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夕暮れの街

 6月のとある平日、トシロウはたまたま休みだった。近くの町まで、ドライブに行った。お目当ては昆虫の博物館だった。トシロウは子供の頃から理科が好きだった。図鑑や実験が好きだった。
 トシロウには、気分転換が必要だった。人間関係のトラブルや、仕事のストレスで、トシロウは疲れ果てていた。

 昼前に出ていき、途中の道すがら、ラーメン屋に寄った。ラーメンを食べた。あっさり醤油系のラーメンだった。

 トシロウには、数ヶ月前から頭を悩ませている人間関係のトラブルがあった。気分転換しようとして出てきたは良いものの、しつこくそのトラブルの事が頭の中に浮かんでくる。

「これは困ったものだ。」
 トシロウは頭の中でつぶやいた。
 ラーメンを食べ終わっても、まだその事が頭に浮かんでくる。トシロウは少し考え、近くにあったカラオケ屋に入った。ちょっとの時間歌って、発散させようという訳である。

 1時間後、トシロウはカラオケ屋から出てきた。トシロウは相変わらず浮かない顔をしていた。シャウト系の曲を数曲歌ったのだったが、上手くシャウト出来ず、徒労感だけ味わったのだった。

 トシロウは仕方なく車に乗り、道を急いだ。昆虫の博物館に望みを託した訳である。
 40分ほど車を走らせ、博物館に到着した。パラパラと雨が降っている。トシロウは一度深く呼吸して、博物館に入った。

 博物館は、大小さまざまな甲虫、蝶、蛾の標本、水生生物の生きた展示が多数あり、トシロウは一時、我を忘れて展示に見入った。カブトムシを触ることができるコーナーがあり、トシロウはカブトムシのつるつるした背中に触れた。

「これは良かった。」
 トシロウは、帰りの車中でそうつぶやいた。カブトムシの、つるつるした感触が、トシロウを何とも言えない恍惚状態にしていた。

 車は、トシロウの家に向かって走っていた。
 不思議な事が起こった。トシロウは今まで幸福な状態で、気晴らしは成功したと思っていた。しかし、家に向かうにつれて、だんだんとまた例のトラブルの事が、頭に浮かんできたのである。

 一度嫌な事が頭に浮かんでくると、それは大量の墨汁が半紙に染み込んでいくように、ゆっくりと、しかし着実にトシロウの頭の中を支配していくのだった。

「まいったな。」
 トシロウは思った。結局、嫌な気分は去らないまま、トシロウは家に帰ってきた。重い足取りで玄関を入り、冷蔵庫から牛乳を出して飲んだ。夕食は簡単に済ませた。
 窓の外は暗くなってきた。カーテンを閉める為に、トシロウは窓辺に立った。ふと空を見上げると、見事な紫色の夕雲がたなびいていた。

 しばらく窓の前で眺めていたが、トシロウはいてもいられなくなって、サンダルをつっかけて外に飛び出した。

 雨上がりの、爽やかな空気が肌をかすめた。水たまりを避けつつ歩く。夕空は、見上げるとそこにあった。

「これは良いな。」
 トシロウはつぶやいた。
 雲は形を変えながら、深い紫色を映していた。風は、ひんやりと冷たく、心地よい。
 そして夜の闇は、東の方から迫ってきていた。

 紫色は徐々に失われ、とっぷりと夜の闇が辺りを支配するようになった時、トシロウは東の空に月を発見した。そして、ゆっくり家の玄関へと歩いていった。

(了)

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