泣いてもいいんだと思えた日 52ヘルツのクジラたちを見て

ここから先は映画のネタバレになりますのでお気をつけください。

昨日、気になっていた映画52ヘルツのくじらたちを見に行った。

以前、知り合いに原作の小説を勧められて読んだことがあった。

それを読んだ時、「最近の流れだと、この小説も近々映画化するんだろうな…。……見たくないな」。そう思った。

トランスジェンダー男性の描かれ方や差別的な言葉がかなり自分としてはきつく感じたし、一部リアルには感じられない描写があった。何よりこれが映画化されるときはどうせマジョリティーの人向けにつくられる映画になるだとうと思ったからだ。そして、あまりトランスジェンダー男性の内面が語られる場面がなく、むしろ誤解や偏見を助長してしまうのではないかと思ったからだ。

しかし、映画に僕の知っている若林佑真さんが監修に入られていること、俳優陣のインタビューで語られる思いなどを見て、上記に書いた懸念を払しょくしようとされていたことを知り、ぜひ見たいと思った。

日本映画でトランスジェンダーが出てくる作品で、しかも有名俳優が起用される映画でここまでしっかりと表現に注意が払われている作品を僕の中では見たことがなかったので、これなら安心して見れそうだ、と思った。

実際に見てみて、思った通り違和感を覚えたり、不快に感じたりする表現が全くなかった。原作の気になっていた表現も、いい方向に改訂されていて、とてもよかった。しかし、僕が一番驚いたのは、原作にない表現が出てきたことだ。そして、それは海外映画で見たことはあっても、今まで日本の映画で見たことがない表現だった。

そのシーンとは、志尊淳さん演じるアンさんが、主人公の恋人から母親へ自分のセクシャリティをアウティングされた時の反応だった。アンさんは、これまでやっとの思いで苦しい状況から抜け出してきたにも関わらずそこに引き戻された。自分の性別と異なる性別で24時間、何十年も扱われ続ける死にそうな苦しさ。

そこからやっと、やっと抜け出したのに、すべてを壊された。

今まで見てきた日本映画やドラマでは、主人公はそこでじっと耐える。

しかし、この映画は違った。

アンさんは、悲しみと苦しみのあまり慟哭をあげる。

アメリカの映画「three generation」のレイのように。

その時、僕の心が少しだけ解放された気がした。

ああ、泣いていいんだ、そうだよな、俺はこれだけ苦しいよな。

同じ日本人のトランスジェンダー男性が泣き叫んでいるのを見てそう思えた。

僕は、苦しんでいた約25年間、一度も泣くことはなかった。できなかった。

カミングアウトしてからも、どれだけ苦しくても、社会人である以上平静を保って生きなければならない。そして、周囲の人は僕がどれだけ苦しいかなど理解してくれるはずもない。泣き叫んだって、きっと「そんなに苦しいもんか?」と思われるだけだろう。

しんどい、しんどい、しんどい。泣きたい。泣きたい。泣きたい。

時々どうしようもなくそんな感情に襲われる。

男体を持たないことの苦しさに追い詰められた時、病院で身体のことを指して「女性」「女性」と言われた時に、言い返せないくやしさ、悲しさ。そして、こんなに生きるのが大変でも国からは身体に対しても心のケアに対しても(ほぼ)一切補助はない。それがどれだけ大変か周りからは見えない。

そんなことが積りに積もった時、本当に泣き叫びたくなる。

だけど、今の現実は僕にそれを許してくれない。日本の社会は、まだトランスジェンダーの苦しさが軽視されていると感じる。こんなことを言ったら甘ったれと思われるかもしれないが、何十年も生きてきてそう感じる。自殺率が非当事者の10倍ともいわれるのに、ここまでケアがなくほぼすべて自力(もちろん会社や社会が助けてくれている部分があるのは百も承知である。しかし、動き出すのはすべて自分でやるしかない。たとえそれが4歳の子供であっても)でなんとかするしかない状況はどう考えても酷である。

だから、おちおち泣いてもいられない。僕らは、そんな苦痛があっても非当事者と同じように生きていくことを求められる。もちろん、トランスジェンダーよりもっと別の意味で苦しさや困難さを抱えて生きていらっしゃる方々や非当事者でも大変な思いをして生きている人がいるのは知っているが、ここではトランスジェンダーの苦悩のみに焦点を当てたいと思う。

でも、この映画の中でアンさんが泣き叫んでいるのを見て、僕はこれぐらいキツい状況に置かれているんだ、泣いてもいいんだ、そう思わせてもらえた。それだけで、僕にはこの映画を見る価値があった。数十年生きてきた甲斐があった。生きているうちにこんな当事者に寄り添ってくれる日本映画を見られると思っていなかった。

志尊淳さん、そしてこの映画に携わってくれたすべての人々に、感謝申し上げたい。そして、あの時僕に原作を勧めてくれた知人にも感謝したい。そして、いつも非当事者をひがんでいる僕を支えてくれている周囲の非当事者の方々にもお礼を言いたい。

いつか、今感じている息苦しさが和らぐ日まで、あともう少し希望をもって頑張りたい。