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#82 大嫌いな人との学校生活/泖

【往復書簡 #82 のやりとり】
金曜日(4/15):くろさわかな〈アドバイスへのアドバイスをください〉
月曜日(4/18):及川恵子〈「そんな日々もあったねと笑える日が来るだろう」とは言いたくない〉
水曜日(4/20):泖〈心の畑を耕せ〉

心の畑を耕せ

小中学生時代の学校生活って、かなり特殊ですよね。誰か一人や、グループ一つに自分の存在を否定されるだけで、ほんとうにこの世から消えてしまいたいと思う。

当時そんなことは日常茶飯事で、耐えきれないことがあった日の学校帰りは部屋を真っ暗にしてベッドに突っ伏していた記憶が蘇ってきました。

及川さんのおっしゃる通り、わたしも目の前に悩んでいる子どもたちがいたら「いつかどうにかなるよ!」「友達は他にもいるよ!」「もっと別の世界があるよ!」なんて考えなしに言いたくないです。

くろさわさんのご相談については、及川さんの

私は、「どうしたい?」と聞いてあげたいなあと思いました。
あなたは今の状況からどうしたいのかなって。
そこで「話を聞いてほしい」とか「味方になってほしい」とか「寄り添ってほしい」みたいなことであれば全力ではちゃめちゃに支えるし、もしお友達のサポートが必要なら手伝ってもらうとかできないかな…と画策できるかもしれない。
そこから、新しく明るい道が見つからないかと一緒に探してあげたいなと思いました。

がベストアンサーだと思いました。むしろわたしも救われました。さらに、及川さんのnoteにコメントしたくろさわさんの

及川さんの言うように「どうしたいか」ということを考え抜いて、そこから「どうなったらいいか」をしっかり自分の中でもっていればいいのかもしれない…と、なんだか道が見えてきました。
「わたしはあのひとを無視している。それによって相手を傷つけているけど、今はそうせざるを得ない。なぜならそうしないと自分の心が壊れるから。心が壊れないと思えるようになったら、無視はやめる」というように。
「相手を嫌な気分にさせたいから無視している」のなら、一刻もはやくやめさせるべきですもんね。

というお言葉にも深く頷きました。実際に、わたしも避けていた人がいたけれど「もうこの人と話しても自分の心が荒れることはない」と思い、フラットに接することができました。関係性を築くのに、時間がかなり必要なことはありますよね。

すでにベストなアドバイスは出尽くしているのかなと思ったので、わたしは最近のコミュニケーションについて考えていることを書きます。

たしかに無視はよくない。
でも、大人の世界でもそうせざるを得ないときがある。自分が傷ついているときは特に。わたしはいまも嫌いな人がいれば、一切関わらないようにしています。
自分の心がすり減って、傷ついていくだけだから。
あと、わたしは嫌いな人に本心を隠して仲の良い感じを出すのが苦手です。はりぼてのような空間が、どうも体が受け付けないのです。

わたしが嫌いになる人は、感謝・謝罪ができない人、わけもなく攻撃的な言葉を使ってくる人、差別意識がある人なのですが、最近は「相手をイジる」コミュニケーション方法について考えているんです。

「イジる」って、社会ではすべて「じゃれあい」と見なされているんじゃないかと思うときがあって。
テレビのバラエティ番組から影響したものかもしれませんが、お互いの信頼関係がまだ十分に築かれないまま相手を小馬鹿にしてくるような神経が嫌いです。
関係性が浅いときって、お互いの共通点などを探りながら相手のことを知ろうとするのが基本じゃないですか。
でもイジるコミュニケーションをしてくる人って、心のドアをノックしないまま、こちらの心の畑をグジャグジャと荒らしていく。
「イジる」は乱暴で、雑で、マッチョなコミュニケーション方法だと思うんです。
中学時代はこのコミュニケーションにかなり悩んでいたのですが、現在もこの問題は考え続けています。

「イジる」っていう言葉があると、そのコミュニケーションを実践した当人も、その周りも相手を馬鹿にするのが良しとされる風潮がある。
こちらがイジられたことが嫌だと思っていても、イジった当人や、それを良しとした相手からすると「なに本気になってんの?」「冗談じゃん」とも言われる。
そんなコミュニケーションしてくる人とこちらは仲良くできないから避けていると、最後は「めんどくせぇ」と言われてしまう。

相手からしたら小さなことかもしれないけれど、イジられたほうは相手の言動で深く傷つくのです。そこに事の大小なんて関係ない。だって、こちらはしっかり傷ついているから。自分がされたくない言動をしてくる相手に「もうやめて」と言っても直らない場合は、もうその先にリスペクトはないので避けていいと思います。

綾小路きみまろさんと毒蝮三太夫さんが市民から愛されているのは、関係性の中に愛と信頼がきちんとあるからだと思うんです。でも愛と信頼を築くことを無視して、自分本位でいきなりイジるコミュニケーションをするのはダサすぎる。そして、そのイジるコミュニケーションをする人が「社交的」「コミュニケーション能力が高い」と自認するのも、周りが判断するのもダサすぎる。コミュニケーションなめんなよ、と言いたい。

人とコミュニケーションをとるときは、お互いにきちんと心の畑を耕してほしい。コミュニケーションて「こうすればいい」みたいなのはなくて、相手の気持ちを想像しながら柔軟に向き合わなければならないものだと思います。

そうすれば、相手を無視するまでに至ることは少なくなるのではないかと。わたしは人と関わるのが好きなので、できれば誰も避けたくないし、みんなで笑い合って、助け合って生きていきたいです。

とはいえ、わたしもそれが十分にできているわけではないし、きっと今まで相手に嫌な思いをさせてしまったこともあるでしょう。相手に嫌な思いをさせてしまったときは、きちんと謝ってゆっくりと関係性を築いていきたいです。

相手ときちんと向き合えるようになるまで、自分の心が壊れないと思えるようになるまで、相手を避けるのも非言語コミュニケーションの一つなのではとも感じるのですがどうなんでしょうね。

アドバイスのアドバイスにもなっておらず、何言ってんだ、って感じですね。
すみません。
今日のところはこれでご勘弁ください。


追伸。
サイゼのフレンチトーストがめちゃくちゃおいしかったです。

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