【書評】ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

今回は、本屋大賞2019ノンフィクション本で大賞を受賞し、今でも様々なメディアで取り上げられている、ブレイディみかこさんのエッセイ『ぼくはブルーでホワイトで、ちょっとブルー』の紹介をしていきます!

本書の基本情報

基本情報

タイトル:『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
著者:ブレイディみかこ(保育士・ライター・コラムニスト)
出版社:新潮社
価格:本体1,350円+税
ページ数:252p
ISBN:978-4-10-352681-0

紹介文(本の帯より)

英国で「ぼく」が通うイカした元・底辺中学校は、毎日が事件の連続。
人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧。
時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだり……。
世界の縮図のような日常を、思春期真っ只中の息子とパンクな母ちゃんの著者は、ともに考え悩み乗り越えていく。
私的で普遍的な「親子の成長物語」。

引用元:『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』本の帯より

良かったところ・おすすめポイント

小説のような語り口で、読みやすく没入感がある。

小説を読んでいるかのように最後まで読み進めることができました。リーダビリティの高い文章で、キャラクターの個性が強く、またストーリーに連続性を感じられたところで小説っぽさを感じられたのかもしれない。それゆえに、ノンフィクションでありながら、その”物語”に引き込まれ、いつの間にか没入している。
細かな章立てがなされており、非常に読みやすいので、読書初心者の人にも自信をもっておすすめできます!

「多様性」を”重く、難しいもの”ではなく”身近なもの”として考えることができる。

「多様性」という言葉を聞くと、どんなイメージを持つでしょうか。「なんか難しそう」「あまり関わりたくないなぁ」と思う方もいるのではないでしょうか。しかしながら、ダイバーシティや多様性を認める方向に向かっている今の世の中で”多様性”は切り離すことのできない重要なテーマになってきます。一人一人の人間を尊重するにはどうすればいいのか。この本を読むと、教育・ジェンダー・経済格差・人種差別等様々な角度から英国でのリアルと触れ合いながら多様性について考えることができます。「多様性」をとっつきやすいものにして下さった本書が、人気を博しているのも頷けます。

印象に残った文章4選

個人的に心に残った文章を4つ紹介します。それぞれ簡単に自分なりのコメントも入れていきます。軽めの文章ながら、不意にはっとさせられるような切れ味抜群の文章が出てきます。ここにブレイディみかこさんの手腕を感じられます。

応援するチームが複数あるのは幸運なことだが、なるほど多様性の強さってのはこんなところにあるのかと思う。こっちがダメならあっちがある、のオルタナティヴが存在するからだ。こっちしか存在しない世界は、こっちがダメならもう全滅するしかない。

引用元:『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』p.130

「多様性の強さ」をスポーツの国際大会を題材に語っています。
本書はブレイディみかこさんの息子さんが主役で、彼は日本人とイギリス人のハーフです。それゆえに、イギリスのチームが負けたら、日本を応援する…といったようなオルタナティブが存在し、うまく気持ちを切り替えることができます。これも一つの強さなのかもしれませんね。選択肢が一つしかなければ、もし仮にそれが失敗してしまうと絶望するしかありません。選択肢を多く持っておくこと、多様性を認めること、というのは”全滅を防ぐ”ことから守ってくれるのかもしれません。

なぜ言葉の通じない者どうしがそんなことができるのかというと、彼らは、言語的に互いに迎合しようとしていないからかもしれない

引用元:『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』p.146

英語しか話せない「ぼく」と、日本語しか話せない祖父。お互いに何を言っているのか分からないにも関わらず、どちらか一方が相手の言語で話そうとする気もなく、お互いが母語で好きなように喋っているのです。お互いに言っていることが分からないにも関わらず、二人はとても仲良く時間を共有することができている。
コミュニケーションというと、どうしても言語に頼りがちですが、案外言語と言うのはそこまで重要なものではないのかもしれません。非言語コミュニケーションから与えられる印象の方が強いといったようなことも言われていますし、言語に頼りすぎないコミュニケーションというものを模索・追及していくのもいいかもしれませんね。言語によるやりとりでも、その自分の放った言葉が相手に正確に伝わるとも限らないですし。

子どもたちには「こうでなくちゃいけない」の鋳型がなかった。(中略)そうしたものは、成長するとともに何処からか、誰かからの影響が入ってきて形成されるものであり、小さな子どもにはそんなものはない。あるものを、あるがままに受容する。幼児は禅の心を持つアナキストだ。

引用元:『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』p.166

成長するとともに、誰かからの影響が入ってきて(私が)形成される、というのは構成主義的な考え方ですね。以前紹介したジュディス・バトラーさんの『自分自身を説明すること』という本でも、「私」の中には「他者」が存在している、といったようなことが言われていました。成長するとともに、どんどん私の中に様々な「他者」が入り込んできます。幼児は「私の中の他者」というものが少ないものなのかもしれません。それゆえに、常識から逸脱した発想や、ある種の心の広さを感じられるのかもしれません。「禅の心を持つアナキストだ」と表現するあたりに著者のセンスを感じます。

「表出する」ということと「存在する」ということはまた別物なのだから。

引用元:『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』p.211

短い文章ながら、すごく深いことを言っているような気がします。
問題が存在していても、かならずしもそれが「表出する」とは限らない。だから、表出していないからといって、問題がなくなったと安易に考えてはいけない。表出することと存在することの区別をしっかりしていきたいですね。

まとめ

本書は『一生モノの課題図書』というキャッチコピーがついているのですが、本当にピッタリの表現だなと感じました。多様性を考えるいいきっかけになると思うので、この本の登場人物と一緒に、実際に社会に潜んでいる様々な問題に目を向け、考えていってほしいなと思います。

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