マガジンのカバー画像

どんなに遠くても行きたいギャラリー・カフェ巡りの記録

8
「車でしか行けない場所で20年以上続いているギャラリー・カフェ」を求めて旅した記録。
運営しているクリエイター

記事一覧

30年かけて点が線になったcafe

Cafe Shozoのカフェには一度行くべき価値がある。 階段を上がると、右と左に部屋が別れている。いくべきは、絶対に右の部屋だ。天井は低く、照明はテーブルの上にあるランプだけ。床は年季の入った細い木が敷き詰められている。昭和の喫茶のイメージを彷彿とさせる空間だ。 Cafe Shozoのはじまりは、菊地省三さんの思いからはじまる。寂れてしまった商店街をどうにかしたいと思っていた。この町に生まれた省三さんは、この地に住み続けることになる。「どうせ住むなら楽しく住みたいと思っ

静かな楽器のような空間

1度会っただけなのに、ずっと前から友だちだと思える人ってたまにいる。(相手がどう思っているかは知らない)その1人であるいっしーのnoteに"Starnet"の馬場さんの言葉が書いてあった。 それを読んで、馬場さんが残したものを見てみたいと思った。もう馬場さんはいない。でも、手を入れ続けた場所はどう残っていくのだろうか。 Starnetも車でないと辿り着けない場所にあった。店舗は山を背負っていて、となりには大きな池のある公園。開店前にたどり着くと、スタッフの方が公園まで一所

時間を味方にする不便な場所巡り

人里離れた場所で地域に根ざした起業家を応援するSohoを運営している。2001年に竣工してすぐに廃校になった校舎を利用している。建物の名前は”BabameBase”。Sohoになって5年が経った。のべ18の起業家が入居し、現在も8社が利用している。 BabameBaseはとにかく立地が悪い。最寄り駅の八郎潟駅まで車で20分。バスはなく、歩いたら2時間以上かかる。役場までも車で10分。そんな山間にある廃校でなにをしようかと思いを巡らせている。 こんな山奥に引きこもっていても

地元にも移住者にも等しく同じ時間が流れれる場所

移住促進の仕事をしていると、メディアで発信されるイメージと現地のイメージが異なる地域がある。インバウンドで有名な観光地に、多くの移住者がいたものの、時間が経つと残った人は片手くらいだった話も聞いた。仕事がありそうでも、暮らしが合わなければ人は出ていく。かくも、移住者が暮らし続けるのは難しいことだと思う。 移住関連の仕事を始める前に、「行っとくといいよ!」とゲストハウスを経営する友人に進められて滞在したのが長野県善光寺前にあるゲストハウス1166bp。20人も泊まれない小さな

距離を超えて商いを問い続ける場所

秋田に住んで6年にもなるから、林道、農道など茨道を走って細い道にも耐性はできていた。それでも、’わざわざ’にたどり着くまで戸惑ってしまった。 「本当にあるのだろうか?」「グーグルマップさんはいつも攻め攻めな道をいく」と不安にかられながら、目的地に近づく。坂道を登りきって丘の上にでて視界が広がる。浅間山を望む素晴らしい景色に心が満たされる。「看板もあったかわからないくらいで、お店も駐車場も分かりづらいから気をつけてくださいね」とゲストハウスのスタッフに言われた。「お店だとは気

空白の時間を取り戻した公共施設

車でまた浅間山を長めながら丘をのぼっていく。とにかくのぼっていく。キャンプするにはいいけど、よっぽどの目的がないかぎり、ここまで車でさえのぼることはない場所まできた。昭和にできた古びた公共施設が見えてくる。周りは白塗りで、どこにも所属しない、そして主張がない佇まいをしている。でも、円柱のような施設の窓からみえる中は暗く、怪しい雰囲気を出していた。 施設の正面にくると、大きな暖簾に”問”と描かれている。それをくぐれば中世ヨーロッパにありそうな本棚とカウンターが迎えてくれた。お

作り手がかけた時間を壁一面の本棚へ

春に東京でTHE TOKYO ART BOOK FAIRに遊びにいった。私は本屋が大好きで、小さな本屋から大型書店まで幅広く見に行っている。でも、ART BOOKというものを知らなかった。”芸術関係の本”くらいの認識でいた。会場にはいって、ISBNコードがない本たちが展示台に「オレを見ろ!」とばかりに主張していた。「これは本なのか?」と考えてしまうような、カレンダーだったり写真がはりつけてあるだけ、または紙1枚の情報誌だったり。紙質もさまざまで、透けているものからラメ入りでキ

ものとひとが関わる時間

岐阜県多治見市。多治見焼、意匠研究所、モザイクタイルミュージアムなど陶磁器の町として有名。焼き物の原料となる土や粘土の生産地でもある。 友だちが意匠研究所に通っているとき、多治見に遊びにきたことがあった。そのとき行けなかったのが、ギャルリ百草だった。陶芸家の友人はとっても癖があって、普通のカフェには見向きもしない。音楽にも詳しく、陶芸と音楽は似ていると話していた。その時、私にはちっとも意味なんてわからなかった。 多治見の端っこにあるカフェを目指す。丘の上にある小さな住宅街