【書評】ぼくらの非モテ研究会『モテないけど生きてます』

今回は2020年9月28日に発売された『モテないけど生きてます』の書評をしていきます。本書では、「非モテ」というキーワードから集まった方々の体験から語られる当事者研究の報告がなされています。恋愛だけでなく家族関係や仕事など射程を広げて自身の悩みを掘り下げていくところが面白く、またとても考えさせられました。タイトルから敬遠される方もいらっしゃるかもしれませんが、個人的には2020年に読んだ本の中で暫定1位にするレベルで素晴らしい内容でしたので、ぜひ皆さんに手に取って読んでいただきたいです。

本書の基本情報

基本情報

タイトル:『モテないけど生きてます -苦悩する男たちの当事者研究-』
編著:ぼくらの非モテ研究会
出版社:青弓社
価格:1,800円+税
ページ数:290p
ISBN:978-4-7872-3476-6

概要(表紙より)

「非モテ」に悩む男たちが「女神」「ポジティブ妄想」「自爆型告白」などのキーワードを軸に、男性学やジェンダーの知見もふまえて自分自身の実態を掘り下げる。
生きる困難や加害/被害の経験と真摯に向き合ってきた当事者たちの報告書。
引用元:『モテないけど生きてます』表紙より

良かったところ・おすすめポイント

非モテ研独自の用語。

非モテ研究会では、活動(語り)の中で様々な用語が生まれてきているようです。「女神」や「先回り奉仕」「不本意出家」などユニークな言葉がたくさん生まれています。個人的には、成績が上がればうまくいくと考えるようになることを指す「『進研ゼミ』の内面化」が面白いと思いました。「非モテ」というワードに当事者性を見出していない方でも、「あ、これ分かる!」と共感できるような用語がいくつかあるのではないでしょうか。
こうやって独自の言葉を作っていくのは良い試みだと思います。このユニークな言葉たちが、語りやすさや仲間意識(メンバー内で「同質性」を感じられる)を生んでいるように思いましたし、また、新たな言葉に所属感を持つことができ、安心感を得られるという側面もあるのではないかと思いました。自分も自身のセクシュアリティに悩んでいたとき、「Xジェンダー」という言葉を知ってほっとした経験があります。今まで性自認には「男」「女」「トランスジェンダー」の三つしかないと思っていたので、他にも色々な性自認を表現する言葉があり、その当事者の方が自分以外にもいるという事実を知ることができたからだと思います。

射程を広げて「非モテ」について深めている。

「非モテ」という悩みを恋愛という観点だけで語っていないところが、ぼくらの非モテ研究会のすごい点だと思います。非モテを恋愛・ジェンダーという視点から語るだけでは、どうしても語りを深めていくことはできません。それは、非モテだけに関わらず、この世に起こっているあらゆる問題は、もっと色んなことが複雑に絡み合って生まれていることが殆どなのです。自身も当事者研究や自助グループなどを通して自分の悩みについて考えていますが、例えば吃音という障害を語る上でも、その困難さはじっくりと深めていくと、家族や経済、あるいはジェンダーの問題と繋がってくるなんてこともあります。この非モテ研究会ではしっかりと射程を広げ、しかしながら個人の語りも大切にするという絶妙なバランス感覚で行われていて、素晴らしいなと感心しました。また、「非モテ」の意味を定義しないことも、良い効果を示しているという点も非常に興味深く思いました。

自身の加害/被害に適度な距離感で丁寧に向き合っている。

「責任」という言葉は、(中略)不本意に執行される事象のように捉えられる傾向にあり、その際加害者は罰される受け身的な存在として位置づけられる。しかし、「責任」は英語では「responsibility」(中略)と訳され、つまり、「責任をとる」とは能動的に被害者に応答していくことを新たしている。

引用元:『モテないけど生きてます』p.213

自身の経験を語る中で、己の加害性に気付くことがあります。しかしながら、非モテ研究会では、加害だからと言って自分や他者を攻め立てるのではなく、じっくりと話を聞き(向き合い)、その加害に至るまでの背景も含めて自身の加害性を受け止めていくというプロセスを取られています。加害をしても、ある側面から見ると被害者である、ということはよくあります。ただ、加害に至る”理由”が存在することに気付いても、自分の加害性が許されるわけではありません。その加害によって苦しめられた人もおり、その傷はなかなか消えないものかもしれません。そこには”責任”も伴ってくるのです。自身の加害性に対して適度な距離感で見つめ、自分の加害性も被害性も認めながらどうやって問題や相手と向き合っていけばいいのかを丁寧に語りの中から見つけていこうとする姿勢がとてもいいなと思いました。

悩みへのアプローチ方法が豊富。

心理学を学び、様々な当事者研究のフィールドワークをされてきた主宰の西井開さんは悩みにもっと深くアプローチできるようにドラマセラピーなど様々な手法を用い、さらに「弱さ」を安心して語れるような工夫も沢山されています。当事者研究や居場所・哲学カフェ等に関心のある方は非常に勉強になると思います。
例えば、ドラマセラピーでは、自分が被害者役を演じることで加害をした相手の痛みに気付いたり、「本当はこういいたかった」というのを実際に演じ、口にすることで囚われから解放される、といった体験が語られていました。

グループが生み出す「温かさ」を身体が知覚したとき、同時に時間が動き出す。罪悪に延々ととどめるまなざしから少しだけ抜け出た空間で、ようやく私たちは本当の意味で自分の問題に向き合うことができる。

引用元:『モテないけど生きてます』p.214

このように「安心して語ることができ、問題としっかり向き合えるようにする」という徹底された姿勢が素晴らしいなと思いました。

[おまけ]自身の性自認について語ってみる

本書の個人研究に少し触発されたので、簡単に自分の性自認について語ろうと思います。

自分の生物学的な性は「男性」です。しかしながら、ホモソーシャル特有の会話についていけないことが多く、また「男らしさ」を求められることに強い抵抗感を覚えていました。そんな中、「Xジェンダー」という性自認があることを知りました。Xジェンダーは男女という枠に属さない性のことを指します。Xジェンダーの中でも、両性(男でも女でもある)、中性(男と女の中間くらい)、無性(男でも女でもない)という分類があり、自分の場合は、Xジェンダーの中でも特に”無性”という立場に所属感を感じました。それは、社会によって作られていった「男らしさ」「女らしさ」を押し付けられることで、自由な生き方を制限されるのがとても嫌だったからだと思います。そのような感じで、Xジェンダーを自認し、周囲にも自身の性自認を「Xジェンダー」だと伝えるようになっていきました。
しかしながら、Xジェンダーを自認しつつも、「男」であることを認めている自分もいました。Xジェンダーの方には、「男」や「女」に性別違和を感じている方もいらっしゃるのですが、自分にはそういう性別違和がないのです。温泉に行けば、男湯に入りますし、お手洗いは男性用に入ります。そういう場面では「男」なんだなと自覚させられつつも、特別嫌悪感を感じることはありません。そう思うと、自分は「男」であることが嫌なわけではなく「男らしさ」を求められることが嫌で「Xジェンダー」を自認しているんだなということに気付かされました。
ここで分かるのは、「男」にも「Xジェンダー」にもグラデーションがあるということ、また、「男らしさ」の要請、内面化が、男性を苦しめているということです。性別だけに限らず、この世には様々な分類がありますが、大抵のものには多少なりともグラデーションがあります。同じ趣味でも、好みの方向や熱量が違ったりしますよね。自分の性自認について改めて考えてみることで、このような気付きを得られました。
あまり中身のない話ですみませんでした。自分語りはこの辺にしておきます笑

まとめ

『モテないけど生きてます』…なんだかすごいタイトルですが、考えさせられることがたくさんありましたし、「非モテ」に真剣に向き合って生きている方々を本書で知り、なんだか温かい気持ちと感動を覚えました。個人的には、第2章-3「パワハラ被害の夢の研究」、第4章「加害と責任」の項は自分と自分事のように感じられる点も多く、過去のことを思い出して辛い気持ちにもなりましたが、読後には温かさが残って、とても良い内容だと思いました。加害と責任に関しては、以前紹介したジュディス・バトラー『自分自身を説明すること』と重なり、感動しました(しかも分かりやすい説明!)。
自分の人生と向き合いながら生きていくうえで、本当に大切なことがたくさん書かれているので、「非モテ」に当事者性をもっている方だけでなく、いろいろな

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