空間を超えた学びの可能性(なぜ、オンラインでつながることは学習になるのか?)-妻高校で全国の高校生とシンガポールの高校生との交流授業をしました-
11月下旬のこと。
シスコシステムズさんのデジタルスクールネットワークの取組の一環で、日本の高校生とシンガポールの高校生との交流授業を行いました。
そもそも、日本国内の高校(北海道・石川・宮崎)で6月頃から各校が課題を設定して、越境型の探究学習をしていたのですが、その学習のまとめをシンガポールの人と共有してみよう、また、シンガポールの高校生が考えている課題についても共有してもらおうとセッティングした企画となっています。
さて、国際交流のプログラムを何かとサポートさせてもらうようになって早2年。個人的に、高いような、でも低くはない壁になっているのが「言語」の壁。確かに、英語力があることは重要だと思います。(私も、聞き取る努力をしたり、話す努力をすることは大事だと思います)しかし、一方で、英語によるコミュニケーションが必ずしも万能ではないとも思うときも正直あります。アジア圏でのコミュニケーション、または、英語を必ずしも使わない国とのやり取りは、一体どうするのか。そういう事も考えたりします。
その中で今回は、同時翻訳を自動で行うツールを使って行いました。(オンラインツールWebexを活用して実施)
お互いが話した内容に対して、字幕が、ほぼ同時に出されるというものです。実際に活用してみましたが、相手がおおよそ何を伝えたいかが母国語で分かり合えたようです。(私にはよくわかりませんでしたが)国によって英語の訛りもあるようでしたが、しっかりと訳してくれていたようです。(すごい)
さて、感じたことです。
国によって考えたい社会課題が異なる。それであれば地域によって考えたい社会課題は違うはずである。
シンガポールの学生からの社会課題は、「水」「地産地消」だったように感じました。しかも、それぞれの課題が、日本の同じテーマとは違うもので、やはり、国によって、地域によって見える課題というものが違う、ということを気づきました。良し悪し、というよりも、だからこそ、問題背景やなぜそれを考えようと思ったか、ということを明らかにすることは重要だと感じました。それにより、課題を考えたい、解決したい、一歩前に進ませたいということに根拠が乗るような気がします。
オンラインの可能性(悔しい思いと、一歩前に進む勇気をシームレスにつなげる?)
やはり、オンラインとはいえ、なにか喋ったら?と言っても話すことが難しい。(大人だってそうだと思うけど)ただ、これまでも見ていて、実は(勇気を振り絞って)話したいという思いを持っている高校生は多いと思っています。
その中で、チャンスが有れば一言話す機会を提供できるのがオンラインの強みだと思っています。また、話せなかった〜悔しい〜、次回こそはぜひ、の「次回こそ」をすぐ用意できるのもオンラインの良さだと思います。そういう工夫をしていけたらと思うし、それこそ、フィードバックを直ぐにできることも会場同士(学校同士)をつなげるメリットかと思います。
体験したら見えてくる、継続したら見えてくる、その連続性を作れる可能性がありそう
やはり、体験すると色々と子どもたちは考えるようです。そして、聞いたこと、考えたことをまとめると新しいものが見えてくるようです。この連続性を用意したり、自分で作ってもらうべきだなぁと改めて思ったところです。良い時間にするも、なんだかなぁという時間にする責任を担うのは学習者もです。(もちろん、場作りをする人にも大きな責任はあると思いますが、その責任は両者で請け負うべきだと思っています)だからこそ、連続性を理解し価値を見出すような工夫はしていかなければなと思うところです。
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