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#77 いかがお過ごしですか?/泖

【往復書簡 #77 のやりとり】
月曜日:及川恵子〈心が死んでいる〉
水曜日:泖〈それでも〉
金曜日:くろさわかな

それでも

ロシア大統領・プーチンらによるウクライナ侵攻が始まってから、1週間が経とうとしています。
このニュースを見た時は正直、やっぱりな、やると思ってたよ、と冷静に思いながらも、呼吸が浅くなるような緊張感と恐怖、心配がまぜこぜになっていました。

先週の金曜日だったかな。
NHKの「ドキュランドへようこそ」という番組をよく見るのですが、その日の特集ではロシアにおいてリベラル派の女性たちが「自由」を求めて闘っている様子を捉えていました。

ロシアがどのような状況にあるか、なんとなくは知っていたけれどこれほどまでに厳しい現状だとは。平気で文書改造や最低発言&政策をする日本政府が少しマシに思えます。マシと言っても許し難いですがね。

侵攻されているウクライナの方はもちろんですが、ロシアにいる反戦派の方々のことも想うと涙がこぼれます。
BBCのインタビューに答えていたロシアのある女性は、泣きながら「ごめんなさい、昨日から涙が止まらないの。こんなことしたくない。ウクライナの人たちに謝りたい」と言うのです。
この無念はどうしたら晴らせるのか。わたしには想像できないほど悔しいだろう、悲しいだろう、怒っているのだろう。
日本国内には「反戦運動なんてしても役に立たない」という心無い声もたくさんあるそうですが、絶対にそんなことはない。たとえ無駄に終わったとしても、意思表示をすること自体に意味があると思います。今こそ、国際社会がどうあるべきかが問われているような気もします。

一方で、日本では安倍元首相や維新系が「核共有政策の議論を急げ」などとほざいています。岸田首相が完全に否定してくれて(当然のことなのですが)とても安心したし、この時代に安倍が首相じゃなくて良かったと二重の意味で安心しました。

ただ、同時にこうも思うのです。
今日においてロシアのウクライナ侵攻に限らず、これまで、ずっと、ずっと、ずっと、世界中のどこかでは戦闘機の轟音に怯えていたり、明日生きられるかどうかにさえ怯えていたりしている市民はたくさんいる。
世界中ではたくさんの戦争、内戦、紛争が起こっているんだよな、と。
ミャンマーでは子どもや大人に関わらず無抵抗の市民が軍に虐殺されているし、パレスチナでもいまだに安心して夜を越せない人たちはたくさんいるでしょう。隣の朝鮮半島でさえ停戦中なだけで、戦争をしていることには変わりない。争いの問題に関係なく食糧不足や人身売買の被害、さまざまな差別・貧困などが影響して、世界には「人間らしく」暮らせていない人はたくさんいるんです。
難民問題もより一層気になります。今回の侵攻でさらに多くの難民が増える恐れがあるので、こんな世の中じゃ本当にポイズンだと思います。
仕方のないことだけど、今回ウクライナ侵攻に関わる報道が集中するとさまざまな問題について多くの人から目を背けられてしまいそうで、そして忘れられてしまいそうで心配になります。

いとうせいこうさんの著書『ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く』には、あるパレスチナ人からの取材内容として、こんなことが書かれていました。

P.95
パレスチナの民は平和を求めているだけなんだ。自分たちの国にいて、自分たちの自由が欲しい。それだけだよ。どうかガザの外にいる人々に伝えて欲しいんだ。平和のために抗議をしてなぜ撃たれなければならないのか。少しの時間でいいから、どうかどうかガザに生きている私たちのことを考えてください。
「お願いします。そう伝えてくれませんか」
ヤセルさんの目には涙が浮かんでいるように見えた。
俺は胸の詰まる思いで、彼の目の見て答えた。
「必ず日本へ帰ってお話を伝えますから」

ゆえに、知らなければならない。できる限り、考えなければならない。それがわたしの義務だと思っています。
だからドキュメンタリー作品はなるべく見るようにしているし、ルポルタージュやノンフィクションもたくさん読みたいんです。

なぜわたしたちには対話が必要なのか。人が武器の保有、武力の行使ではなく対話を重んじる世界にするにはどうすれば良いのか。すべての問題の背景には対話だけで解決できない複雑さがあるのも知っています。でも人を傷つける必要はないし、暮らしや幸せを奪っていいはずがない。対話に特化したメディアを作ろうとしている我々にとっては、永遠のテーマなのではないかとも思うのです。

わたしは毎日こんなことを考えて生活しているので、こんな言い方はナンセンスかもしれませんが、世界の悲しさと悔しさと怒りとともに暮らすのは慣れています。むしろ、こうした社会の不条理や疑問と表現で闘うためにわたしは生まれてきたんだと勝手に使命感すら抱いています。

慣れていると言っても、毎日毎日「ここの地域では……」と考えているのでとても辛いです。1日のうち最低1時間は、しんどいです。世界中の悲しみ・悔しさ・怒りと向き合うのはすごくきつい。情報から意図的に離れるのも、感情のある人間としては必要な時間です。

自分の中で感情が処理しきれなくなったら、とにかく寝ます。作品を創ります。好きな音楽を聴きます。ラジオを聴きます。散歩をします。ドライブに出かけます。Netflixを見ます。YouTubeでコント&漫才を見ます(圧倒的に中川家とバナナマンが多い)。絵本やエッセイを読みます。飼い猫たちにちょっかいを出します。映画館に出かけます。好きな服を着て友達とたくさん遊びます。友達にLINEします。

これでオッケー。

特にここ最近はNetflixを見たり、ドライブに出かけたり、映画館に行ったり、YouTubeで好きなアーティストのライブを見たりしていました。
あとは、仕事をしている横で飼い猫たちが気持ちよさそうに寝ているの見て「これぞ平和!」と世界情勢に結びつけてみたくなったり。

感情の処理が済んだらまた国内外に思いを馳せるわたしです。
辛くても、きつくても、しんどくなっても、それでもわたしは知ることをやめたくないです。

NO WAR, PLEASE!

追伸。
今日は、今朝ツイッターで流れてきた動画が忘れられず、何回か気が逸れました。


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