見出し画像

おぼろ月夜(小説)

今は「アタシ」だ、本当の人格だ。三姉妹のように、長女の「アタシ」と、次女のアタシと、末っ子の沙里で、役割分担がある。

ご飯を食べてからアタシと家を出た。高校は夕方始まって九時に終わるので、一人は危ない。途中途中に自販機がある。いつもの人が、いつもタイミング良く、ちょうどガタンゴトンと飲み物を買っている、らしい。

(ねえ、あの人またこっち見てるよ)

「もういちいちさあ、言う必要ある訳?」

沙里は、カラの自販機に軽くお辞儀した。

(ふうん。またそんなこと言うんだ)

アタシの感覚神経はよく伸びる。思っていても言う程でもない本心みたいな部分を、沙里の身体中から探してきて、頭に響かせる。

「井上沙里、さんだね」

「ああっ、はい」

「進路は?どう、決まった?」

この子、まだ進路未定なのか?

もうすぐ次の自販機だ。

「ああ、い、いやあ、分かりません」

「そうかそうか、良いんだ良いんだ。それぞれペースってのがある。就職は、どうだ?」

「シュショク」

「そう、就職だ」

「ご飯」

「んっ?」

「ご飯です」

「ご飯?」

「ご飯、っていうのは」

土と草の匂いが鼻の奥を突っついた。

「ああ!ご飯屋さん、ってことか。良いじゃないか。ちゃんと、決めてんだな」

「ああ、い、い、いやあ」

「じゃあ今日は、もう、帰ってよし」

どの街灯も頼りない。

「あのさあ、沙里に何か隠してるでしょ?」

沙里はベンチに座っている。

虫を手で追い払いながら、アタシに聞く。

(はあ?また妄想?考え過ぎだって)

「遺伝でしょ」

(そんなの考えるのも嫌。あんな人の遺伝なんかさあ。おばさんなったら太る訳?)

「ああ、遺伝は少しだけかもね?でもさ、教えてくれる?分かりやすく。沙里は色々処理に時間掛かる訳、もう嫌って程。一枚ずつ頭の皮剥がしてかないと、無理」

(面倒面倒、やめよやめよ、キリないから)

「え?スネてる訳?どうせさあ、アタシが考えてることって薄っぺらでしょ?頭の皮は一枚ずつ剝がさなきゃ。いつも二枚も三枚も一気に剥がすんだから。どう考えてるか分かんないと不安とか、先が見えないの嫌いだって知ってるでしょ?」

(いやいやいや、つまり?)

「文句とかいいからさ、喧嘩売ってる訳でもなくてさ、とにかく丁寧にってだけだよ?頭の皮は、一枚ずつ剥がすんだからね?」

(頭の皮なんてさあ、一枚しかないじゃん)

「どうせ鼻ほじってんでしょ?それが間違いな訳。欲しいのは答え。これっぽっちでも」

(ほじってないし)

「今まで一緒に生きてきたじゃん?でも、一つでも、これって答えあった?いつも不完全燃焼じゃん。変な症状出るからさ。だからこそ諦めてた訳。気持ち分かる?いっつも答え出そうなとこで余計なこと言ってさ」

(はいはいまた来た。いい加減怒るよ?だったらさ、こっちがさ、死んでやって良いよ?そんなんでさ、やり返してるつもり?)

「アタシが隠してるからじゃん。構ってやってんじゃん?仮に隠しごととかなくても、ほら、構って欲しいんでしょどうせ。

ほらほらほら、怖いでしょ?死ぬって怖いの。丁寧じゃなくても良いからさ、分かるように隠してること教えて?意味分かる?

つまりさ、誰かに殺されるより自分で死ぬ方がマシって分かる?アタシなんか、沙里が耳に指、ほらほら、突っ込めば聞こえなくなるんだからね、知ってる?今まで仕向けた気なってたよね?今更否定しても無駄。苦しませてるアタシが悪いんだからね?

せっかく頭の皮、ゆっくり剥がれてたのにまたまたやってくれたね?元通り美しく、生え変わっちゃったよね。でもお陰で答えらしきもの出たよ?格好つけてるけど、アタシは怖がりってことが。用済んだ?済んだ?はい耳に指突っ込みますねえ、もうどっか行ってくれますかあ?

これでしょ?アタシが喜ぶの。ずっと昔からね。沙里が我慢するの嬉しいんでしょ?辛いとか痛いとかそういう思いするのが。願ったり叶ったりでしょ?生き甲斐でしょ?震えてたまんないんでしょ?ねえねえ。そうやってさ、笑い死にすれば?死ぬほど笑ってんでしょ?言いなよ、高みの見物でさ、喜んでんでしょ?ほらほら痛いですかあ?

別に嫌いとかじゃないからね?そんな次元で生きてないからね?悲しいとか嬉しいとか生きたいとか死にたいとか、自由に思えて成長したみたいだわ。

黙ってないで答えなよ。無視?無視は良くないと思うよ。笑い声?風の音?耳の穴から鳴ってんだよね、ピュウピュウ聞いてるだけで寒くなるけど?もうさあ、二度と話し掛けないでくれる?分かった?」

耳の穴に差し込んだ指を離しても、アタシの声は一つも聞こえなくなった。 

夜見るブランコは揺れて見える。

池、水飲み場、ブランコ、シーソー、灰色の壁、砂場、銀色のフェンス、草の匂い、土の匂い、焼肉の匂い、公園。見えるものや感じることを、一つずつ。が、数えても数えても数えても数えても、無性に一つ足りない。


「ああ、お父さん、仕事だから」

ピイーッと電源を消し、背中を見せたまま思い出したような声で。

「あああ、そ、そ、そうなんだ」

「まああんたに言っても仕方ないんだけど」

しゃもじは炊飯器の中で音をまわした。白い灯りが当たると、ワンピースのテカテカ生地は意味もなく光って、フワフワと踊る。

「どこ見てんの?気持ち悪い」

ブルルン、と胸が揺れた。

「あっ、いや」

テーブル、漬物の入ったトレー、茶碗、山盛りの白ご飯、箸、お母さん、谷間。

「あんた、」

トレーに箸を突き刺し一つ取る。

「あんた、隠しごと、ある、でしょ」

茶碗を持った、口に入った、噛んだ、喉を滑り落ち、お腹に溜まる、グルグル回る。

きゅうりの漬物を思い浮かべた。行き着いたのが、きゅうりだった。汗、色、匂い、舌ざわり、歯ごたえ、箸を持った。

アタシ達の行動は変に成り立っている。どちらかがきゅうりを取れば、どちらかは取らずに待つという具合に。グニャリと歪み、沁みすぎて干からびそうな。舌でトロットロッに溶けて、食べたことさえも忘れる。

挟めそう。

「お父さんのことでしょ、どうせ」

白と緑が本性を現す。クチャクチャ音を立てながら。沙里の口の中も、多分似たような感じだ。声を出そうとしたら似た音がした。 

「今週の土曜、ああ日曜か。お客さん、家に来るかもしんないから」

「お客」

「いや、だから、店のお客さん。まあ、その人、お父さんなるかもだから」

「帰って、来るんだ」

「ああ?

だからさ、生活してけないのよ。分かるでしょ?いちいちね、言わせないで。生活保護も、今じゃ受けるの結構難しいんだから」

右から左にスーッと抜けていった。

「いつか言おうと思ってたけどさ、ずっと喋んない訳にもいかないから言うけど。あんたにとっちゃお父さんかも知んないけど、あたしにとったら他人なの、分かる?

それに。あんた、もうすぐどうすんの?就職?進学?知んないけど、学費とか引っ越し代とか、あたし出せないから。お父さんにお願いしたら出してくれるかも知んないし、だから、分かった?

あたしだって苦しい訳。父親と母親、どっちもやらなきゃいけないって。あんたは嫌かも知んないけどそれはそれ、これはこれ。あんたも大人になったら、きっと分かんのよ」

茶碗を持ったと思ったら置き、きゅうりを取ってトレーに戻し、また取っては戻しながら、お母さんは最後にでかい溜息をついた。

お腹が鳴った。プップップップップップップッ…、クラクションと気付くのにしばらく掛かって、頭で響くようにまた鳴り続けた。

茶碗に半分、白ご飯が余っている。お尻に潰されていた椅子は湿ったように温かい。ご飯でも、きゅうりでもない味と匂いが口にジワジワ拡がって、落ち、掻きまわされ、一つ残らず栄養を搾り取って、干からびるの。


斜めに降る黒い雨は、あっという間にアタシの服に全部吸われていった。

バッカじゃない?濡れるじゃん。あの人傘とかそういうの、要らないから。

「たっ、ただいま」

「ん?おおおお」

銀色の缶を開けようとして止め、一瞬アタシと男の人は重なり合った。テーブルに上げた緑色の両足をゆっくり片足ずつ下ろした。

廊下は蒸して酸素が全然足りなかった。

自販機から漏れる弱い光が水溜まりに映り照らして、家全体浮いているように見える。

「今日、一緒に、入るか」

雨が止んだ。

「おおおお、お風呂、貯めるね?」

「ああ、先、入ってろよ」

自販機の前に裸があった。全身にはいった緑と黒の線は、保健室の人体模型と一緒だ。

「これがペニス→ペニスは興奮すると勃起します→これは睾丸→ペニスを挿入するのはこの穴→こっちはおしっこが出る穴→子供を作りたくない時や病気予防には→ゴムを付けて下さい→ゴムの正式名称は(コンドーム)です→これは必ず勃起してから付けて下さい」

「お湯、良いのか」

「あ、あああ」

「学校、どうだ」

「わ、分かんない」

「進路とか、どうすんだ」

「分かんない、よ」

「大学行くなら、学費とかアパートとか、そろそろ決めないと、もう夏だぞ。水商売だけはダメだからな、お前に、向いてない」

「そ、そんな、知らないよ、分かんないよ」

「何て言ってんだ?話してんのか?」

首を横に振った。

「ちゃんと、話し合えよ」

「ど、どして」

「どうしてって、その、親だろ」

「あああ、あ、あのさあ」

ああ?

お父さんはゆっくりシャワーを止めた。

「アタシさ、もう、上がる、ね」

静かだ。

お父さんはそれとなく身体を向けた。目を

見つめ、胸を見つめ、お腹を見つめ、股間を見つめ、脚を見つめた。大粒の汗だ。追うように、アタシも目を見つめ、胸を見つめ、お腹を見つめ、股間を見つめ、脚を見つめた。

分厚く、新鮮で、赤黒い、お腹に人魚、脚にはウロコみたいな模様、垂れて溜まる泡。

(その泡、取ってあげないと)

緑の足が一歩前に出た。ボヤッとした人魚は、口を拡げ笑っているように見える。 

水溜まりに浮く、自販機の弱い光になった気分だった。力が足の裏を抜け床に吸われていくのが、スローモーションで分かる。右膝を落とし左膝も落ちた。石鹸と、しょっぱい汗の味がした。ゴツゴツと分厚い手が、アタシの頭を丸ごと掴んだ。お父さんは優しい目をした後、ウロコを横に拡げ、じっくり腰を落とし、お臍を突き出すとブルっと震えた。

洗濯機は揺れ始めている。脱水、そう明かりが点いた。蓋を開けると、目が廻りそうになった所で、機械は止まった。擦りガラスの向こう側、濃いオレンジ色の影が震え続けている。沙里は蓋を閉めた。脱水が始まった。


窓の外が朝になると二人は帰って来た。

痩せた。

ジーンズ、長袖Tシャツ、女の人みたいに後ろで縛った髪。よく似合う。

二人は交代でお風呂に入り、すぐに寝た。

綺麗なバスタブ、メンズ専用シャンプーとボディソープ、髭剃り、歯ブラシ、排水溝の髪の毛、お酒、いびき、布団の擦れる音。

硬い毛の歯ブラシを口から出すと、血が付いていた。

(変態?そんな趣味あった訳?扉開けたらダメだからね、裸だったらどうすんの?)

「うっさいな、もう本当消えてよ」

お母さんの部屋は扉が閉まっている。

就職、進学、とにかく何でも良い、沙里が今日死んだとしたら嬉しい?優しい寝息だ。

この家に居場所はない。だからといって一人では生きていけない。引っ越し?お金?バイト?会社員?大学?専門学校?大人って何だろう、どれが正解なのだろう、ねえ?

「どうしたら良いと思う?」

「ねえ、ねえってば」


その日の夜は焼肉だった。

「沙里ちゃん、進学?就職?どうする?」

トロトロの血になって隅々まで行き渡っていく分厚いお肉。お父さんの口に、沙里が流れていく。

ジワリと腋が汗ばむ、ああ生きてるんだ。

「えっ、あ、いや」

「沙里、決めてないの?お父さんお金出してくれるって言ってるし、ね、そうでしょ?」

「まあ、近いうち、ちゃんと決めとくね」

お皿を洗っている手がピタリと止まった。


お母さんはさっき家を出て行った。

「沙里ちゃん、本当どうする?お金とか、早めに言ってくれないと準備出来ないからさ」

「ああ、うん、そうだよね」

そう言われて苦笑いする。

「あのさ、沙里って、何が出来るかな」

「好きなこととか、あったっけ」

「なあんにも、ない、困った子、だよね」

お父さんと「アタシ」の行動は、成立していない。共通点、というならお母さんの存在だけだ。会話も行動も全て、お母さんというもろいガラスを通し今にも割れ落ちそうな。

「じゃあ、何でも出来る、ってことか」

「それはちょっと違うよ?だって何も出来ないもん、見つからないもん、行きたい所なんてないのに歩けって言われてる気分って、いや、失礼ですかね、すいません。でも、本当に分からなくて。でも、沙里には幸せにもらいたいと、心から、思ってはいるんです」

窓は曇り水滴が汗みたいに垂れる。さっきお風呂に入った時、鏡にも出来ていた。拭いても拭いてもすぐ曇ってしまう鏡は、お父さんと「アタシ」の関係性と似ていると思う。

指をコキコキ鳴らす。

「いや、選べないってことは、選べるってことなんだよ。選べない位、沢山あるってことというか。沢山あって、良いんじゃないか」

「はあ」

分かる?前だけ見ている。不思議な位に合わない目線というのは、ただ単純に気持ち悪い。この人は何故、家に居座るのだろうか。

きゅうりの漬物を思い出した。たまに不揃いというか、切り方の荒すぎる切れ端みたいな不良品がある。食べると、ギザギザして舌先にザラザラ残る。食べなきゃいいのに沙里は必ず食べてしまう。そういう子だ。

「あのさ、お母さん、なんで水商売なの?」

「いや」

分からない?

「そこまでは」

逃げまどうように反れる。

「沙里ちゃんって、さ、大人っぽいよね」

一瞬ニヤリとした目を見逃さなかった。鼻をクックと吸って、誤魔化した。大人なんてこんなもんだ。人を傷つけて、自分を甘やかして、見て見ぬふりをして、嘘をついて、バカにして、お酒を飲んで、煙草を吸って、やらしいことをして、お金を稼いで、車に乗って、良い物を食べて、良い服を着て。

「落ち着いてる、っていうか」

「お母さん、水商売だからじゃない?」

「そうだ、スナックは?継がないの?」

「嫌だ、絶対」

「何で?」

「嫌いだもん」

「嫌いって、何が?」

「ああ、いや」

「おっ、お風呂、入った?」

「まだ」

「ああ」

「え?」

「は、い、る?」

「へえ?」

「はい、る?」

「いい」

沙里とアタシを、「待ちな」と止めた。

お湯はおじさんみたいな匂いしかしない。

雨が天井を撃っている。この穴を塞げばと思う。そうすれば、どんどん雨が溜まり、どこか違う世界に流れ着けるのだろうか。しょせん子供は子供だ。沙里やアタシは、大きな水槽で飼われ浮く無力さ。「アタシ」が居なければ一秒も、一瞬も、生かすのは難しい。

爪を立て、力を入れ、手を動かす。脳みそまでツルンツルンに洗いたい気分だった。一枚、二枚と順番に引き剥がそうとしても、ただ硬い表面があるだけで、頭の皮なんて元々一枚しかないのだ、努力でどうもならない。

「ごめんね」

決める、その決断を出来るのは「アタシ」しか居ない。二人には無理だ。生きていく為に決めないといけない。いや、誰か一人でも生き残っていく為にはね。 

影と足音に気付いた。

「ねえ、お母さんに言うよ」

聞こえなかった振りをして、影と音は遠ざかっていった。こんな大人になりたくない。


部屋の扉は閉まっている。

「あのさ」

「ええ?」

「あのさ」

「ああ、うん」

「お店ってさ」

「お店?」

「お店」

「ああ、ああ、説明しにくいな、でも、何となく分かる?繁華街の場所」

「まあ」

「じゃあ今度、一緒に、行く?」

「いい」

「あっ、そう。今日、学校、休みだっけ?」


大きな電球の点いた「無料案内所」は、煙草とお酒の匂いで満ちている。「ドリンク無料!ご自由にどうぞ」紙にそう書いてある。

「ダメダメ、何してんの」

「ああっ」

「子供が、こんなとこ、来ちゃあ」

太ったおじさんは隠すように手を拡げ、

「今、警察厳しいから、俺らが捕まんだ、頼むから、すぐ帰ってくれないかなあ」

「いや、あの」

「ええ?」

「お店、教えてほしくて」

「だから。ダメだって」

「お、おぼろ月夜ってお店。分かります?お母さん、私の、お母さんなんです、そこのママって。ちょっと、用事で、お願いします」

「んん、まあ。

じゃあ、ちょっとこっちこっち、ほらあの奥、小さい提灯見える?あれ居酒屋。あのすぐ横、水色の看板あるから、そこ。もう終わるよ?十二時だし。あああほら傘、いや、返さなくて良いから、もう、それ使いな」

傘を開かずに黒い道を歩く。少しお腹が空いていて、空気を食べるように吸った。一本道だった。胸を張り、難しい顔を作って。

「ああ」

大声や喋り声こそしても、水色の看板は明かりが消えている。耳を澄ますと、かすかにお母さんの足音が聞こえた。木で出来た扉はひんやり濡れ冷たい。よく分からない歌が始まった。間に入る拍手は全く揃っていない。

氷みたいに冷たい風が頬に触れた。

「ああ、お姉ちゃん、ごめん」

「へえっ?」

「店、ん?お姉ちゃん、用心棒か?」

「い、いやあ」

「んん?会った、こと、あるか?」

「わ、わっ、分かりません」

ミートボールみたいな顔のおじさんは、一瞬裸と見間違うような、肌色のセーターを着ている。沙里の頭から足先まで、不思議そうに目を動かし、「気のせい、か」と言った。

(お父さん)

あんた、黙ってな。

「えっ?」

(お父さん)

黙ってろって言ってるでしょ!

黙れ!黙れ!黙れ!

耳の奥がブチブチブチと千切れた。両耳を手で塞ぐと、崩れるようにうずくまった。土砂降り雨の音がする。拍手が揃った。洗濯機で掻き回さるようにグルグルと目が廻り、吐きたいけど吐けない気持ち悪さが胸で詰まっている。動物みたいな人の顔、「アタシ」を覗き込んでいるのが分かると鳥肌が立った。

(お父さん!)

「アタシ」は立ち上がった。腕を挙げ、肘を曲げ、拳を握って、前に突き出した。

「ギャアア!」

悲鳴と共に前に倒れ込んだ。お腹の下を押さえながら、「おっ、おっ、おっ」と漏れるような声と息を繰り返して、睨んでくる。

その時だ。「アタシ」の身体で爆発があった。音も痛みもない。辺りは雲のように白く見える。曇っている先から誰か走ってくる。

「アアア!アアア!アアア!」

叫びながら雨の街に駆け出した。

このまま全て、消し去りたいと思った。月が上がった。頼りない光を放つ丸く黄色い輪郭の月は、うっすらとした雲で煙っている。 

汗なのか、雨なのか、シャワーなのか、ボタボタ熱い水が絶え間なく流れ、お母さんの部屋はその水一杯に溢れていく。また叫びながら、服を出し、たまに引きちぎり、部屋中まき散らした。

「頑張って、生きな」

二人にそう言い別れを告げ、「アタシ」は繁華街向かって、一人歩いていった。

※Character introduction is the last※

・沙里(井上沙里)
末っ子、行動の主軸。
まともな会話はアタシとしか出来ない。
幻覚、幻聴がある。
高校3年生、進路は未定。
お父さんにレイプされた過去があるが、お父さんについては、ほぼ記憶を失っている。
お母さんに嫉妬のような感情を抱く。


・アタシ
次女、沙里の本音を声として代弁する。
沙里に対して、バカにするように接する。
お父さんにレイプされた過去を、自分の中に封じ込めている。 


・「アタシ」
長女、語り手。
沙里とアタシの様子を空から伺っている。
現実的で、客観的な考え方をする。
内に秘めた沙里の部分。


・お母さん
スナック「おぼろ月夜」を経営するママ。
太っている。
沙里の父とは離婚している。
不器用で男勝りな性格、若干ずぼら。
娘に嫉妬のような感情を抱く。


・お父さん
沙里の父親。
沙里をレイプしていた。


・お父さん  
養父、お母さんの彼氏。
沙里は本当のお父さんだと誤認している。

※この作品のいかなる権利も「実咲龍」および実咲龍の管理運営事務所である「リ・クリエイション」に所属します。どうぞ、ご理解下さいませ※

--

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?