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without regret な生活

 こんばんわ、今回は日常の選択肢について話したいと思います。

 人生は選択の連続だなんて、誰か偉そうな人が言っていました。続けて、正解などないのだから、自分が後悔しない方を選びなさいと。

 人生の真理をついたのかもしれない言葉。いい言葉で、多分たくさんの人がこの言葉に救われたのかもしれません。


 でも、私はまだこの言葉に救われる準備ができていない。だって、私が選ばなかった方の選択肢にも、私の大切にしていたものがたくさんあったんですもん。一ミリの後悔の選択なんて、できっこないんですもん。

 私が選んだ方の道にはたくさんの大切なもがあって、それに救われながら生きているから、この道を選んでよかったと思っています。でもそれは、選ばなかった方の道にある大切だったはずのものが、今もあったらなぁ、なんて後悔と一緒にあります。

 たとえ選んだ方の道が私にとっていい選択肢だったとしても、事実私は大切なものを失ってるのです。
 今幸せだったとしても、失った大切なものがあって、だれかを傷つけたかもしれなくて、それなのに手放しで今の選択肢を歩んでいることを私は喜べないのです。

 あのとき縁を切る決断をした友達と、もっと話し合うことができてたら今もくだらない話をすることができたのかなぁ、とか。スラムみたいな環境に私を産んだ母親と、それとの暮らしのこと、もっと早く誰かに助けを求めてたら、いろんな人に迷惑をかけずにすんだのかなぁ、とか。

 そんな黙っていれば幸せでいられるかもしれないいそんな過去のたらればを、私はふと思い出すのです。そんなこと思い出してもどうしようもないのに。

 これは、私に限った話かもしれないけど、後悔とか、ないものねだりのない選択肢ってないと思うのです。90%が良くたって、10%はなんかもやもやしたものが残ってる。大体そんなもんだって思います。

 だからこれから子どもたちがなにか悩みに当たった時、後悔のない選択肢を選べなんて投げやりな言葉じゃなくて、しんどい後悔はあるかもしれないけど、自分が進みたい方を選んだ方が良い、って言いたいです。意地悪かもしれないけど、それが優しさだって思います。

 クソみたいな環境に生まれて、みすぼらしくも人間として生きて、これから教員として子どもたちと生きる現時点の未熟な私には、これが最適解なのです。



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