し、今月500台発注すればインセンティブを出すよといった感じだ。
仮にインセンティブが1億円だとすると、超過する100台は単純計算で台当たり100万円安く仕入れられる。
賞味期限があるわけではないので、当月売り切る必要もないし翌月で発注台数の調整も出来る。
人気車種に絞って発注すればまず間違いなく捌ける。
当然、販社はそれを利用していつもより多くの在庫車を抱える事となる。
つまりインセンティブを使って仕入れた車は、通常よりも大きく値引きも出来る。

私がいた販社では週末の朝、インセンティブのかかった在庫表が本社からFAXされてくる。
在庫表には型式・車体番号・色番号・MOP等の記載があり、その横に個別の値引き額が記載されていた。
個別の値引き額は営業マンの裁量で自由にしていい数字だ。
仮にそこに60万円の金額が記載されているとすれば、60万円+通常の値引きが出来る。
在庫車なので現車が売れてしまうと同じ条件では販売できない。
現車を確保するためには本社へ連絡を入れて予約する必要がある。
そのため私は特に見込客がいない週末でも、朝一番に出社してFAXを待ち、売れ筋の車種を確保していた。
見込客もいないのに迷惑な話だが、社内で変な遠慮をしていては成績は伸びない。
売れなかった場合はどうするのかと思われるだろうが、そんな事を心配していては先には進めない。
売ればいいだけの話である。

そのインセンティブがかかった週末。
私はいつも通り1番に出社してFAXを確認する。
まだ届いていなかったので、願を掛けてトイレ掃除を入念に行う。
トイレ掃除を終え、給湯室で一服しているとFAXの着信音が鳴った。
慌ててFAXを手にする。
ちなみにまだ誰も出社していない。
目ぼしい車をピックアップし、確実に売ることが出来そうな1台に絞り込む。
確保する車を決めると本社へ電話をする。
「お疲れ様です、○○営業所の広田です。45番の車って予約入ってますか?」
本社にしては珍しく応対が明るい野上さんが出た。
「45番はまだ大丈夫ですよ~。予約しときますね!」
「お願いします!」
これで車は確保できた。
私が予約した車は当時大人気だった車。
ステーションワゴンをコンパクトにして背を高くした車だ。
1600ccで税金も安く、居住性も上々で荷室も使いやすい。
この車の売れ筋グレード、かつマスメインカラーを選択した。
車両価格160万円台の車にインセンティブが55万付いている。
通常値引きと合わせれば総額100万円強で購入できる形になる。
あとは一見のお客さんを待つだけとなった。

先輩たちと雑談をしていると、母親と2人の息子であろう3人組が歩いて来店した。
息子は2人とも高校生か大学生くらいの年頃だ。
もう新人ではなかったので、一見の来店客は順番制である。
次の順番は私。
小走りで店を出ると要件を伺う。
「いらっしゃいませ。ご用件をお伺いいたします。」
息子と思われるうちの1人が答える。
「〇〇を見せてもらいたいんですけど」
私が予約している車種である。
当然展示車も試乗車も用意している。
「ありがとうございます!中に展示車がありますのでご覧ください」
いつも通りの仕草で名刺を渡し、店内へと案内する。

カタログと見比べながら一通り車を見ると客の方から話しかけてきた。
「買うかどうかはまだ決めてないんですけど、このグレードの見積もりを出してもらうってできますか?」
もちろんです、心で呟く。
「はい、では作成しますのでこちらにお座りになってお待ちください。」
商談テーブルへと誘導し、飲み物を聞いて受付の女の子に飲み物を頼む。
自分のパソコンを準備して商談テーブルの対面に座る。
軽く雑談をしながらアンケートに記入された氏名を見積書に打ち込み作成を進める。
親子の姓は小野田さん。
母親と高校生の弟、来年から社会人になる兄の組み合わせだ。
その兄が初めて買う車で下取車はない。
とりあえず当たり障りのない値引き25万の見積書を提示した。
1点だけ私の目論見が外れたのは、希望色が違うという点だった。
グレードや装備品と比べると、ボディ色は車音痴の人でも主張する部分で変更を促すのは難しい。
付属品や税金を含めて総額170万円台。
特に驚いた様子もなく、兄はうんうんと頷きながら見積書を見ている。
兄が口を開く。
「買う時は値引きってもう少し出来ますか?」
値段さえ合えば買うという宣言に等しい。
「はい、もちろんです。ただ・・・」
「今日は大幅に値引きできる車があります」
「もし今日決めていただけるのであればこの値段まで可能ですがいかがでしょうか?」
若い人が商談相手の場合、下手な駆け引きは逆効果になる。
私はインセンティブを全て乗せた見積書を提示した。
総額110万円台の見積もりを手にすると3人が驚く。
「こんなに引いてもらえるんですか?」
「はい、ただし1台限定です。そして」
私は申し訳なさそうに続けた。
「色がご希望の色ではなく、このカタログの表紙の色なんです」
兄はあちゃ~という声が聞こえてきそうな表情をして腕組みをした。
ポジティブな思考になるように私は続ける。
「たしかにご希望の色ではありませんが、ご希望の色にした場合と比べると50万安くなります」
「同じ車で色が違うだけです。50万の差は大きくないですか?」
弟が同調するように兄に言う。
「色なんかどうでもいいやん。50万だよ、50万!」
難航するかと思ったが、兄はすんなりと色を合わせてくれた。
「50万は大きいね。せっかく父さんのお金を使わせてもらうんだから、色はなんでもいいよ」
母親に向かって兄は言った。
私が兄の言葉を理解できるように母親が話をしてくれた。
2ヶ月ほど前にご主人が病気で亡くなってしまったとの事。
しっかりとした保険に入っていたため、今後の生活の心配はないらしい。
そのお金で兄の就職に必要な車を買うのだという。
兄は私を見ると「じゃあ、この車でお願いします」と言い、商談は無事にまとまった。

納車も無事に終え、兄の就職もうまくいったようだ。
2年ほど付き合いがあったが、私はこの兄の車が車検を迎える前に地元へ戻る事になる。
初めて買った車の担当という事もあり、引継ぎの挨拶では非常に残念がっていた。
有難い話である。

地元へ戻り私が中古車屋を興す際、何かの繋がりになればと思い、この元営業所へ挨拶を兼ねて連絡を入れた。
退社して10年以上が経つわけで、電話に出た相手は当たり前だが知らない人だった。
どういう風に話していいか分からなかったので、当時の先輩の名前を列挙して誰かと変わってもらう。
電話に出たのは当時私の顧客を全て引継いでくれた先輩だった。
先輩と懐かしい昔話を楽しんでいたが、思い出したように先輩が言う。
「俺、今は店長だからな」
時が経つのは本当に速い。
そして先輩は続ける。
「小野田さんって覚えてるか?」
「あの人な、まだお前から買った車を大事に乗ってるぞ」

営業マンたるもの、苦労も多いが報われる事も多い。


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