noteは有料だからこそファンがつく

今のところ、noteはファンをつくる場所な気がしている。

さっそくnoteブームを揶揄する声がネットに出てきているけど、彼らの論調の多くは「有料である」ことに対する嫌悪感や焦燥感から来ている。本人たちも気づいていないだろうけど。

「情報が無料であるこのネット時代に、数百円のお金に目がくらんでnoteなんかやっているとファンがいなくなる」というのである。

リアルにお金だけを目的にやっている人がいるならそうかもしれないけど、僕は逆に、有料だからこそ本当のファンがつくんじゃないかと思ってる。

(今度やる)ネットラジオでも言ったけど、有料というのは「売る側」にも「買う側」にもメリットがあって、

売る側には「お金をもらう責任感を持ってコンテンツをつくる」「無料だと読んでもらえないものを読んでもらえる」「お金がもらえる」というメリットがあって、

買う側には「お金を出したからこそちゃんと読もう」というモチベーションが生まれる。

僕は特に後者の「読み手の姿勢」が大事だと思ってる。ネットの主流は「流し読み」で、これからも拍車がかかっていくのだろうけど、お金を払うと人は「ちゃんと読む」のである。風俗はお金を払うから自分の母親みたいなオバハンが出てきてもちゃんとコトをいたす、と誰かが言っていたけど、それと同じだ。もちろん毎回オバハンが出てくるようなお店には誰も集まらないのだけれど。

有料noteには、コラムやエッセイなどの、無料で何でも読めるネット時代の流れの中で淘汰されてしまう類いの「ゆるいコンテンツ」「実益的でないが心が豊かになるコンテンツ」が生き残る可能性が残っている。

クオリティの高いコンテンツを作ればどこに出そうが媒体は関係ない、というのも事実だけど、気の抜けたエッセイとかコラムって、クオリティじゃないところに魅力があるよね。ヘタウマとかダサカッコイイみたいな。

もちろん無名の人が有料コンテンツを読んでもらうためには、ブログや無料ノートなどその他の部分でたっぷりじっくり自分を拡散しなければならないのだけれど。

糸井重里さんのような天才が『ほぼ日』で書くエッセイほどではないにしても、一億総発信時代の僕らが「好きなこと」を書いていくのに、noteには何かを感じるなあ。

2016/01/16/SAT/午後から岩盤浴行こう

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