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#58 ニオイの思い出/泖

【往復書簡 #58 のやりとり】
月曜日:及川恵子〈いつでも私は14歳〉
水曜日:泖〈カレー食べたい〉
金曜日:くろさわかな

カレー食べたい

学生時代、わたしは東京の板橋区のアパートに一人暮らしをしておりまして。そのエリアはいまでもとても好きな街です。

わたしが住んでいたところは、駅からアパートの途中にお肉屋さん、餃子屋さん、八百屋さん、スーパー、おかしのまちおか、薬局、焼き鳥屋さん、本屋さんなどが並んでいる、小さいけれど割と活気付いた商店街があるんです。いっちょまえにカルディなんかもありました。なかにはめちゃくちゃおいしいフランス料理とか、フグ料理とか、豚丼のお店とか、インドカレーのお店などなど、「なんでガイドブックに載ってないわけ!? いやもし載ったとして客が増えすぎても困る!」みたいな(個人的に思う)名店がたくさん連なっていました。

それだけのお店が揃っている商店街なので、夕方にはとても”いいニオイ”が漂います。焼き鳥屋さんの前を通るときなんて覚悟が必要なくらい。「くるぞ、くるぞ」と思いながら、あまじょっぱいタレのニオイがムンムン香る前を通り過ぎるのはどっと疲れが増しました。

そして、わたしのアパートは割と住宅街にあったので、夕方になると”これぞ家庭の味”みたいな、煮物やら、揚げ物やらのニオイが胃袋を刺激してくれました。特に、カレーのニオイがしてくる日は倒れそうになりながらアパートに帰ったのを覚えています。

カレー食べたい。カレー食べたい。カレー食べたい。カレー食べたい。カレー食べたい。カレー食べたい。カレー食べたい。カレー食べたい。カレー食べたい。

頭の中はもうこれだけ。
アパートに帰る途中、頭の中では超高速回転で「カレー食べたい作戦」を考えていました。

基本的にお金がないから、レトルトカレーを買うよりも、材料をちゃんと買って自分で作ったほうが安上がりだし栄養もとれるな、と考えるのですが「一から作るのめんどくせぇな」とズボラな自分が顔を出します。

だからと言って、インドカレーのお店に行くのもなんか違う。もっと高くつくし、何よりもいまはインドカレーじゃなくて、家庭で作られたライスカレー?カレーライス?みたいなのがいい。

ちょっと昭和感あるエレガントなお皿に白米とカレールーを半分ずつ。欲を言えば、わたしは辛いのがあまり好きじゃないから甘口と中辛を混ぜたカレールーがいい。あと、具はゴロゴロ大きいほうがいいな。人参はあってもなくてもいい。

わたしは「なんとかして、あの家のカレーを食べられないだろうか」とさまざまな策を練りました。
まずは”あの家”とお近づきにならなきゃいけない。どうすればいいのか。しかし今日から仲良くしようと思ったところで、すぐにカレーを食べられるわけじゃない。しかもめちゃくちゃ嫌なやつだったらどうするの。
「あんたなんかに食べさせるカレーなんかありゃしないよ!」
「はは〜ん、あんたうちのカレーが目当てで近づいてきたわけね」
「カレーが食べたいだと? 全く図々しいやつだね!」
八方塞がりじゃないか。
そう考えたら、ヨネスケって役得だよな。おいしそうなニオイを感じとったら「突撃!隣の晩ごは〜〜〜〜ん!」って言っちゃえば、”あの家”のカレーを食べることなんてなんのその。しゃもじが免罪符になるし。

今日、いますぐ、”あの家”のカレーを食べるには、わたしがヨネスケになるしかない。でも無理だから。それはわかっている。

無駄な妄想を繰り広げ満足したわたしは、帰る足をスーパーへ引き返しおとなしくカレーの材料を買いに行きました。それからやっとアパートに戻り、カレー作り。カレールーを混ぜながら、あぁこれこれ、と見たこともないし味わったこともない”あの家”のカレーを思い出していたのです。

この妄想と遠回りは一度や二度ならず、だいぶ高頻度で行われていました。”あの家”のカレーを求めて何度もルーを作りました。

でも、最近は車移動が多くなったり、夜遅くに帰ることが当たり前になったりして、”あの家”のお夕飯のニオイを嗅いでお腹を空かせることが少なくなりました。住宅やお店が密集している東京で一人暮らしをしていたからこそ、”あの家”のニオイが感じられたし恋しくなれたのかな。
そう思ったら「東京なんて住めたところじゃねぇ!」と言いながら地元に戻ってきましたが、もう一度、東京に、あの板橋に住んでもいいな、と都会の良さも再確認してしまうのです。


追伸。
本当に、本当にカレーが食べたくなってきました。

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