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【第4回】 すぐ死にたくないのに、死後を考えるのが楽しいと思ってしまうことに矛盾を感じている

第4回 お悩みリスナー: 佐藤 克宏さん/公務員 

(お手伝い:さとう たいち さん)

〈お悩み資料室〉とは?
泖(りゅう)の「お悩み」をお手伝い1名と共に、様々なジャンルの方に直接聞いてもらいます。お悩みは「当日まで内緒」or「事前に公開」を選べます。他者はわたしの悩みや迷いをどんな風に捉え、どんな角度で思考するのか。または、思考しているのか。一緒に考え、あれこれと想像を膨らませます。たぶんお悩みは解決しません。代わりに、きっとなにかが優しくなるでしょう。どうか温かく見守ってください。

※2019年4月20日に公開されたものです

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(左:佐藤 克宏さん 右:りゅう)

りゅう:宅飲み形式・後編、第4回〈お悩み資料室〉です! 今回のお悩みリスナーは佐藤克宏さんです。前回も紹介しましたが、わたしの実兄でございます。

克宏:どうも~。

りゅう:克宏さんもお悩みは「当日まで内緒」ということでしたので、いまから発表させていただきます。

克宏:はい。

りゅう:今回のわたしのお悩みは ”すぐ死にたくないのに、死後を考えるのが楽しいと思ってしまうことに矛盾を感じている” です!

たいち:難しい。あ、俺じゃないわ!

りゅう&克宏:(笑)

りゅう:いますぐに死にたいってわけじゃないんだけど、自分が死んだ後のことを考えるのがすごく楽しいんだよね。そこに個人的に矛盾を感じていて。なんというか、”気持ち悪さ” があるんですよ。死ぬことを考えるのはこんなに楽しいのに、どうしてわたしは死にたくないんだろうって。その矛盾を感じてしまうことに悩んでます。わたしと克宏さんは親族だからかもしれないけど、ここ何年か年末になると、死について話すようになったよね。

克宏:うん。確かにそうだね。

りゅう:去年の年末も車に乗りながら、尊厳死とか安楽死の話したじゃん。お葬式のこととか。そういうの考えるのもすごく楽しいのね。別に、早く死にたいわけじゃないのに。あと、自分の死に方についても悩んでて。たとえば、昔の文豪とかになると辞世の句とか詠むじゃない。「わたしも辞世の句とか詠んで、かっこよく死にたいなぁ」とか色々考えるんだけど。みんなは死に対してどう考えていて、どういう死に方を考えてるのかな~っていうのを聞いてみたいと思ったんだよね。

克宏:死、ねぇ。死にたくないよね。

りゅう:年末に、死について話したときにさ。ホルマリン漬けなのかよく分からないけど……。人間としての姿を留めずに、脳とか細胞だけを保存して自分が生きていることにするっていう技術が進んだとして、そこまでして生きたくはないって言ってたよね。

克宏:あるね、それはある。

りゅう:どうなったら安楽死を選択したいと思う?

克宏:自分で自分のことができなくなったら、死にたい。

りゅう:自分のことができなくなるっていうのは、食べることも、排泄することもできないってことだよね。

克宏:そういうことだね。もう、生き恥を晒したくない……。だから、綺麗に死にたい。人間としての機能を終えたときに死にたいよね。

たいち:自分の死んだ後に、業績とか、自分の生きた証を残したいっていう、そういう死亡名誉欲みたいなのはないの?

りゅう:う~ん。いまのところないね。

たいち:あ、ないんだ!

克宏:俺はめちゃくちゃあるけどね。なんか、忘れないでほしい。佐藤克宏、忘れないでほしい!!

一同:(笑)

たいち:でも、なんか、分かるよ。

克宏:やっぱり、忘れられた時に死ぬと言っても過言ではないじゃないですか。

りゅう:そういう意味での「死」もあるよね~。

たいち:それじゃあ実際に生きてても、人によっては「死んでる」と思われてる奴もいるだろうからね。なにが「死」なんだろうね。自分で自分を認識できなくなったら「死」なのか。それとも、完璧に自分を再現できる技術ができて、自分のbotが、自分と変わらない役割を果たすことができたら……。自分の姿とか意識はないのに他人からは自分が死んだと思われなければ、自分は生きていることに等しいのか。

りゅう:なるほど。わたしは、自分でものを考えられなくなって意思を発言できなくなったり、考えること自体を放棄してしまったら、人間としては「死」だと思う。わたしがそうなったら、もう、ひと思いに殺してほしい。

克宏&たいち:(笑)。

たいち:俺も最近、死について結構考えててさ。死が不幸って捉えられるのに違和感があるんだよね。みんな、死ぬことは決まってるのに「死は不幸」っていう価値観で考えたら、みんなが不幸に向かって生きてることになるじゃん。だから、死を肯定的に考えられないのかなっていうのは思ってた。

克宏:でも、通夜ってあるでしょ? 通夜の後に、みんなで死んだ人と泊まって一緒に過ごす時間もあったりするじゃん。そういうのって死を肯定的に捉えてることと同じなんじゃないかな。

りゅう:ばあちゃんのお通夜の時を思い出してみて。克宏さん、マリカーしてたじゃん。

たいち:退屈だったんでしょ(笑)?

克宏:そりゃ退屈ですよ。

りゅう:死者ないがしろですよ。

克宏&たいち:(笑)

りゅう:「死者も含めてハッピー!」ってないのかな。

克宏:でも死んでるから! 一緒にハッピーなんてできないでしょ。

りゅう:だって克宏さんは自分のことを忘れないでほしいんでしょ? 自分を差し置いた横で、みんながマリカーで盛り上がってたらどう思う?

克宏:マリカーしてても思い出してくれればいい。

りゅう:お通夜の時、マリカーしながらばあちゃんのこと思い出した?

克宏:いや~、思いだ………。

りゅう&たいち:(笑)

克宏:でも思い出す瞬間はあるじゃん! その瞬間を俺は作らなくちゃいけないのかなって。ふとした瞬間に「あ、克宏生きてたな~」とかね。たとえば、誰かが車を走らせてて、八幡神社の前(※克宏さんは宮城県角田市・八幡神社で開催される音楽イベントの実行委員です)を通った時に「あ、克宏……」って。そういう思い出し方! だから、生きた証を残すってそういうことなのかなって思うんだけど。そういうのがないから悩んでるの?

りゅう:というか、矛盾を感じてるのに悩んでる。なんでわたしは死に対してこんなに拒否反応があるんだろうって。死後のことを考えるのは楽しいのに、死ぬのは嫌って矛盾してない?

克宏:う~ん。というか、死っていうのを日々あんまり意識しないかも。

たいち:そう? 俺は意識してるわ。死ぬって思うとなんでもできそうな気になる。死が原動力になる、というか。

克宏:それはもちろんあるよ。大学を卒業して就職することを「死」に例えるとさ、学生のみんなは「卒業旅行とか、一人旅とか、学生最後に何かやんなきゃ!」って思うわけじゃん。デッド ハイテンションみたいな。デッド ハイ。デッド オア ハイ。

一同:(笑)

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克宏:そもそも「死後を考えることが楽しい」ってことと「死ぬのは嫌」ってことは矛盾してないんじゃないの?

りゅう:そうなのかなぁ。一応世間では、死は不謹慎なものって捉えられていると思うんだけど「死ぬことを考えるのは楽しい」って思うときに、気持ちのバランスが取れないんだよね。

克宏:死にたくないのは至極当然だし。死に方とか、自分が死んだ後の人たちがどうなってるのかって考えるのが楽しい気持ちも分かんなくもないし。考えるのは、別に楽しくてもいいんじゃないの? 死ぬのは嫌だけど「死」を考えるのは自由じゃん。矛盾してなくない?

りゅう:矛盾してないのかぁ。

克宏:うん、矛盾してないと思うよ。たとえば、二日酔いの時って、お酒なんて飲みたくなくなるじゃん。でも、そうなっても酒飲んでるのを想像するのは楽しいって思う人もいるんじゃないの?

りゅう:あっ! そういうこと!?

克宏:だって、二日酔いになっても、酒飲むし。ってことは、死にたくなくても、死ぬし。

りゅう:たしかに。なにこれ。悩みじゃないじゃん。

克宏:うん。悩みじゃないよ。

一同:(笑)

りゅう:悩みじゃなかった! 死を重く受け止めすぎたのかもしれない。

克宏:だから、意識しすぎてるんじゃない?

りゅう:なるほどね~。なんか、謎が解けた気がする。

克宏:よかったね。松本人志の『ドキュメンタル』観たんだけど、ずんの飯尾さんが言ってたよ。「悩んだら、ちゃんぽん食え」って。

一同:(笑)

りゅう:あの番組、かなり実験的だよね。「笑い」ってものに対して。故意の「笑い」で笑っちゃうこともあるけど、結構どうでもいい日常のことがツボに入ったりとか。

克宏:死ぬのも結構笑えたりするしね。笑えないのが笑えたりするじゃん。

りゅう:たしかにね。死に対して意識しすぎました。

克宏:しすぎてるね。矛盾してないし、なにも。っていうか、悩みじゃねーし。

りゅう:すみません……。でも、悩んでたんだけどな~。自分の死に方とかも含めてね。自分の死に際に誰がいるか、どこにいるかも、不透明じゃないですか。

克宏:どうやって死んだらいいのかな~って悩む気持ちは分かる。けど、「死ぬのが嫌だって気持ち」と「死後どうなってるか考えるのが楽しい」は、別に矛盾はしてない!

りゅう:たしかに! 私の悩みは「死に方」でした! 思考が整理された気がする。こりゃお悩みクリーニングですね!

一同:(笑)

たいち:死に方について悩んでるなら、前回のアンサーと同じだよ。

りゅう:戦って? 文化を作る?

克宏:感謝も忘れずに(笑)。

一同:(笑)

克宏:そこに行き着くね。自分の葬式は、当たり前だけど生きてるうちに自分じゃ経験できないし。どう死ぬかって考えれば、もしかしたら、戦って、戦って、戦って、疲れて……。でも「本当にありがとう」っつって。やっぱりなにか文化を作って死ぬのがいいんじゃない?

りゅう:それ、相当徳高くない?

一同:(笑)

りゅう:戦って、戦って……。「ありがとう」って言って死ぬのかぁ。辞世の句、これで決まりですよ!「戦って 戦って戦って ありがとう」。

一同:(笑)

克宏:しょうもねぇな!なんの色気もねぇ句だな!

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りゅう:死ぬ時で言ったら、やっぱりわたしは”ピンピンコロリ”で死にたい。

克宏:俺はやりたいことをやり尽くして死にたいね。「疲れたな~!」っつって。やり尽くしても、どうせ後悔はするんでしょうけど!

たいち:俺は死ぬと思って死にたくないかな。気がついたら、っていうのがいい。

克宏:うそっ!? 俺は自分で死を宣言してから死にたい。「俺、死にまーす」って。みんなに「どうもなぃ、どうもなぃ(※ありがとうね、ありがとうね)」って言ってから死にたい。

たいち:それすごいね……。

りゅう:”死の自己決定”って意味で、自分の死ぬ日を自分で決めて、あえて自殺する作家さんはいたよ。入水自殺。最近でもないけど、つい2~3年前とかかな。

克宏:でも自殺は嫌なのよ。苦しいし。できないし。

りゅう:痛いのも嫌だよねぇ……。そうすると?

克宏:安楽死なのよ。

りゅう:なるほどね。安楽死のタイミングも、ちゃんと前もって言ってくれれば対応しますよ。

克宏:うんうん。言う言う。いろいろ死ぬ準備の段取りしながら。”死ぬパーティー” とかね。

りゅう:”死ぬパ” ?

たいち:”死ぬパ” いいね~!!! 死にそうな時って最後はやっぱりみんなの顔見たいと思うだろうし!「やべぇ。俺、そろそろ死にそう。よし、”死ぬパ” やろう」って感じだよね。

克宏:「自分で何もできなくなったし、たらふく酒飲ましてくれ!」ってね。

たいち:そうだよね。死ぬんだから、どうせ。たとえば末期ガンとかになっちゃって、もう手の施しようがないってなったら ”死ぬパ” 開きたい。

克宏:DJも呼んじゃってさ。ドンツカ♪ ドンツカ♪ ドンツカ♪ ドンツカ♪ 「……痛ててて!」みたいな。

一同:(笑)

たいち:死ぬ奴に、みんなで「モルヒネ投入~!」みたいな。

克宏:鎮痛剤ね! 必要だわ!

りゅう:”死ぬパ” に看護師と医師とか呼ぶ?

克宏:もちろん看護師も医者も一緒に!ドンツカ♪ ドンツカ♪ ドンツカ♪ ドンツカ♪ って!

たいち:医者の管理の下「モルヒネ投入~!」とかね。

りゅう:ケーキ入刀みたい!

克宏:なんかさ、テキーラを「カッ」て飲むみたいに、モルヒネも「カッ」って飲めばいいんじゃない?

りゅう:もっとパーティー感でるね!

たいち:”死ぬパ” を開いたあとに葬式やったら、みんな「クスっ…」て笑っちゃうよね。

克宏:「あんなにドンツカやってたのに……」ってね。

一同:(笑)

たいち:「分かってたけどさ……」みたいな。

一同:(笑)

克宏:「そりゃ死ぬわ。あんだけモルヒネ飲んだら……」っつって。「でも、楽しそうだったよ……」っつって。

たいち:「たぶん……」っつって。これは、死を良きものにできるね。

りゅう:ほんとだね! かなりポジティブですよ。

克宏:もしかしたら、すごく泣けるかもしれないし。「パーティー終わっちゃった……」って。

りゅう:”死ぬパ” は、1週間前の方がいいのかな?

克宏:”死ねパ” じゃないの、”死ぬパ” なの。

りゅう:”死ねパ” はひどい……(笑)。催す側に悪意を感じる。

克宏:まぁ、でも死に方っていう面で言うとさ。楽しく死にたいのか、誰にも知られずにひっそりと死にたいのか、どういう死に方をしたいのかにもよるじゃないですか。

りゅう:わたしは ”死ぬパ” を開いて楽しく死にたいかな~。

克宏:家で死ぬか、病院で死ぬかっていう話もあるじゃないですか。家だと迷惑かけちゃうから、家じゃないとこで俺は死にたいのよ。

りゅう:いや、家で死ぬ選択を取ってしまえばご遺体を運ぶ必要はなくなるよ。

克宏:あぁ~。たしかにね。

りゅう:病院から直送せずに済みますよ。

克宏:その場で線香あげられる!

りゅう:「ご臨終です。」「承知しました、とりあえず線香!」ってね。そして、すぐご飯に箸をグサッと刺して……。

克宏:花を飾って……。

りゅう:はい、オッケー。

克宏:すぐ葬式っぽくはなるね。効率的。

りゅう:やっぱり家で死のうかなぁ。

克宏:あぁ。家でドンツカ?

りゅう:そうだね(笑)。広い家に住まなきゃね~。

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たいち:”死ぬパ” が葬式になってもいいし、そこから火葬場まで直送してもらってもいいよね。だって、本人が楽しかったんだもん。

克宏:そうだね。そのまま火葬場っていいね。死臭を抑えるために線香の香りで誤魔化してるところはあるから、線香もいらないしエコ! でも簡略化しすぎると、前回にあった話の「文化を作る」ってことに相反してくるな……。

りゅう:そうだね。

克宏:文化を残すためには、めんどくせぇ流れもやってもらってもいいかな~。なんか、あの、墓場に位牌とか、写真とかを中央に置いて3回まわる、とかさ。なんなら、”死ぬパ” でやってもいいし!

一同:(笑)

たいち:先に位牌とか戒名もできてんのね。

克宏:そうそう。死ぬ側が「俺も自分の葬式してぇし、お前らだけで葬式するのずりぃから!」っつって(笑)。だから、死ぬ奴が位牌を持って、その周りを来場者が3回まわって……。まわりながら、死ぬ奴と来場者がハイタッチしていくとかね。「イエーイ!(パチンっ!)イエーイ!(パチンっ!)」って。そんで ”死ぬパ” が終わったら、みんなで家から墓場まで歩いたりして。「俺死ぬのか~」「お前死ぬのか~」って。

りゅう:自分も一緒について行くのね。

克宏:「死ぬんだな、俺。やっぱ嫌だな~。いや、でもしょうがねぇか!」っつって。

りゅう:平和~!

克宏:そういう死に方もアリなんじゃないかな。楽しくない?

りゅう:わかった。ここの3人は、全員 ”死ぬパ” を開きましょう。

克宏:意識がある中で死にたいっていうのはあるね。

りゅう:難しいね~。やっぱり ”死ぬパ” か。

克宏&たいち:”死ぬパ” だね~。

たいち:でも、人生を終える時、”死ぬパ” を開けるモチベーションでありたいね。でも、たぶんそうは言っても「怖いな~」とか思うんだろうね。

りゅう&克宏:思うんだろうね……。

たいち:”死ぬパ” を開けるモチベーションでいるために、毎日がんばりたいね。

りゅう:じゃあ今回の結論としては、本当にわたしが悩んでいたのは死に方である、と。

克宏:そうそうそう。

りゅう:いまの段階でのベストな死に方は、自分が死ぬと分かったら ”死ぬパ” を開く、ということですね。そして ”死ぬパ” を開くモチベーションであるために、毎日がんばって生きていこうってことかな。

克宏&たいち:それがいいんじゃないかな。

りゅう:ありがとうございました……。”死ぬパ” 開きましょう。

克宏:はいどうも。ありがとうございます。

たいち:ありがとうございました。

克宏:今度から本当に悩んでいることを相談するように!

りゅう:はい。出直します。

一同:(笑)


~おまけの話~

第3&4回〈お悩み資料室〉終了後、近所の居酒屋にいたおじさん2人組がお酒とおつまみを持って現れました。

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「郷土愛」や「死」についての、可笑しくも実りのありそうな妄想がまた始まったとさ。

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わたしは途中で寝ましたが、みんなは深夜にハンバートハンバートを黙って聴いて、ジ〜ンとしていたそうです。

-終-


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